変えられるべき恥の感覚〜ローマ人への手紙から

先日、友人から日本社会での障がい者の方々への対応の問題を指摘されて、はっとさせられました。それは、「日本は欧米と全く逆の事をしているとの事でした。いかに障害者を社会参画させるかではなく、いかに、憐れんで、保護して、隔離するか?」だとのことです。ご興味のある方は、以下の本がお勧めとのことです

上記のことばは、横浜国立大学工学部教授の川内美彦さんが、「車椅子から見える社会」という講演で語っておられたとのことです。

今週木曜日、12月9日14時から、立川市役所2階で、“バリアフルライフ”(30分の短編映画)の上映と、その後、山村監督や俳優と車椅子の方々との討論会があり、16時頃終了とのことです。どなたでも参加できます。

多くの日本人は他の人と同じであることに安心感を抱きがちです。しかし、当然のことながらみんな何らかの問題を抱えながら生きています。その問題が大きく見えるときに、人は自分が社会の枠から外れていると思って、その意識に恥の感覚を覚えるのかもしれません。

しかし、大切なのは、互いのユニークさを認め、その人の障がいも個性の一部として認め、互いに助け合うことかと思わされます。

僕は神学校での卒論で、恥の感覚の変化から、神の救いを見ることができるという趣旨のことを書きました。たとえば、ローマ人への手紙1章16節で使徒パウロは、「私は福音を恥としません……福音は……信じるすべての人に救いをもたらす神の力です」と記しています。それは福音を分かち合う中で、当時の社会から異端者扱いされるという状況の中でのことです。

一方、パウロは、信仰に導かれた人が、それまでの社会での不道徳な生き方を恥じなかった者が、自由な性を求める生き方や偶像礼拝などを「今では恥ずかしく思っている」(6章21節) という変化が起こっていると語りました。

つまり、クリスチャンは、社会では恥とされないことを、神の視点から恥を覚えるというように、恥の感覚が変えられた者であるというのです。

その点で、面白い番組を紹介されました。様々な病のため人口肛門や人口膀胱を着けるようになった方が、自分たちのことをオストメイトと呼んでおられますが、エマ・大辻さんというお医者さんが、オストメイトのモデルとして、ご自分を紹介しながら、オストメイトの方々への理解を広げる活動を始めております。

その方の特集が、ザ・ヒューマン「オストメイトモデル エマ・大辻・ピックルス 私が“モデル”になった理由」として NHK BS-1 で放映されています。すでに二回放映されていますが、今日の午後5時からも NHK BS で報道されます。39分間の番組です。

彼女は英国人の父と日本人の母の間に生まれてましたが、子どもの頃より胃腸が不全で、2019年に大腸全摘で、オストメイトになりました。日本には既に23万人程度のオストメイトがいますが、多くの方はそれを恥じて、人々からそれを隠して生きています。しかし、排泄物がたまったパウチを取り替えるには、身体障碍者用のトイレが必要です。その点で、車いすの方と共通の課題を抱えておられます。またパウチその他の費用に関しても、様々な保険適用の制限があるようです。

エマさんは自分がオストメイトになったことを最初は深く恥じていました。しかし、そのような生き方では、ますます日本の20万人を超えるオストメイトの方々の立場は変わらないと意を決して、自分の身をオープンにして、啓発活動を始めています。そこには医療に携わる者としての情熱もあったと思います。

そのことに関して、NHK が三度にもわたって同じ番組を放映するということになりました。今ごろになってすみませんが、録画可能な方はぜひ今からでも録画してご覧ください。

私たちはもっと自分の問題をオープンにして良いとだと思います。人には必ず、その問題を補う様々な生きる力が与えられています。その部分こそが、その人の大きな力となっていると思います。

僕の場合も、自分の神経症的な生き難さと、セットに忍耐力とか集中力が与えられていると気づいた時から、多くの本を書いたり、このようなメールを書き続けるということに導かれています。

自分が抱えている課題を恥じることなく、そこに神の憐れみと力がそそがれていることを信じて、自分の個性を生かす生き方、それが閉塞感に満ちた日本社会を変える力になるのではないかなどと、大きなことを考えています。