アフガニスタン情勢「幻がなければ、民は好き勝手にふるまう。」

今日2021年8月31日の米軍のアフガニスタン撤収は、歴史的な日となることでしょう。ただ、それは決して、タリバン政権の勝利を喜ぶという意味ではありません。「米国は2001年9月11日の米同時多発テロ後の同年10月、国際テロ組織アルカイダを保護していたアフガニスタンのタリバン政権に対する攻撃を開始。同政権を打倒し、民主政権の樹立を支援した」ということから始まる米国軍のアフガニスタン駐留が終わりました。

これは、1955年11月1日から1975年4月30日のサイゴン陥落に至るベトナム戦争に匹敵する米国の敗北とも言えます。しかし、ベトナムより米国の駐留が長かったという意味で、米国にとっての最長の戦争が終わったと報じられています。

今回の米軍撤退の不始末は、確かにバイデン政権の問題でもありますが、それはその前のトランプ政権とバイデン政権との対話や引継ぎがなされていなかったことの悲劇でもありましょう。トランプ政権は、タリバン勢力と対話を続け、撤退に向けての合意を成り立たせていましたが、それがバイデン政権にきちんと引き継がれていなかったことが、問題とされています。トランプさんはバイデンさんの失策を厳しく責めていますが、バイデンさんとの対話と健全な政権移譲を不可能にしたのは、トランプさんの責任とも言えましょう。米国の共和党、民主党両勢力の争いが、このような不幸な撤退を招いてしまったと言えるかもしれません。

今朝、ふとしたことから、長州の幕末の志士、吉田松陰のことばに感銘を受けました。以下のことばです

夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。

吉田松陰は同時に、「草莽崛起(そうもうくっき)」を訴えました。それは、「今の幕府も諸侯(藩主)も、もはや酔っぱらいのようなものだから助けるすべがない。在野の人が立ち上がるのを望む以外に頼れるところはない」という意味だと言われます。

そして、民衆の中に共有できる夢やビジョンがなければ民衆レベルの協力は成り立ちません。

しかし、このようなビジョンや夢の共有の大切さは、三千年前の聖書に明確に記されています。

幻がなければ、民は好き勝手にふるまう。
しかし、みおしえ(トーラー:律法)を守る者は幸いである。
箴言29章18節

この「幻」の原語の、ハーザーということばは、「預言」と訳されることもありますが、預言には別のヘブル語が用いられており、このことばは「見る」ということばと深く関係しています。これは吉田松陰の言う「夢」に近いことばだと思われます。

米国は、アフガニスタンの人々に「民主主義」のヴィジョンを根付かせようと頑張りましたが、結果的には、米国が出した多くのお金は、アフガニスタンに群雄割拠する首長グループに流れただけだと言われます。兵士を雇ったと思っても、戦力とはなっていませんでした。

米国は、第二次大戦後のドイツや日本が、米国の同盟国としてすばらしい成長を遂げたという「成功体験」が外国への介入の正当化になっている面があったのでしょう。

しかし、第二次大戦直後のドイツにも日本にも、米国と共有できる民主主義的な価値観の広がりが歴史的に存在していました。日本の場合は、キリスト教国の枠にははまることはなかったにせよ、明治維新以降の多くの尊敬されるクリスチャンたちが社会に影響力を発揮し続けていました。

しかも、日本もドイツも、良し悪しは別として国民をまとめるある程度の共通土台がありました。たとえば、現代のドイツの国歌は、ナチスドイツ時代と同じものと言えます。その一番の「世界に冠たるドイツ国家」という歌詞はドイツの拡張路線を歌うものなので歌われることはありませんが、三番の歌詞を歌うということで、米国の反対を押し切ってそれが残されています。

日本の場合は、もちろん、「君が代」です。これは明らかな天皇賛歌とも解釈できますから、多くのクリスチャンが賛同できないのは当然と言えましょう。

しかし、それでも言いたいのは、多くの国民になんらかの共有できる土台があるということです。

聖書が描くビジョン(夢)とは「新しい天と新しい地」であり、そこに実現する状態は、シャローム(平和、平安、繁栄)ということばで表現されます。

それは、イザヤ65章17–25節、イザヤ11章6–10節に描かれています。それは天国というより、この地に平和が満ちて、弱肉強食が無くなり、すべての人が自分の労働の果実を喜び、それを共有できる社会です。

実は、共産主義とはそれを人間的な権力機構によって実現しようとするものに過ぎません。私たちは神ご自身が私たちの内側にその夢を与えてくださり、それを神ご自身のご支配を喜ぶ中で、徐々に実現する者と信じます。もちろん、その最終プロセスの中には、ハルマゲドンのような戦い (黙示16:16) もありますから、期待通りにシャロームの夢は実現されることはありませんが……

とにかく、私たちの「幻、ビジョン、夢」をどのような「理想」に置き換え、それを具体的な「計画」に落とし込めるか、それこそが人と人とが協力し合える土台と言えましょう。

意外な形で、聖書のことばが日本に影響力を与えていることに感心しています。そのようなことが、アフガニスタンにも起きることを期待しましょう。

アフガニスタンにも何人ものクリスチャンが地下に隠れていることを忘れずに、ともに祈りたいと思います。