私の時は御手の中にあります〜詩篇31:15—時を贖う必要

毎日、いろんなことが起きていますが、昨日、ドイツの新しい政権の連立交渉が成立したということをきっかけに、時間について考えています。

9月28日にドイツの総選挙の結果と連立協議について書きましたが、思ったとおりの展開になっています。社会民主党が首相を出し、緑の党と自由民主党が連立を組みます。メルケルさんはキリスト教民主党党首として16年間ドイツをリードして来ましたが、ついに退くことになりました。今回の連立協議では、第四党の自由民主党の政策が、最低賃金の上昇を願う社民党と、また、脱炭素社会の実現を急ぐ緑の党と相いれないことが問題になり、結局、二か月間も調整に時間がかかったということです。残念なのは、この三党に共通するのは伝統的なキリスト教価値観を軽視しているということです。その点で、キリスト教民主党と対照的です。

ただ、メルケルさんの前は約7年間社会民主党と緑の党の連立政権が七年間も続きましたから、今回も同じようなことになるかと思います。

とにかくドイツでは、連立協議に多大な時間をかけて、一度決めた枠組みは長期間保たれて行きます。それにしても、連立政権協議に二か月間もかける国が、どこにあるでしょうか。ドイツ人の時間の感覚は、日本人のものと大きく異なります。

ドイツで働いていたとき、ドイツ人に仕事を頼むと、いつものように、「時間の余裕がありません」という答えが返ってきました。日本人の感覚なら、残業してでも仕上げる……のが当たり前ですが、彼らの頭の中には、「残業して、または休日を返上してでも、仕事を仕上げる……」という感覚はまったくありません。就業時間を終えたら、一分も違わず職場を出る、または有給休暇は必ず消化するというのが、当然の権利としてあり、それを前提に仕事が進んで行きます。

それに対して日本では、「時間がありません」と答えると、「おまえは、この仕事の大切さがわかっていない……責任を放棄するのか……」という答えが返ってきそうで、「徹夜してでも仕上げる」ことが美徳とされます。

昔、ミヒャエルエンデの「モモ」という小説の時間泥棒の話しが、大きな話題になったことがあります。多くの日本人は、時間泥棒の犠牲者のように、寸暇を惜しんで仕事に励んでいます。いつも何かに追われている感じです。

このように書いている私自身も、いつも時間に追われています。七十歳近くにもなって、なんで、こんなに余裕がないのだろうと、いやになることがあります。それは、だれよりも、自分自身のせいですから、気持ちが滅入ります。

エペソ人への手紙5章15–17節には次のように記されています。

知恵のある者として、機会を十分に生かしなさい。悪い時代だからです。ですから、愚かにならないで、主のみこころがなんであるかを知りなさい。

ここで「機会を十分に生かしなさい」とは、NKJ訳では Redeeming the time「時を贖いなさい」とも訳されます。

私たちは知らないうちにサタンに時間を支配されているのかもしれません。

それに対し、詩篇31篇14、15節では次のように記されています。

主 (ヤハウェ) よ 私はあなたに信頼します。
私は告白します。
「あなたこそ、私の神です」
私の時は御手の中にあります。
私を救い出してください。
敵の手から、追い迫る者の手から。

「私の時が 神の御手にある」というところから、心の余裕が生まれるのかと思います。ちなみに、日本人は寸暇を惜しんで仕事に励んでいる割には、先進諸国の中では最低レベルの労働生産性しかありません。世界で一番労働生産性が高いのは、2018年の統計ではアイルランドです。一人一時間あたり、178ドルの生産をしているとのことです。ドイツは106ドル 日本は81ドルに過ぎません。

そのアイルランドの讃美歌集に次のような賛美が載っていました。とっても感動的な歌です。以下の YouTube でお聞きいただけます

歌詞は、以下のとおりの易しい英語です。味わっていただければ幸いです。

My times are in Thy hand;
My God, I wish them there;
My life, my friends, my soul I leave
Entirely to Thy care.

My times are in Thy hand;
Whatever they may be;
Pleasing or painful, dark or bright,
As best may seem to Thee.

My times are in Thy hand;
Why should I doubt or fear?
My Father’s hand will never cause
His child a needless tear.

My times are in Thy hand,
Jesus, the crucified!
Those hands my cruel sins had pierced
Are now my guard and guide.

My times are in Thy hand,
I’ll always trust in Thee;
And, after death, at Thy right hand
I shall forever be.

Words: William Freeman Lloyd, 1835.
Music: “Vigil (Albans),” St. Albans Tune Book, 187