王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。それは、私たちがいつも敬虔で品位を保ち、平安で落ち着いた生活をするためです
Ⅰテモテ2:1、2
ここでの「王たちと高い地位にある人たち」とは政治権力者のことです。当時のクリスチャンは彼らから迫害を受ける可能性がありました。ある意味で、自分たちの敵になり得る人々です。
しかし、権力者が平安でいられることが、私たちの平安につながるという意味で、「とりなし、感謝をささげる」ように勧められているのです。
昨日、菅総理大臣が、自民党総裁選に出馬せずに、任期満了で辞任するとの報道があり、政治が大きく動き出しています。
自民党総裁の任期は3年のはずですが、昨年の安倍前総理の突然の辞任をうけての特例措置として、たった一年後に総裁選挙になっています。
多くの先進諸国では、このような場合、現職を維持したまま総選挙に臨み、国民の信託が得られなければ政権交代になります。そうならないシステムを自民党が考えて、結果的に自民党長期政権になっていますが、今回はその矛盾が現れました。
だいたい、衆議院が4年の任期満了も待たずに首相の判断で解散総選挙が何度もできること自体が異常な形とも言えます。
日本のシステムは強い権力者の台頭を望まずに、すべてを村社会の合意の中で進めようとします。指導者はひたすらみんなの意見を聞いて、村社会の一致を保つことが求められます。
そのため、菅総理が一年間、ほとんど休暇を取れないという事態になります。国会でも野党からの大局的な政治と無関係な質問に必死に答える必要があります。
日本ほど休暇を取ることがままならない総理大臣もいないと思います。みんなすぐに疲弊してゆきます。
ドイツの例を出すのも気が引けますが、第二次大戦後のドイツの首相はたった8人しかいません。平均在任期間が9年です。東西ドイツの統合に力を注いだコール首相の在任期間は16年で、現在のメルケル首相も16年目に入っています。
日本の戦後は、吉田首相から計算しても首相を務めた方の人数は33名になり、平均在任期間がたったの2.27年に過ぎません。
イギリスの議院内閣制は300年前から始まっていますが、現代の首相は77代目です。平均在任期間は3.9年という計算になります。
一方、日本の場合は伊藤博文初代総理から136年目で100代目の内閣になろうとしています。日本の場合は、一人の首相のもとで、第……次安倍政権のような計算がなされるので、簡単に比較はできないにしても、それぞれの内閣が平均1.36年しか続いていない……というのは異常と言えましょう。
聖書の士師記には、「そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと思うことを行っていた」ということばが繰り返されます。
そして、サムエルが老人になったとき、人々は「どうか、今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください」(Ⅰサムエル8:5) と願うようになり、そこからサウルを経てダビデ王朝に至ります。
王は身勝手に権力を用いて民を搾取する存在になると警告されても、彼らは強い指導者がいて初めて国がまとまり、外国の侵略を退けることができると考えました。
実際、今も昔も、ある程度の強力な政権のもとで国がまとまっていなければ近隣諸国からの圧力を退けることはできません。
日本の場合は、島国特有のことがあったにせよ、グローバル経済のただ中で、ますます健全な安定した長期政権が立つことは非常に大切です。
私たちは政治を真っ向から批判する権利が与えられています。しかし、どの政治家が立っても、必ず不満は生まれます。
いつも権力者の足を引っ張るようなことをする代わりに、優しい、忍耐を持つ心で政治指導者を育てる必要もありましょう。
国際政治がますます大切になってくる中で、一年で変わるような政権では諸外国から相手にされません。
もっと政治指導者を優しい目で見る視点が、信仰者には求められているような気がしています。