今日の聖書の黙想

北京での冬季オリンピックの開会式を見ました。その科学技術のパーフォーマンスに感心しました。その色彩の美しさにも……

しかし、予想したことではありましたが、人間の個性とか人格を抑圧する共産主義思想の影響を感じさせられました。

個人の人格とか個性とかほとんど見えてきませんでした。最近の開会式で歌われる定番となったジョン・レノンのイマジンという曲すら、没個性で歌われていたように感じました。

唯一、人格が感じられたのは、東京オリンピックで評判を落としたバッハ会長のお話し……そこには、彼の心から生まれるオリンピック精神が語られ、そして多くのアスリートがそれに拍手で応答していました。

でも不思議だったのは、バッハ会長の背後に映っていた何人もの若者の顔です。表面的な笑顔が映っているのですが、何とも悲しいほどの作り笑いであることが誰の目にも明らかでした。

子どもが心から笑っている姿が見えたと思ったら、ほとんど同じような転び方をする場面が映されて画一化されていました。

ふと聖書の記事を思い起しました。イエス様に、死人の復活についてサドカイ人が意地悪な質問をしました。そのときイエスは次のように答えられました

死人がよみがえることについては、モーセの書にある柴の箇所で、神がモーセにどう語られたか、あなたがたは読んだことがないのですか。

「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」とあります。

神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。
あなたがたは大変な思い違いをしています
マルコ12:26、27

これは、イエスが死人の復活について語っているようでありながら、神がご自身のことを、荒野で羊の番をしているモーセ一人に対して、彼の人生のその場面にご自身を明らかにしたこと、また、神がご自身をモーセに明らかにする時にも、アブラハム個人の人生に現れた神、また、イサク、ヤコブそれぞれの人生に現れた神としてご自身を紹介しておられるということです。

神はご自身を抽象的な真理として啓示しておられるのではありません。

アブラハムという具体的な一人の人に神はご自身を現わされました。アブラハムの人生やヤコブのあの波乱に満ちた人生と神の啓示は切り離せません。

同じように神は、あなた一人に関心を持っておられます。

日本にもあの中国共産党と同じように、人間を抽象化、普遍化、没個性化する思想の影響があります。

それに対し、私たちは一人ひとりの個人の人生に関心を寄せてくださる創造主なる神に目を向けてい行きたいものです。