米国アズベリー大学でのリバイバル——知識は人を高ぶらせ、愛は人を育てます

昨日お伝えしたように、今、米国のケンタッキー州の (神学校というよりも総合大学)で、世界の注目を集めているリバイバル(聖霊覚醒運動)が起きています。

多くの方は、僕が本来、熱狂主義的な信仰には懐疑的なことをよくご存じです。米国のリバイバル運動の負の側面も学んできたつもりです。

しかし、先週の水曜日2月8日から日本時間の今日2月15日まで続いている現象は、まさに現代の米国に必要な、信仰の原点に立ち返る運動であるように思います。このアズベリー大学では1970年の2月にも が起き、一週間の絶え間のない礼拝が続きました。その時期に遠く離れたロサンゼルス近郊でも、多くのヒッピーと言われた人々の回心が起きています。

当時のアメリカは、ベトナム戦争末期で深い分断がありました。また黒人の運動の指導者の暗殺の後遺症に揺れていました。

現代のアメリカも同じです。キリスト教会内にも深い分断が起きていました。昨日のアズベリーの学生も証ししていましたが、本音を言えない状況があったようです。トランプ前大統領支持かどうかで家族や教会が割れ、LGBTや妊娠中絶の問題で意見が割れ、自分の正直な意見を言えない雰囲気が広がっていました。

様々な知識を用いての論戦がなされますが、そこに起きるのはさらなる分断です。使徒パウロが指摘したように、「知識は人を高ぶらせ、愛は人を育てます」(Ⅰコリント8:1) という聖霊様の働きに人々が立ち返る必要がありました。

そのような中で、1970年2月と同じようにアズベリーから新しい動きが始まっています。以下のは昨日のアズベリー大学のチャペルで起きている状況です。7時間以上のビデオですが、落ち着いたみことばの解き証しがあり、賛美があり、グループに分かれた祈りがあり、悔い改めの証しや祈りがあります。

リバイバル運動を冷静に分析してこられた方の分析ブログ( )に掲載されています。この方が書いておられるのは、そこにおいては熱狂というよりは霊的な静けさがあるとのことです。そして、何よりも強調されているのは、そこで賛美や証しをリードしている方々に見られる謙遜さです。一人ひとりが聖霊様の導きに謙遜にしたがっているようすが感動的に描写されています。1970年のリバイバルから大きな変化が確かにアメリカ各地で起きました。同じことが、今アメリカで起きようとしているように思います。互いの政治的な見解で、互いをののしり合う関係から、互いの痛みや不安を聞き合って、互いに愛し合うという信仰の基本へと立ち返る動きです。

引き続き、ここで起きていることを、暖かいまなざしで注目し続けたいと思います。