御霊の現れ——母の日

当教会では最近、イースターやクリスマス祝会を、対面とZoomで行い、最後に動画を作成しております。限定公開ですが、ご希望の方には開き方をご案内できますので、ご遠慮なく ください。

最近できたイースター祝会の動画を見て、とっても嬉しくなりました。「新しい創造」の喜びがいろんな形で現れています。

大人も子どもたちも、自分の中に眠っていた賜物を発見して喜んでいるようすが見えて改めて、主にこの教会の存在を感謝できました。

私たちは「賜物」というと、何か、目立つような才能をイメージしがちですが、愛の交わりの形成に用いられるありとあらゆる賜物があります。

たとえば、多忙な現代に最も求められているものは「傾聴の賜物」かもしれません。クリスチャンはときに、いつも何かのアドバイスをしたくなる誘惑に駆られますが、この社会は、アドバイスに困ることはありません。ネットを調べればありとあらゆる気の利いた役立つ情報にあふれています。

しかし、本当に意味で、その人の心の奥底にある悩みを聞くことができる人は多くはいません。たとえば、何かの相談を受けた時、すぐに答えを捜そうとする代わりに、「なぜ、この方は、私に、この相談をしようと思ったのか……」という背景をきちんと把握することなく、すぐに何かのことばを発することは差し控えるべきでしょう。目の前の人は、本当の悩みを、この人に打ち明けて良いかどうか、迷っている場合も数多くあるからです。

また、人と接する機会が限られている人でも、他者のためにお祈りすることができます。たとえば、僕の母と同じ年のご老人が、「いつも、先生のお母様のためにお祈りしていますよ」などと言ってくださると、ほんとうに嬉しくなります。

聖書によると、クリスチャンで賜物が与えられていない人はだれもいません。一人ひとりが何らかの賜物を与えられています。それは以下のように記されているとおりです。

賜物はいろいろありますが、与える方は同じ御霊です。
奉仕にはいろいろありますが、仕える相手は同じ主です。
働きにはいろいろありますが、同じ神がすべての人の中で、すべての働きをなさいます。
皆の益となるために、一人ひとりに御霊の現れが与えられているのです
Ⅰコリント12:4–7

この箇所では、聖霊、主イエス、父なる神と普通と反対の順番に働きが描かれ、最後に、「皆の益となるため」の御霊の賜物が改めて描かれているということです。

それにしてもパウロがコリントの教会に対してこのような賜物についての話を書いたのは、同教会が現在の都会の教会と同じように、「目立つ賜物」ばかりに目が向かっていたからです。人は、いつも他者と比較して自分を誇ったりします。

たとえば今度の日曜日は「母の日」ですが、以前、当教会では「母の日」にお子さんをお持ちのお母様にプレゼントをするというようなことをしていましたが、あるときからそれを止めました。なぜなら、未婚の方やお子さんのいない方が、何か寂しい思いを味わうのは本来の母の日の趣旨と異なるということが分かったからです。

以下は、ウィキペディアからの母の日の説明です

母の日の由来にはいろいろな説があるが、アメリカで起こったとされる説が一般的。1907年、アメリカに住んでいた女性、アンナ・ジャービスが、苦労の末、自分を懸命に育ててくれた母の死を悼み、母親が好きだった白いカーネーションを教会に飾ったのが発端とされている。

これをきっかけに、全米に母に感謝する動きが広まり、14年、アメリカ合衆国議会は、5月の第2日曜日を「母の日」と制定。アンナの母が亡くなったのが5月9日(第2日曜日)だったことから、この日に定められた。

以後、母の日には、母親が元気な場合は赤いカーネーションを、亡くなっている場合は白いカーネーションを胸に飾るようになり、やがてプレゼントとしてカーネーションを贈る風習へとつながっていった。

亡くなったお母様を思うために「白いカーネーション」を教会に飾ったのが出発点です。私たちはみな例外なく、一人の女性から生まれてきています。生みの母と育ての母が違う場合もありますが、お母様のいない人はいません。

そして、母親に感謝できることと、自分自身に与えられている賜物に気づくということには深い関係があります。どんなにひどい母親であったとしても、母親を喜び感謝できるということは自
分の存在の起源を喜ぶことに他なりません。ですから、母親を喜ぶことと、自分の体形や性格、賜物を喜ぶということは不可分の関係にあります。聖書は驚くほど簡潔に、あなたの幸福と父母を敬うことを結び付けて次のように記しています。

「あなたの父と母を敬え。」これは約束を伴う第一の戒めです。「そうすれば、あなたは幸せになり、その土地であなたの日々は長く続く」と言う約束です
エペソ6:2、3