死にたい気持ちを祈る〜ヨブ記2、3章

この数日間、テレビでは有名芸能人の自死の報道に多くの時間が割かれています。亡くなられた方を悼む気持ちは大切ですが、「その方が、いかに立派な生き方をしてきたか……」と、過度にその方の人生を美化するような報じられ方がなされることには、首をかしげざるを得ません。それは、「このように立派な人でも、自死するのだから、私も死んでもいいのでは……」という雰囲気を社会全体に広げるからと言われます。コロナでの閉塞感の中、自死の連鎖を生み出しはしないか、心配です。

聖書のヨブ記で、ヨブが神のご支配の中でサタンの攻撃を受け、子どもたちを一挙に失ったばかりか、悪性の種物に打たれ、耐え難い苦しみを味わいます。

そのような中で、ヨブの妻は、「あなたはそれでも自分の誠実さを堅く保とうとしているのですか(まだ完全さに固執しようとするのですか)。神を呪って死になさい」と驚くべきことを言います (2:9)。

これは悪女のつぶやきの典型とも解釈できますが、ヨブの妻は、彼と同じようにすべての財産や家族を失い、また今は、自分の夫が恐ろしい病にかかっているのを傍らで見ていながら、ヨブがなお誠実さを保とうとしていることにやるせない気持ちを味わっていたのかと思います。しかも、彼女は、直感的に「この病の原因は神にある」と悟っているのです。恐ろしい洞察力と言えましょう。そればかりか、今のヨブの状況は、長生きすればするほど苦しみが増し加わりますから、神に別れを告げて、すべてを終わらせた方が楽にも思えます。

ですから、ヨブの妻のことばは、「そんなに苦しいなら、神様のことなんか忘れて、一緒に死にましょう……」という自死、または一家心中への招きとも受けとることができます。これは人間的には極めて合理的な応答です。ヨブの妻は、夫の気持ちを汲み取ってこのように言ったのかもしれません。しかし、「神を呪う」ことこそ、サタンがヨブに苦難を与えた目的でした。その意味でヨブの妻の反応こそ、サタンが何よりも望んでいたことです。サタンの誘惑は、意外に私たちにとって身近な感覚と言えましょう。

それに対し、ヨブの3章でのことばは何とも不思議です。3章1節では、「そのようなことがあった後、ヨブは口を開いて自分の生まれた日を呪った」と描かれます。そして3節でヨブは、「私が生まれた日は滅び失せよ。また『男の子が宿った』と言われたその夜も」と述べます。まさに彼は自分の生まれた日も夜も呪ったのです。さらに9、10節では「その夜明けの星は暗くなれ……その日が、私をはらんだ胎の戸を閉ざさなかったから」と記されます。本来、誕生の瞬間は、夜明けの星が輝く喜びの瞬間なのですが、その星が暗くなることを望みながら、「胎の戸」が閉ざされずに自分が生まれたことが不幸の始まりだと嘆いているのです。

これは、ヨブが現在の激しい痛みのゆえに、「生まれてこない方が良かった」と心から嘆いているという意味です。

そして3章20–26節には、さらにヨブが死を恋い焦がれる気持ちが描かれます。ここでも20節の「なぜ」が26節までの文章を支配します。まず「なぜ、苦悩する者に光が与えられるのか、心の痛んだ者にいのちが……」と問われます。それは「光」や「いのち」が、苦しみを増し加える舞台になっているからです。だからこそ、そこで苦悩する者、心の痛んだ者は「死を待ち望む」(3:21) のです。ただし、願ったようには「死はやって来ません」そこでは、さらに彼らは「隠された宝にまさって死を探し求める」と記されます。そして24、25節では、「まことに、食物の代わりに嘆きが私に来て、私のうめきは水のようにあふれ出る。私がおびえていたもの、それが私を襲い、私が恐れていたもの、それが降りかかったからだ」と、「おびえ」と「恐れ」に圧倒されているようすが描かれます。

最後に24節では、自分に「安らぎ」も「休み」も「憩い」もなく、すべてが「混乱している」ことが最後に強調されています。

まさに、これらの箇所では、「早く死んでしまいたい」という「死を待ち望む」気持ちが切々と述べられているのです。

ヨブの妻は、早く一緒に死んでしまいたいという気持ちをストレートに述べました。それに対し、ヨブは、創造主である神に向かって、「早く死んでしまいたい……」と、死を憧れるような気持ちを必死に訴えています。

自分で自分のいのちを絶つことと、神に向かって、「早く死にたい……」と願うことには天地の差があります。神に自分の正直な気持ちを訴えることこそ、最も神に喜ばれる祈りだからです。親であれば、自分の子どもの本音を聞きたいと願うことでしょう。本音が言われたときに初めて、そこで、きれいごとではない、ちがった見方を指し示すことができます。

ヨブが自分の死を必死に願うようなことを言ったことは、これから四十の章にもわたって繰り広げられる、友との、また神との対話の始まりでした。神様はただじっと、ヨブの嘆きを聞き続けた後に、ヨブが苦しみにあった理由に関しては沈黙したまま、ただ、神がどれだけヨブを大切に思っているか……ということだけを明らかにします。

ヨブの苦しみは、彼にとっては理由がわからなままでしたが、最後に、「あなたには、すべてのことができること、どのような計画も不可能でないことを、私は知りました」(42:2) という告白に至ります。彼は自分が全能の神の御手の中で生かされていることを知ったことで満足したのです。そこから、ヨブの幸いな生活が再びスタートします。

興味深いのは、ヨブは最初、一挙に七人の息子と三人の娘を失ったと記されていましたが、最後に、ヨブは再び、「息子七人、娘三人を持った」と描かれます。これは、「神を呪って死になさい」と語りかけた妻との間に新たに与えられた子どもだと思われます。

ヨブは、自死を勧めた妻と、一緒に生きることができるようになったのです。