ワクチン接種の是非を論じる際に〜ローマ14:15

現在、ヨーロッパ諸国でコロナ感染拡大が史上最高レベルを更新しており、オーストリアなどはワクチンの義務化を決定したとも伝えられています。メルケル首相在任中のドイツではそのような義務化はなされないと思いますが、他の諸国ではそのような議論も進みつつあるようです。

11月22日現在のワクチン部分接種率の統計によれば、日本は78.8%に達しているのに対し、米国は69.7%、ドイツは70.1%、英国は74.8%に留まっています。一方で、最近、感染の拡大が問題になっている韓国は82.5%にも達しています。米、英、独とも根強いワクチン反対運動があります。

ワクチンの効果に関しては科学的なデータがあり、またワクチン接種が社会全体のためになるということは、かなり実証されていることとは思いますが、それが義務化……などということになるとまったく別の問題になります。

それは少数者の人権を守るということです。人によっては様々な理由でワクチン接種を躊躇したり拒絶することがあります。それを一人ひとりの事情の正統性を確認するような手続きは、ときにプライバシーの侵害になります。

日本の教会では、まだ入館の際にワクチンパスポートを求めるようなことを議論するようなことはないと思いますが、ワクチン接種の是非が議論になる可能性はいつもあります。私たちがそこで注意すべきなのは、互いの意見をさばくことがないようにという配慮です。

使徒パウロがローマの教会に手紙を書いた背景の一つには、食物律法を厳格に守ろうとするユダヤ人クリスチャンに対する批判がありました。

それに対してパウロは、次のように記しています

もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているなら、あなたはもはや愛によって歩んではいません。キリストが代わりに死んでくださった、そのような人を、あなたの食べ物のことで滅ぼさないでください。ですから、あなたが良いとしていることで、悪く言われないようにしなさい。
ローマ14:15、16

この「食べ物」ということばをワクチン接種と置き換えて議論することの是非に関してはいろんな見解があり得ると思います。ただ、それぞれが確信していることを、心理的な圧力によって変えようということはあってはならないことです。私たち福音自由教会の伝統では、「良心の自由」を何よりも尊重します。

キリストにある「救い」以外のことに関してはそれぞれの政治見解からワクチン接種の是非まで、それぞれの確信が最大限尊重される必要があります。

ワクチン接種義務化、ワクチンパスポートの採用……などの議論を見る際に、一つの参考にしていただければ幸いです。