平和を求め それを追い続けよ〜詩篇34篇 原爆の日

今日は76年前の広島にあの恐ろしい原爆が投下された日です。そして何とその三日後には、長崎に原爆が投下されました。

広島はウラン型、長崎はプルトニウム型でした。

広島でも長崎でも、その資料館では原爆を開発した のことが詳細に展示されています。

その開発に使われた費用は約20億ドル(2200億円)を超えると言われますが、それは何と、日本が太平洋戦争のために使った戦費2000億円を超えます。

原爆投下には多くの科学者たちの反対がありました。しかし、その開発に使われた費用の90%は、核分裂物質の製造のための工場などのプラント建設に使われたとのことです。

ドイツも日本も理論的には核爆弾の開発が可能だと考えていましたが、それを製造するための費用を賄うことができませんでした。

ただ、そのため膨大な費用をかけて開発した爆弾を使わないという選択肢はなかったというのが当時の政治的な必然性であったとも言えます。

僕は、広島、また長崎の展示を見て、アメリカ政府は日本人を人体実験に用いたとの気持ちを強くしました。警告のためであるなら市街地の中心になぜ投下する必要はありませんでした。しかも広島に投下したあとに、なぜわざわざまったく違うプルトニウム型を長崎に投下する必要があったのかと思います。

長崎の爆心地は東洋最大の教会堂と言われた浦上天主堂のすぐそばでした。そこに集っておられた信者の方々は、しかし、これらすべての中に、神の摂理を見ておられ、次のような告白をしておられます

信仰の自由なき日本において迫害の下四百年の殉教の血にまみれつつ信仰を守り通し、戦争中も永遠の平和に対する祈りを朝夕絶やさなかったわが浦上教会こそ、神の祭壇に献げられるべき唯一の潔き羊ではなかったでしょうか。

この羊の犠牲によって、今後さらに戦禍を被るはずであった幾千万の人々が救われたのであります……

主与えたまい、主取りたもう。主の御名は賛美せられよかし。この貴い犠牲によりて世界に平和が再来し、日本の信仰の自由が許可されたことに感謝します

とっても痛々しい信仰告白ですが、この貴い犠牲を決して無駄にしてはならないという覚悟と、亡くなれた方の犠牲に対する尊敬が感じられます。

長崎の原爆投下で、浦上天主堂は壊滅しましたが、不思議に聖堂の50メートルもあった尖塔の鐘が瓦礫の中で守られていました。その年のクリスマスイブに、その鐘が釣り上げられて鳴らされました。

原爆の一部始終を目撃し、その後、被災者の治療にあたってこられた永井隆博士はそのことを次のように記しています。

「カーン、カーン、カーン」澄みきった音が平和を祝福して伝わってくる。事変以来長いこと鳴らすことを禁じられた鐘だったが、もう二度と鳴らずの鐘になることがないように、世界の終わりのその日の朝まで平和の響きを伝えるように、「カーン、カーン、カーン」とまた鳴る。

人類よ、戦争を計画してくれるな。原子爆弾というものがある故に、戦争は人類に自殺行為にしかならないのだ。

原子野に泣く浦上人は世界に向かって叫ぶ。戦争をやめよ。ただ愛の掟に従って相互に協商せよ。浦上人は灰の中に伏して神に祈る。願わくば、この浦上をして最後の原子野たらしめたまえ。鐘はまだ鳴っている。
……

原爆を落としたのは、明らかな米国政府の罪です。それを正当化してはなりません。彼らは日本人を人間扱いしませんでした。もし日本人に対する尊敬が少しでもあったなら、そのようなことはできなかったはずです。

ただ、広島でも、長崎でも、それを赤裸々に展示しながら、不思議に、米国政府に対する憎しみにならないように展示されています。当時の日本も同じように周辺国を軽蔑し、米英を憎むように教育されてきました。

でも、浦上のクリスチャンたちは、そこに神の摂理を見て、ひたすら、自分たちの使命を自覚しています。

詩篇34篇12-14節には次のように記されています

いのちを喜びとする人はだれか。
幸せをみようと 日数の多いことを愛する人は。
あなたの舌に悪口を言わせず
唇に 欺きを語らせるな。
悪を離れて 善を行い
平和を求め それを追い続けよ

戦争は実は、互いに平和を必死に求めるところから始まっています。それは自分にとっての都合の良い平和ではありますが……ですから、大切なのは、平和と叫びながら、他人や権力者を非難する前に「いのちを喜び」合い、舌に悪口を言わせず目の前の悪を離れ、善を行う……ことの積み重ねなのかと思います。

人を人と思わないところから原爆投下は起きました。だからその犠牲を思う人は、目の前の人との平和を作り上げることを使命とすべきなのかと思わされました。

永井隆博士の「長崎の鐘」を多くの方々に読んでいただけたらと願っています。