エステル5、6章「驕るハマンは久しからず」

2022年6月12日

平家物語の冒頭では、「おごれる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もついには滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ」と記され、それによって「驕る平家は久しからず」などと、傲慢の代名詞のように言われています。しかし、平清盛は純粋でナイーブな人間だったという見方もあるようです。

謙遜と思われる人もすぐに傲慢になるのが常で、私たちも物事がうまく進んでいるときこそ、没落の種が蒔かれているということを常に気を付ける必要があります。様々なことがうまく行っていること自体を、喜び、楽しむことは良いことです。しかし、それらすべてが神の恵みであることを忘れるとき、自分の力を誇ってしまいます。

今日はハマンというユダヤ人の「敵」の破滅がどのように始まったかに焦点を合わせたいと思います。彼の愚かな失敗を通して、私たちは謙遜の大切さを学ぶことができます。

1.「私が設ける宴会に、ハマンとごいっしょに、もう一度お越しください」

ユダヤ人を絶滅しようとするハマンの計画を覆すために、モルデカイは躊躇するエステルに、「あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない」と励まし、彼女は、「法令に背くことですが、私は王のところへ参ります。私は、死ななければならないのでしたら死にます」と応答しました (4:14、16)。その際、彼女はペルシアの首都にいるすべてのユダヤ人に三日三晩の断食を要請し、自分自身も侍女たちも断食をしました。

そして5章では、王のもとに近づく様子が、「三日目になり、エステルは王妃の衣装を着て、王室の正面にある王宮の奥の中庭に立った。王は王室の入口の正面にある王宮の玉座に座っていた」と描かれます。彼女は既に三十日あまりも王からお呼びがかかっていません。王のご機嫌しだいでは、死刑になる可能性がありました。

エステル記の異本でカトリックで読まれるギリシャ語七十人訳では、「王は威光に輝く顔を上げ、怒りに満ちたまなざしでエステルを見据えた。そこで王妃はよろめき、青ざめ、力がなくなり、前を歩んでいた女官の頭にもたれかかった。その時神は、王の霊に触れて穏やかにされた」という解説が付け加えられています。それほどに緊張の瞬間だったのです。

ほんの一瞬が分かれ道になりますが、この書はその後の様子を極めて簡潔に、「王が、中庭に立っている王妃エステルを見たとき、彼女は王の好意を得た。王は手にしている金の笏をエステルに差し伸ばした。エステルは近寄って、その笏の先に触れた」と描かれます (5:2)。

そればかりか王は上機嫌で、「どうしたのだ。王妃エステル。何を望んでいるのか。王国の半分でも、あなたにやれるのだが」とまで言って、彼女に対する「好意」を表明します (5:3)。

バプテスマのヨハネの首をはねたヘロデ・アンテパスも、祝宴で踊りを踊ったヘロデヤの娘に向かって、「何でも欲しい物を求めなさい……おまえが願う物なら、私の国の半分でも与えよう」と言って「堅く誓った」と記されていますから (マルコ6:22、23)、これは当時の王が自分の寛大さと権力を示す定型句のようなものだったのかもしれません。

そのようなとき、多くの家臣の前ですぐに自分の希望を訴えるのは、賢明なことではありません。それでエステルは、自分の願いを申し述べる時期を見計らうために不思議な提案をします。それは自分の願いを一対一のプライベイトな場で言おうとするよう配慮とも言えましょう。

彼女はそこで、「もしも王様がよろしければ、今日、私が王様のために設ける宴会にハマンとご一緒にお越しください」と述べます。そして、「王とハマンはエステルが設けた宴会にやって来た」のですが、そこでもエステルは自分の願いを表明することを差し控えました。

「その酒宴の席上、王はエステルに」、「あなたは何を願っているのか……王国の半分でも、それをかなえてやろう」(5:6) と前回と同じように言いました。しかし人が自分の寛大さや権威を見せたいと願っているときには、その裏に大きな不安を隠している場合があります。

ですからエステルは、自分の願いを言う時期を遅らせた方が良いと判断したとも解釈できるかもしれません。ただ、最初からハマンを王とともに招いているところからすると、彼女は、王の心と同時にハマンの心を探ろうとしていたとも考えられます。

エステルは慎重にことばを選びながら、「私が願い、望んでいることは、もしも王さまのご好意を受けることができ、また王さまがよろしくて、私の願いをゆるし、私の望みをかなえていただけますなら、私が設ける宴会に、もう一度ハマンとご一緒にお越しください。そうすれば、明日、私は王様のおっしゃったとおりにいたします」と答えます (5:7、8)。

彼女は王の名で出された命令を撤回することの難しさや、ハマンの執念深さと危険性をよく知っていました。彼女は王の心を和らげることに集中しながら、ハマンの心を油断させようとしました。彼女は、驚くほどに男の愚かなプライドを熟知していたのではないでしょうか。

「人の望むものは、人の変わらぬ愛(人の誠実さ)である:(ESV訳:What is desired in a man is steadfast love)」(箴言19:22新改訳第三版) と記されていましたが、自分の願いを訴える前に、相手の心の奥底にある願いに心の耳を傾けようとすることが何よりも大切です。

そして、ハマンのような明らかな「敵」に対しても、その敵の気持ちに寄り添って安心感を与えることこそ、敵に勝利する秘訣と言えましょう。中国の孫子は、「彼を知り己を知らば百戦危うからず」と言いましたが、エステルはそのようなことばが記録され知られるようになるはるか前に、それを実践していたと言えましょう。宴会は相手を知る最大のチャンスとなります。

2.「この進言はハマンの気に入ったので、彼はその柱を立てさせた」

そして、彼女の狙い通り、「ハマンはその日、喜び上機嫌で去って行った」と描かれます (5:9)。ところがその帰り道、「王の門のところにいるモルデカイが立ち上がろうともせず、身動き(震え)もしないのを見て、モルデカイに対する憤りに満たされ」ます。

しかし、「ハマンは我慢して家に帰り」ます (5:10)。それにしても、モルデカイはつい昨日まで、荒布をまとい灰をかぶって嘆いていたはずです。彼はエステルから依頼された三日三晩の断食を終え、神のみわざに期待し、晴れやかな顔を見せていたのかもしれません。

それが何よりも、ハマンの気持ちを逆なでしてしまったのでしょう。ハマンはモルデカイが泣いて自分にすがってくることを半ば期待していたのかもしれません。モルデカイのハマンに対する態度は一貫しています。彼は神の前に泣いてすがることはしても、人に対して卑屈な態度を決して見せません。

ハマンは、「友人たちと妻ゼレシュを連れて来させ」、「自分の輝かしい富について、また子どもが大勢いることや、王が自分を重んじ、王の首長や家臣たちの上に自分を昇進させてくれたことなどをすべて彼らに話し」ながら (5:11)、今日の喜びを、「王妃エステルは、王妃が設けた宴会に、私のほかだれも王と一緒に来させなかった。明日も私は、王と一緒に王妃に招かれている」(5:12) と自慢します。

箴言12章23節には、「賢い人は知識を隠し、愚かな者は自分の愚かさを言いふらす」と記されますが、ハマンはエステルの宴会に招かれながら、彼女の心の痛みなどまったく知ろうともしませんでした。ただ、自分の自慢話を妻と友人たちに言い触らすばかりでした。

ただし、自慢をしたがる人は、プライドが非常に傷つきやすいものです。それは、自分の価値を、他人の評価によって測っているからです。

それでハマンは、自分の不満を、「しかし、私が、王の門のところに座っているあのユダヤ人モルデカイを見なければならない間は、これら一切のことも私には何の役にも立たない」(5:13) と表現します。これこそ人間の心理でしょう。どんなに多くの称賛を得ていても、たった一人の批判によって心が萎えてしまいます。

それを聞いた、「彼の妻ゼレシュと彼の友人たちは」、彼に向かって恐ろしい提案をして、「高さ五十キュビトの柱を立てさせて、明日の朝、王に話して、モルデカイをそれにかけるようにしなさい。それから、王と一緒に、喜んでその宴会にお出かけなさい」と言います (5:14)。

これは、23m(七、八階建ての建物に相当)の柱を立て、モルデカイを殺してさらし者にするという残酷な提案です。妻と友人たちは、ハマンに自分の権威を最大限に用いて、目の前の懸念材料を消すことを勧めました。

しかし、これは実に愚かな提案です。本来、人の上に立つ者は、何よりも人々の中傷や誤解に耐えることが求められます。なぜなら、批判者を排除してしまうなら、都合の良い情報しか聞こうとしないという姿勢を内外にアピールし、自分のまわりにある様々な懸念材料に盲目になってしまうことになるからです。

ところが、有頂天になったハマンには、その危険がまったくわかっていません。彼は批判者を消そうとすることによって自滅への道を大きく踏み出してしまいます。そのことが、「ハマンはこの進言が気に入ったので、その柱を立てさせた」と、愚かなプライドに囚われた決断が記されます。

箴言26章27節には、「穴を掘る者は、自分がその穴に陥り、石を転がす者は、自分の上にそれを転がす」と記されます。この時点で、ハマンは自分が立てさせた柱に、自分がさらし者にされることなど思いもよりませんでした。

しかし、批判者の口を閉じようとする人は、自滅に踏み出しています。それは歴史の常と言えましょう。

3.「ハマンは嘆いて、頭をおおい、急いで家に帰った」

ハマンが高い柱を立てさせた時、モルデカイの命は風前の灯でした。しかし6章の冒頭では、「その夜、王は眠れなかったので、記録の書、年代記を持って来るように命じた。そしてそれは王の前で読まれた」と描かれます。

エステル記には神の名が一度も登場しませんが、主 (ヤハウェ) は夜の間にすべてを逆転させる方向へと王の心を動かされました。

詩篇77篇4–6節には「あなたはこの目のまぶたを開いたままにさせる。私は混乱し、話すこともできない。私は、昔の日々、遠い昔の年々を思い返し……私の霊は、答えを探り求める」という祈りが描かれますが、神は異教徒の王の心に混乱と探究心を起こされました。

そして王の秘書官が昔の記録を読み上げる中で、「入口を守っていた王の二人の宦官ビグタナとテレシュが、クセルクセス王を殺そうとしていることをモルデカイが報告した、と書かれているのが見つけられたと記されます。

それで王は「このことで、栄誉とか昇進とか、何かモルデカイに与えたか」と尋ねますが、「王に仕える侍従たちは」は彼には何もしていません」と答えました (6:3)。

ここでは「彼には」ということばが印象的です。なぜなら、この事件で誰よりも昇進したのは皮肉にも、ユダヤ人の「敵」ハマンであったからです。王はこのときになって初めてモルデカイの名を耳にしたのではないでしょうか。

そのとき、「ちょうどハマンが、モルデカイのために準備した柱に彼をかけることを王に上奏しようと、王宮の外庭に入って来たと描かれます。ここに神による時の支配が見られます。

王はハマンを招き入れ「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう」(6:6) と尋ねます。それに対し「ハマンは自分の心に言った、王が栄誉を与えたいと思う者とは、私以外にだれがいるだろう」と記されます。

それで彼は自分の望みを思い浮かべながら、「王が栄誉を与えたいと思われる人のためには、王が着ておられた王服を持って来て、また、王の乗られた馬を、その頭に王冠をつけて引いて来るようにしてください。その王服と馬を、貴族である王の首長の一人の手に渡し、王が栄誉を与えたいと思われる人に王服を着させ、その人を馬に乗せて都の広場に導き、彼の前で『王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである』と宣言させてください」(6:7–9) と途方もないことを言います。

「王服」を着て、王だけのための王冠をつけた馬に乗るとは、人々の前で自分を王とすることに他なりません。彼はそれがどれほど危険な提案かを理解していたのでしょうか。彼はそれによって自分が王に取って代わろうとするということをアピールすることになるのです。

しかし、心が高ぶってしまった彼にはその危険が見えなくなっていました。

箴言16章18節には、「高慢は破滅に先立ち、高ぶった霊は挫折に先立つ」と記されますが、高慢になると周りの人の気持ちが理解できず、押し寄せる危険も見えなくなります。

高慢とは、見るべきものを見なくなることに他なりません。高慢の反対は、自分の能力や知恵を過小評価することでも、また遠慮深くなりすぎることでもありません。高慢の根本とは、創造主のみわざが見えなくなるとともに、人の価値や尊厳が見えなくなることです。

ハマンは王の心も見えなくなっていました。ただし、自分の能力を最大限に生かし、堂々と自分の意見を表明できることは大切です。それは決して高慢になることではありません。

そこで王の口から驚くべきことが告げられます。それは「あなたが言ったとおりに、すぐ王服と馬を取って来て、王の門のところに座っているユダヤ人モルデカイにそのようにしなさい」(6:10) という命令でした。

ここで王は「ユダヤ人モルデカイ」と呼んでいます。王は無意識にそう呼んだのかもしれませんが、ここに神の圧倒的なご支配を見ることができます。

そればかりか、王は、彼の心を見透かしたような皮肉を込めて、「あなたの言ったことを一つも怠ってはならない」と付け加えました。これは王が、ハマンの傲慢さを不愉快に思い、彼に見切りをつけたという気持ちを表しているとも言えましょう。愚かな王にでも、ハマンの危なさが見えたことでしょう。

それにしても、これによってハマンが自分に与えられると思っていた恩賞を、彼自身が憎み切っているユダヤ人モルデカイの上に、一つも違えずに実現させなければならないことになりました。ハマンはモルデカイが自分を恐れようともしないことに腹を立てていたのですが、ハマンは人々の前でモルデカイを自分にとっての主人であるかのように紹介せざるを得なくなったのです。

その後、「ハマンは王服と馬を取って来て、モルデカイに着せ、彼を馬に乗せて都の広場に導き」、その前で「王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである」と叫ぶことになりました (6:11)。

その後の二人が対照的に、「それからモルデカイは王の門に戻ったが、ハマンは嘆き悲しんで、頭をおおい、急いで家に帰った」と描かれます (6:12)。モルデカイは二日前まで、荒布をまとい灰をかぶって嘆いていたのに、今は、王服を着て、王の馬に乗りました。ここに二人の立場の逆転が劇的に描かれています。

そして、その後のことが、「ハマンは自分の身に起こったことの一部始終を、妻ゼレシュと彼のすべての友人たちに話した。

すると、知恵のある者たちと妻ゼレシュは彼に」、「もし、このモルデカイがユダヤ民族の一人であるなら、その彼にあなたは敗れかけていますが、あなたはもう彼に勝つことはできません。必ずやあなたは敗れるでしょう」と言ったと記されます (6:13)。

これは不思議です。彼らは先には、ユダヤ人モルデカイを木にかけるように進言したのに、ここでは、ユダヤ民族には勝つことができないと語っているからです。まさにこのことばは、主ご自身がハマンの妻ゼレシュの口を通して語られた真理とも言えましょう。ギリシャ語七十人訳では、「生ける神が彼と共におられるからです」と追記されています。

どちらにしても、妻や友人たち自身も、自分たちの立場が非常に危うくなっていることに焦りを覚えたのは確かでしょう。モルデカイは誰にも取り入ろうとせず、誰をも陥れようともしていません。

彼は、自分の手柄によってクーデター計画が未然に塞がれ、王の命が守られたということを自慢もしていなかれば、自分に恩賞がなかったことへの不満を訴えてもいません。彼はあらゆる意味でハマンとは対照的です。

そして彼がユダヤ人絶滅計画を差し止めるためにしたことは、荒布をまとい、灰をかぶって、主に嘆きながら訴えたことだけです。人々はエステルとモルデカイの結びつきも知りません。彼らの目に映ったのは、ユダヤ人の神は、ユダヤ人の願いに耳を傾け、道を開いてくださる方であるという一点だけです。

私たちにとっても最大の証しとは、「主を信じることでこんな大きなことができた」と、自分の働きをアピールすることではなく、人々の前でも恥じることなく、主にすがっている姿勢を見せることでしょう。

そのような状況下で、「彼らがまだハマンと話しているうちに、王の宦官たちがやって来て、ハマンを急がせて、エステルの設けた宴会に連れて行った」と次の展開が描かれます (6:14)。

ハマンは王の宦官に急かされながら、失意のうちに、エステルの宴会に向かって行きます。そして、そこにハマンの滅亡が待っていました。それをこの時点では誰も知りませんでしたが、主がその道を備えていたのです。

ハマンとモルデカイはいろんな意味で対照的です。それが箴言18章12節では「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ」と記されています。

モルデカイは、恩賞を受けられなくても不平を言わず、ハマンの前で卑屈になってもいません。それは全能の神のご支配を信じていたからです。

一方、ハマンは、王妃の宴会に王と共に招かれたという自分の功績でもないことまでをも自慢の種にし、エステルの気持ちを洞察しないばかりか、王の心に疑念を抱かせるような恩賞を平気で求めました。

ギリシャ語七十人訳とは違い、ヘブル語聖典には一言も神の名が登場しませんが、神のみわざはハマンが高慢になるのにまかせたことの中に現されています。それは詩篇73篇18、19節に「まことに あなたは彼らを滑りやすい所に置き 彼らを滅びに突き落とされます。ああ 彼らは瞬く間に滅ぼされ 突然の恐怖で 滅ぼし尽くされます」と記されている通りです。

人が有頂天になっているとき、神のさばきが用意されているのかもしれません。それは驚くほど瞬く間に起きることです。ただし、傲慢も謙遜も関係の中でしか測ることができない概念で、自分の謙遜を意識したとたん傲慢になっているという皮肉もあります。

問われていることは、今ここにある神のご支配を見ることと、目の前の人の気持ちに心が反応できるかという敏感さにあるとも言えましょう。神の支配を忘れ、人を人とも思えなくなることが傲慢なのです。

ハマンは、モルデカイが自分を恐れないことに腹を立て、策を立てることで、自滅への道を踏み出しました。私たちの心の中にも、ハマンのような愚かさが宿っています。

それが詩篇73篇22節では、「私は愚かで考えもなく あなたの前で 獣のようでした」と描いています。ハマンの失敗から学ぶことができる者は幸いです。