私たちはだれも明日のことは分かりませんが、永遠の計画は知らされています。それは平和(シャローム)に満ちた世界の完成です。主(ヤハウェ)はそのゴールを大昔に計画し、それを実現してくださいます。
その視点から、私たちはこの世界の問題に向き合ってゆくべきです。目先の問題解決を優先するのではなく、主の前に静まり、今ここで求められている行動が何かを主に問い続けるべきでしょう。
多くの人は直感で行動します。それは大切な能力ですが、一呼吸おいて、主の前で吟味することを忘れてはなりません。
イザヤ36〜39章は不思議です。詩文での預言の中に、突然、歴史的な事実の記述が挟まっているからです。その目的は何よりも、主のことばが文字通り成就していることを示すことによって、主が歴史を支配していることを保障するものです。
人は自分の人生を手の中に把握していたいと思います。しかしそれは不可能であり、その期待を持ち続ける人は、過去の後悔と未来の不安で心が一杯になります。私たちの主はすべてを支配しておられます。その方に祈ることこそがすべての始まりとなるべきです。
1.「今、私がこの国に上って来たのは……主 (ヤハウェ) が私に、『この国……を滅ぼせ』と言われたのだ」
紀元前722年頃、アッシリア帝国は三年間の包囲の後、サマリアを陥落させ、その住民を遠い地に強制移住させました (Ⅱ列王18:10、11)。そこではサマリアの陥落はヒゼキヤ王の第6年と記されておりますが、ここではそれから8年後のヒゼキヤの第14年にアッシリアの王がエルサレムに迫ってきたと描かれます。すると、ここは紀元前715年頃かと思われます。
ところが、多くの学者はこれを紀元前701年のことと見ます。王の年代は父と子の支配が重なる共同支配の時期もあり、わかりにくい面があるからです。
とにかく一般的な理解では、サマリアの滅亡から約22年目の紀元前701年に、「アッシリアの王センナケリブが、ユダのすべての城壁のある町々に攻め上り、これを取った」(36:1) という絶体絶命の危機が迫りました。
ヒゼキヤは、「彼はイスラエルの神、主 (ヤハウェ) に信頼していた。彼の後にも前にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった」(Ⅱ列王記18:5) と評されたほどの立派な王様でしたが、このときは残念なことに、一時的にアッシリア王に向かい「私は過ちを犯しました」と屈服し、大量の金銀を貢いでしまいました (Ⅱ列王18:14)。
それは、パニックに陥ってとっさにこの世の常識の判断に身を任せたからでしょうが、それは途方もない無駄になりました。アッシリアはそれに満足せずに、エルサレムに迫ってきたからです。
先に非難されていたアッシリアの「裏切り」(33:1) とはそれを指していると思われます。
アッシリアの王は、将軍ラブ・シャケに大軍を任せ、本陣を置いたラキシュ(エルサレムの西南約50㎞)からエルサレムに遣わしました。
将軍がヒゼキヤの使者と会った場所、「布さらしの野への大路にある、上の池の水道のそば」(36:2) とは、かつてヒゼキヤの父アハズがその不信仰をイザヤから指摘された場所です (7:3)。それはまたヒゼキヤが地下水路を掘った入り口でもあります (22:11、Ⅱ歴代誌32:2–4)。
なお、ここに登場するヒゼキヤの使者のことは、既に22章で描かれ、「書記(執事)シェブナ」は不信仰のゆえに追放され (22:19)、エルヤキムは主に信頼して「栄光の座」(22:23) に引き上げられると預言されていました。
どちらにしてもこのときラブ・シャケはヒゼキヤ王の使者たちに、「大王、アッシリアの王」からの嘲りのことばを伝えさせます。
アッシリアの王は、まずヒゼキヤがエジプトに頼ろうとしているように見えることを、「いったい、おまえは何に拠り頼んでいるのか……だれに拠り頼んでいるのか。私に反逆しているが」と問いながら、エジプトを「あの傷んだ葦の杖」と呼びました (36:4–6)。
そればかりか、「われわれの神、主 (ヤハウェ) に拠り頼む」というヒゼキヤのことばを引用しながら、彼がアッシリアとユダの絆であった偶像礼拝の祭壇を破壊することで、アッシリアの攻撃を招いているという事実を指摘します。
そして8、9節では、ヒゼキヤが軍馬や戦車の供給をエジプトに頼ろうとしていることを嘲って、現実にはエルサレムには軍馬の「乗り手」自体がいないということを指摘しています。これは現代的には、武器の供給を他国に依存しても、それを操作できる人材が育っていないという開発途上国の問題に似ています。
軍事力ではアッシリアに決して勝つことができないのだから、早く降伏するしかないという、極めて合理的な説得です。
さらに興味深いのは、「今、私がこの国に上って来たのは、主 (ヤハウェ) を差し置いてのことだろうか。主 (ヤハウェ) が私に、『この国に攻め上って、これを滅ぼせ』と言われたのだ」という発言です。
確かに、かつて主 (ヤハウェ) はイザヤを通して、「ああ、アッシリア、わたしの怒りのむち。わたしの憤りの杖は彼らの手にある。わたしは、これを神を敬わない国に送り、わたしが激しく怒る民を襲えと、これに命じる」と語っておられたからです (10:5、6)。そこでの「神を敬わない国」、また神の怒りを向けられた民とは、エルサレムに他なりませんでした。
さらにイザヤはかつて、自分が告げる明確なことばを嘲る者に対して、主 (ヤハウェ) は「もつれた舌で、外国のことばで、この民に語られる」と言いましたが (28:11–13)、それが部分的に成就したと言えましょう。イザヤが警告していたことと同じことを外国人の口を通して語られたからです。
これを聞いたヒゼキヤの使者たちが慌てたのも無理がありません。あなたも聖書が言っているのと同じ意味のことばを未信者の隣人から聞くことがあるかもしれません。それは神があなたを恥じ入らせるためです。
このときラブ・シャケは、敢えて「城壁の上にいる民」が理解できる「ユダのことば」で話しましたが、ヒゼキヤの使者はアラム語での対話を望みます (36:11)。
それに対し、彼はなおも、城壁の上にいる民に聞かせようと (36:12)、「ヒゼキヤにごまかされるな」と言いながら、彼は「主 (ヤハウェ) が必ずわれわれを救い出してくださる。この都は決してアッシリアの王の手に渡されることはない」と言って、「おまえたちに主 (ヤハウェ) を信頼させようとするが、そうはさせない」と訴えます (36:14、15)。
そしてアッシリアの王が「私と和を結び、私に降伏せよ。そうすれば、おまえたちはみな、自分のぶどうと自分のいちじくを食べ、自分の井戸の水を飲めるようになる。その後私は来て、おまえたちの国と同じような国におまえたちを連れて行く、そこには穀物と新しいぶどう酒の地、パンとぶどう畑の地である」と語っていると伝えました (36:16、17)。
これはまるで、主 (ヤハウェ) ご自身がかつてイスラエルの民をエジプトの地から連れ出して、約束の地に住まわせようとされたことを真似るような表現です。アッシリアの王は、イスラエルの神のことばを研究していたのかもしれません。
ただそれは自分をイスラエルの神の代わりの支配者にするために過ぎませんでした。その上で彼は、「国々の神々は、それぞれ自分の国をアッシリアの王の手から救い出しただろうか。ハマテやアルバデの神々は今、どこにいるのか。セファルワイムの神々はどこにいるのか。彼らはサマリアを私の手から救い出したか」と、最近の歴史を振り返るように勧めます。ハマテはエルサレムからダマスコへの二倍の距離の北にあるアラムの主要都市、アルバデもさらにその北にあるユーフラテス川に近い大都市です。ただ、セファルワイムという都市がどこかは不明です。
ここで皮肉なのは、ハマテやアルバデの神々とサマリアの神々が同列に扱われていることです。アッシリアは北王国イスラエルが南王国ユダとは別の神々を礼拝していると思っていたかのようです。
そして、最後に、アッシリア王自身のことばとして、「これらの国々のすべての神々のうち、だれが自分たちの国を私に手から救い出したか。主 (ヤハウェ) がエルサレムを私の手から救い出すとでもいうのか」(36:20) と、主 (ヤハウェ) を侮りました。
これも主があらかじめ言っておられたとおりです。主 (ヤハウェ) は先の「ああ。アッシリア、わたしの怒りのむち」ということばに続けて、「しかし、彼自身はそうとは思わず、彼の心もそうとは考えない。彼の心にあるのは、滅ぼすこと、少なからぬ国々を絶ち滅ぼすことだ」(10:5、7) と、彼らの高慢な心を非難しておられました。
彼らが主 (ヤハウェ) の導きでエルサレムを攻撃していると言ったのは、エルサレムに内部分裂を起こさせるためでした。しかし、彼ら自身は、イスラエルの神、主を恐れる気持ちはまったくありません。それに対し、「主はシオンの山、エルサレムで、ご自分のすべてのわざを成し遂げられるとき、アッシリアの王の思いあがった心の果実、その高ぶる目の輝きを罰せられる」(10:12) とも告げられていました。
そこではアッシリアの王が自分を「全能者」(10:13) のようにしたことが、主のさばきの理由とされています。
2.「おそらく、あなたの神、主 (ヤハウェ) は、ラブ・シャケのことばを聞かれたことでしょう」
ラブ・シャケを通して語られたアッシリアの王のことばに対しての応答が、「人々は黙って、彼に一言も答えなかった。それは王の命令が、『彼に答えるな』というものだったからである」(36:21) と記されます。
ヒゼキヤ王は、どのようなことが言われるかを予測して、敢えて、民に沈黙を命じていたのでしょう。多くの場合、相手の嘲りのことばには、悔しくても、沈黙を保つのが正しい知恵です。それは相手が、こちらを屈服させたいと思っているだけですから、非難の応酬になるだけで大切なことが見失われるからです。
その後、三人の使者は王にラブ・シェケのことばを伝えますが (36:22)、それに対する応答が、「ヒゼキヤ王はこれを聞くと衣を引き裂き、荒布を身にまとって、主 (ヤハウェ) の宮に入った」(37:1) と描かれます。
しかしここでのイザヤへの使いに託したことばに矛盾が見られます。彼は、「今日は、苦難と懲らしめと屈辱の日です」と言いながら、自分の無力さを、「子どもが生まれようとしているのに、それを産み出す力がないからです」(37:3) と表現します。しかし、産み出すのは最初から主のみわざであるはずで、彼は自分の力で難局を乗り切ろうとしていたのかもしれません。
またイザヤに、「おそらく、あなたの神、主 (ヤハウェ) は、ラブ・シャケのことばを聞かれたことでしょう」(37:4) と言います。ここでの、「おそらく」という表現に若干の疑いが、「あなたの神」という表現に、神との微妙な距離感が表されています。
その上で王はイザヤに「まだいる残りの者のために祈りをささげてください」と願いますが、「残りの者のために」と記されるのは、すでにエルサレム以外の多くの町々がアッシリアの支配下で、すでに住民が滅ぼされるか、強制移住させられていたからです。
これに対し、イザヤはそれに応じて祈ることも、また主のみこころを求めることもなく、すぐに主のみことばを伝えます。それは、ヒゼキヤの嘆願を聞く前から、すべてのことがイザヤに知らされていたからです。これは、主の目には、意外な展開など何もないということを意味します。
そこで主 (ヤハウェ) は、まず「恐れるな」と言われ、「あなたが聞いたあのことばのゆえに、それはアッシリアの王の若者たちがわたしをののしったものだが」と続けます。
さらに「今、わたしは彼(アッシリヤ王)のうちに霊を置く。彼は、あるうわさを聞いて、自分の国に引き上げる。わたしはその国で彼を剣で倒す」(37:7) という計画を告げられます。主は、戦う前にアッシリアの王の心を動かすばかりか、彼がもっとも安全と思う場所で、彼の命を奪うというのです。
これは、かつて7章4節で、イザヤがヒゼキヤの父アハズに、「目を見張り、落ち着きなさい。恐れてはならない。心を弱らせてはならない」と言われたことを思い起こさせます。それはこの危機的な状況を人間的な知恵で解決しようとせず、目を見張りながらも落ち着いて、また、恐れを祈りに変え、そして、心を弱らせずに神の救いを待ち続けるようにとの勧めでした。
アハズはその招きに耳を傾けませんでしたが、ヒゼキヤはそれを真剣に受け止めたのだと思われます。
ところで、その少し後のことだと思われますが、「ラブ・シャケは退いて、リブナ(ラキシュの約16km北)を攻めていたアッシリアの王と落ち合った」と記されます (37:8)。それは当時のエジプトの支配者クシュの王ティルハカが南から迫ってきたという噂を聞いたからでした。
ヒゼキヤは主がアッシリアの王の心が主 (ヤハウェ) によって動かされ始めたことを感じたのではないでしょうか。
それで、アッシリアの王は、今度は手紙をもってヒゼキヤ王に、「おまえが信頼するおまえの神にだまされてはいけない。エルサレムはアッシリアの王に渡されないと言っているが」(37:10) と脅します。
興味深いのは、先にアッシリアの王はエルサムの民に「ヒゼキヤにごまかされるな(だまされるな)」と訴えていたのに、今度は、ヒゼキヤに向かって「おまえの神にだまされてはいけない」と訴えていることです。それは、アッシリアの王が、ヒゼキヤの信仰がイザヤのことばによって固くされていることを悟ったからだと思われます。
そこでのアッシリアの王のことば (37:11–13) は、基本的に36章18–20節と同じ内容の言い換えに過ぎませんでした。そこにはアッシリアの王の焦りを読み取ることができましょう。自分を神とする権力者は性急な解決を願いすぎるからです。
3.「私たちの神、主 (ヤハウェ) よ。今、私たちを彼の手から救ってください」
ところがこのときのヒゼキヤは、エジプトの出陣に望みを置く代わりに、その手紙を「主 (ヤハウェ) の宮」に持って行き、「主 (ヤハウェ) の前に広げ」(37:14)、自分自身のことばで主に向かって祈ります。
これは先に、「自分の衣を裂き、荒布を身にまとい」ながらも、イザヤに祈ることを願ったのとは対照的に、神に向かって大胆な行動に変わっています。
そこで彼は、「万軍の主 (ヤハウェ) 。イスラエルの神、ケルビムの間(上)に座しておられる方」と呼びかけます (37:16)。これは、主 (ヤハウェ) がかつてモーセに、「あかしの箱の上の二つのケルビムの間から、ことごとくあなたに語る」(出エジ25:22) と言われた、万軍の主 (ヤハウェ) がイスラエルのただ中に住んでくださることを思い起こさせる表現です。
その上でさらに、「ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました」と、主 (ヤハウェ) がアッシリアを含めたすべての王国の支配者であることを告白します。これこそ、私たちが模範とすべき、主への呼びかけです。
そして、主の御耳と御目が生ける神をそしったセンナケリブのことばに向けられることを願いながら、次のように祈ります。
「アッシリアの王たちが、すべての国々とその国土を廃墟としたことは事実です。彼らはその神々を火に投げ込みました。それらが神ではなく、人の手のわざ、木や石にすぎなかったので、彼らはこれを滅ぼすことができたのです。私たちの神、主 (ヤハウェ) よ。今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、あなただけが主 (ヤハウェ) であることを知りましょう」(37:18–20) と訴えました。
イザヤに向かって「あなたの神、主 (ヤハウェ) 」と控え目に呼びかけていた王が、民の代表として、「私たちの神」と語りかけるように変えられています。これこそ私たちが危機に陥ったときになすべき祈りでしょう。
その祈りを通して、私たちの周りの人々が、主 (ヤハウェ) を知ることができるというのです。私たちが苦しみから救い出されることを通して、主の御名が知られることこそ、最高の伝道とも言えましょう。
それに対し、主は預言者イザヤを通して、アッシリアの王へのことばを告げます。
その中心は、センナケリブが主 (ヤハウェ) をそしった、そのことばがそのまま彼の上に降りかかり、「処女である娘シオンは おまえを蔑み、おまえを嘲る、娘エルサレムは、おまえの後ろで頭を振る」(37:22) というものです。
その上で、アッシリアは自分の勝利を誇っていますが、それは主ご自身が起こしたものにすぎないということを、「おまえは聞かなかったのか。遠い昔に、わたしがそれをなし、大昔に、わたしがそれを計画し、今、それを果たしかことを」(37:26) と述べられます。
それは、アッシリアのイスラエル攻撃を背後から動かしているのは、主ご自身であるというご支配の現実です。実際、レビ記26章や申命記28章には、主ご自身がイスラエルの不信仰をさばくために異教の国々を用いると警告されていました。
イスラエルの敗北は、イスラエルの神、主 (ヤハウェ) が無力なしるしではなく、主 (ヤハウェ) が全世界を治めているしるしだというのです。
そして、その結論として、「おまえが座るのも、出て行くのも、おまえが入るのも、わたしはよく知っている……おまえがわたしに向かっていきり立ち、おまえの安逸がわたしの耳に届いたので、わたしはおまえの鼻に鉤輪を、口にくつわをはめ、おまえを、もと来た道に引き戻す」(37:28、29) と告げられます。
そしてイザヤは、かつてのアハズ王に対して述べた「しるし」(7:11、14) を意識しながら、今度はヒゼキヤに対する新しい「しるし」を与えます (37:30)。
そのことばは、「あなたがたは食べることになる、今年はそこから生えたものを、二年目もそこに芽生えたものを、しかし三年目は、種を蒔いて刈り入れ、ぶどう畑を作ってその実を食べる」と訳すことができます。
最初と最後に「食べる」ということばがあり、アッシリア軍に農地を破壊されても、主(ヤハウェ)が民を「食べ」させてくださるという保証です。これは五十年に一度のヨベルの年に二年間農作業を休んでも飢え死にしないという約束を思い起こさせます (参照レビ25:21、22)。
つまり目先の食べ物のことより、主に信頼すれば飢えることはないという約束です。
その上で後の日の繁栄が、「ユダの家の逃れの者、残された者は、下に根を張り、上に実を結ぶ」と預言され、そのことを、「万軍の主 (ヤハウェ) の熱心がこれを成し遂げる」と断言されます (37:31、32)。
つまり、神の民の苦しみは一時的に過ぎず、主が必ず救い出し、繁栄に導いてくださるのです。これこそイザヤ書の中心テーマです。
そして主 (ヤハウェ) は最後にアッシリアの王について、「彼はこの都に侵入しない……彼は、もと来た道を引き返す……わたしはこの都を守って、これを救う。わたしのために、わたしのしもべダビデのために」(37:33–35) と言われます。
それは、主 (ヤハウェ) がダビデ王国を守られるのは、何よりもダビデとの契約のゆえであるという意味です。それこそ神の愛の真実(ヘセッド)です。主の真実こそが私たちの砦なのです。
そして、その後、「主 (ヤハウェ) の使いが出て行き、アッシリアの陣営で十八万五千人を打ち殺した」という不思議なことが起こりました。
そればかりか、「アッシリアの王センナケリブは陣をたたんで去り、帰ってニネベに住んだ。彼が自分の神ニスロクの神殿で拝んでいたとき、その息子たち……は、剣で彼を打ち殺した」と、センナケリブが自分の国で、息子たちによって、礼拝中に暗殺されてしまいます(紀元前681年)。
つまり、ヒゼキヤが軍を動かす間もなく、主はかつて予告していた通りのことをされました (37:7)。
これらの経緯はⅡ列王記18、19章にもほぼ同じように記録され、Ⅱ歴代誌32章でも簡潔に記されます。同じことが三度も繰り返されるのは極めて異例で、これは主が紅海を分けてイスラエルの民を救い出したことにも匹敵します。
それは詩篇46篇で歌われている通りの救いです。この詩はその約百五十年前のものと思われますが、ヒゼキヤはこれを聖歌隊に、「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、すぐそこにある助け……」と歌わせたのではないでしょうか。
すると文字通り、「神は、夜明け前に、これを助けられる……主は地上に驚異を置かれた。主は地の果てまで戦いをやめさせ、弓を折り、槍を砕き、戦車を焼かれた」ということが実現しました。
この詩篇では、「やめよ(静まれ)。(そして)知れ、わたしこそ神」(10節新改訳) と、右往左往するのをやめて、主の前に静まることを訴えています。ヒゼキヤは、一度はパニックに陥ってアッシリアに貢物を納め、彼らをなだめようとしたことを反省したことでしょう。
人は困難に陥ったとき、すぐに、「今、右に進むべきか、左に進むべきか」と地上的な知恵を求めがちです。しかし、もっとも大切なことは、「私たちの神、主 (ヤハウェ) よ。救ってください」と祈ることです。
そのことをイザヤは、「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る」(30:15) と語っています。
イザヤ預言の核心は、この地が神の平和(シャローム)に満たされる世界の実現です。主(ヤハウェ)がアッシリアを用いてエルサレムを懲らしめ、その後にアッシリアの傲慢にさばきを下すというのは、この地に神の平和が実現する一過程として理解されるべきことと言えましょう。