海軍大将山本五十六が中心になって立てられた計画と言われますが、どうしても腑に落ちないことがあります。山本は、第一次大戦を体験した米英の国民が戦争を避けたがっている気持ちをよく理解していました。それで短期決戦で米国を圧倒し、日本の南方からの石油資源確保の道が開かれたら、休戦できると考えていたと言われています。もちろん、戦線布告なき奇襲攻撃となったのは、日本の外務省とハワイ領事館の手違いということはあったにせよ、そればかりが問題悪化の原因とは言えません。
ところが、真珠湾奇襲攻撃は、米国民の間にリメンバー・パールハーバーという合言葉を作り出し、正義のためにいのちを賭けて戦うという驚くべき戦意高揚をもたらしました。米国では今日も、真珠湾攻撃を思い起す記念祭を大々的に開いています。もともと、当時の米国は日本の中国侵攻を不正義な行為として非難していました。多くの日本人からしたら植民地支配を正当化してきた英米にそんなことを言う資格はないと思えましたが、第一次大戦後、英米の価値観は大きく変わりつつありました。それが当時の国際連盟などに現れていました。
キリスト教的な価値観の中には、正義のための戦いは厳然と存在しています。たとえば、下記の詩篇34篇でも、「平和を求め、追い続けよ」と記されながら、その直前には、「悪を離れ、善を行え」と命じられ、その最後では、「主 (ヤハウェ) の御顔は悪をなす者に立ち向かい、彼らの記憶を 地から消し去る」と記されています。
来なさい。子たちよ。私に聞きなさい。
主 (ヤハウェ) を恐れることを教えよう。
だれでも、いのちを喜び、
幸いな日々が続くのを望むなら、
舌に悪口を言わせず、
唇に欺きを語らせず、
悪を離れ、善を行い、
平和を求め、追い続けよ。
主 (ヤハウェ) の目は正しい人を顧み、
その耳は彼らの叫びに傾けられる。
主 (ヤハウェ) の 御顔は悪をなす者に立ち向かい、
彼らの記憶を地から消し去る。
また、新約でもエペソ6章11節では、「悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に付けなさい」と記され、そこからサタンとの霊的な戦いの臨むことが命じられています。もちろん、そこで私たちが攻撃に用いるのは、神のことばという「御霊の剣」であって、剣を持って戦うことを正当化できる箇所ではありません。しかし、それでも、私たちは時に、いのちを賭けてでも不正と戦う必要があると言っていることは確かです。
真珠湾攻撃によって、米国人は日本人の正義感を徹底的に軽蔑するようになりました。その前から、日本の満州支配、中国侵攻は不正義に満ちた卑劣な行為だという世論がありました。真珠湾攻撃は米国民の正義感に火をつけました。その前から、米国政府はドイツの欧州支配を食い止めようと願いながら、米国民の厭戦気分に困り果てていましたから、日本の真珠湾攻撃は、米国政府にとっても国民を正義の戦いのために導く格好の材料になりました。
山本五十六や海軍の指導者が、緒戦の勝利で、米国民に厭戦気分を生み出すことができると本当に信じていたとしたら、海外事情を知ると言いながら何という政治音痴だったのかと言わざるを得ません。
本当に不思議です。