クリスチャン生活とマラソン

聖書は人生をマラソン競技に例えて、「私たちも……一切の重荷とまつわりつく罪を捨てて、目の前に置かれている競争を、忍耐を持って走り続けようではありませんか、信仰の創始者であり完成者であるイエスを見続けながら。この方は、目の前に置かれた喜びのゆえに、辱めを軽蔑することによって十字架を耐え忍び、神の御座の右に着座されたのです」(ヘブル12:1–3私訳) と描いています。

コロナ感染者の重症者数が急増し、医療崩壊の可能性がでてきました。私たちはそのために心を合わせて祈りたいと思います。同時に互いに励まし合うとともに、日頃の体調管理を心がけたいと思います。デルタ株は驚くほど感染力が強いとともに、若年層も急な重症化の可能性があります。しかも、感染した方の後遺症が最近話題になっております。

ところで、今朝、女子マラソンの中継の一部を聞いていたら、「クラーク像の前を走っています」ということばを聞き、驚きました。今ごろになって気づいたのですが、マラソンコースの後半は何度か北海道大学のキャンパス内を走るのですね。下記の案内を聞くと、マラソンランナーはハルニレやイチョウの木陰の中を走ることができると紹介されていました。大学時代、いつも歩いていた場所です。以下でコースの案内をご覧いただけます。

とてつもなくマラソンを身近に感じてしまいました。それと同時に、冒頭に書きましたように、クリスチャン人生がマラソン競技に例えられていることに改めて感銘を受けました。

大切なのは、
身軽になって走ること
忍耐を持って走ること
信仰の創始者であり完成者であるイエスを見ながら走ること
復活の喜びを目の前に置きながら、この世の人々のからの辱めの声などを軽蔑しながら走ることです。

明日のメッセージでは、私たちの心が驚くほど傷つきやすいものであることを覚えながら、どのように祈ることができるかをともに考えます。

傷つきやすい心への福音。それを分かりやすく提示することを今、次の目標にしています。感想等、お寄せいただければ幸いです。