母の日〜詩篇139篇

まもなく母の日ですね。詩篇139篇12–16節には次のように記されています

あなたには、闇も暗くなく、夜は昼のように明るく、闇も光のようです。
それはあなたが、私の奥深い部分を造り、
母の胎のうちで組み立てられたからです。

私は感謝します。恐ろしいほどに、私は不思議に造られました。
みわざがどれほど不思議かを、このたましいはよく知っています。

私がひそかに造られ、地の深い所で織りあげられたとき、
この骨組みは、あなたに隠れてはいなかったのですから。
あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書にすべてが記されました。
私のために準備された日々が、一日も始まらないうちから。

僕の母は今、94歳で郷里の施設で暮らしています。

昨年以来、新型コロナ感染対策のために、母に会うことができていません。母のことを考えるだけで「胸が熱くなる」マザコン息子としては、心が痛みます。

以下の記事は、拙著「哀れみに胸を熱くする神ーヨシュア記から列王記解説」の導入の部分に書いたエピソードです。

皆さまお一人お一人に母の熱い思いがあると思いますが、お読みいただければ幸いです。

「胸が熱くなる」という表現は、Ⅰ列王記3章で、知恵に満ちたソロモンが、ひとりの子を奪い合うふたりの母のどちらが実の母親かを見分けるため、わざとその子を半分に切り裂いて分けるようにと命じたところ、実の母が、「自分の子を哀れに思って胸が熱くなり、『どうか、その生きている子をあの女にあげてください。決してその子を殺さないでください』と王に申し立てた」(二六節)という箇所にも見られます。この母のことばで、どちらが実の母であるかをソロモンは見分けることができました。

哀れみに胸を熱くする「母」ということで、聞き続けてきた話しがあります。私は1953年3月に北海道の大雪山のふもとで生まれました。大変な難産で、自宅で僕を産んだ母は、大量の出血を助産師さんに雪で止血してもらいながら、死にかけたとのことです。

どうにか命を取り留めた母は、休む間もなく農作業に出ました。ひとり家に置かれた幼児の僕は、泣くばかりでした。あるとき、声がしないと思ったら、おくるみで鼻と口が塞がり、窒息しかけていました。

それで、一歳を過ぎた後の田植えの時期には、父が持ち運びできる小さな屋台を作ってその中に寝せ、あぜ道に置きながら父母は農作業をしていました。ところが、僕は風邪をひいて40度以上の高熱が続き、喉の奥全体を腫らし、ついには呼吸困難に陥りました。

どうにか、30㎞あまりも離れた旭川の市立病院にバスを乗り継いで運ばれました。幸いその分野では北海道一と言われる院長先生に診てもらえましたが、「あきらめてください」と言われるほどの重症でした。

しかし、懇願する母の願いで荒療治が行われました。三人の医者と、何人かの看護師の方のもとで、一歳の僕は逆さにされ、喉が何度にも分けて切開されました。そのたびに大量の血が流れ、脈がストップしたとのことです。しかし、そのたびに母が抱くと、心臓が再び鼓動を始めました。それが何度も繰り返され、命を取り留めたとのことです。

その後も、何度も、死ぬ寸前の危険に会いました。そのため発育が極端に遅れ、小学校に入った頃は、3月生まれだったことも相まって、運動も勉強でも「落ちこぼれ」という状態でした。

幼児期の苦しみは、心にもマイナスの陰を落します。また、発育の遅れは、強い劣等感の原因になりました。僕の記憶にかすかに残っているのは、ひとり泣きじゃくる自分の姿です。

その後も、何をやっても遅れを取る落ちこぼれ意識を培ってきました。どうにか小学校高学年からめきめきと成績が良くなりましたが、幼児期の心の傷は、僕の心に暗い影を落し続けていました。

念願の大学に入り、国費の交換留学で、米国で学ぶことができ、不思議な導きでイエス・キリストを主と告白する信仰に導かれました。

そのときの私は、自分の内側にある真の問題には気づいてはいませんでした。ただ、その後の信仰生活の中で、徐々に自分の心の奥底に隠されている何ともいえない不安と向き合いながら、自分はこの不安のゆえにイエスのもとに引き寄せられたのだとわかりました。しかし、そこで「信仰によって不安を克服しよう!」などと思っても、どうにも変わりようのない自分の不信仰に悩むという空回りが起きて来ました。

しかし、自分の人生を「神の選び」の観点から、優しく見直すことができるに連れ、気が楽になってきました。

先の市立病院の先生にはその後も助けられましたが、「ほんとうによく助かったね……」と感心されたそうです。私たちは誰しも、生かされて、生きています。その過程で命の危険に何度も遭遇します。

僕を生かすために、心臓が止まるほどの乱暴な治療が必要でした。しかし、「哀れみに胸を熱くする母」の愛が、僕の心臓を動かしました。

そして、今、そのときの母の背後に、「哀れみに胸を熱くする神」がいてくださったことが分かります。私は、神の燃えるような愛によって、目的をもって生かされています。そこでは、私にとってマイナスとしか思えなかった体験も、益として用いられるということが分かってきました。

私たちは多くの場合、幼児期に何らかの心の傷を負います。そこから自分を被害者に仕立てる人生の物語を描くことは簡単です。しかし、私たちは、人生の物語をまったく別の観点から、信仰を持つこともできない幼児期から描き直すことができます。それはひとりひとりに創造主が期待しておられる人生の物語です(上記詩篇139篇参照)。

ただしそれは、私たちの主体性が失われ、決められた一本のレールの上を走るということではありません。

たとえば、ソロモンの記事に出てくる母は、子どもを生かすために一度は子どもを手放す決意をしましたが、両親も「私を生かす」ことを第一に考え、先祖が命をかけて北海道に開拓した水田を受け継がせなければならないとは考えませんでした。

同じように、神は、私たちの主体性を重んじながら、ご自身を隠すようにして、私たちの人生を導いておられます。ただそのため、神を身近に感じることができず、自業自得の苦しみに会うこともあります。しかし、それは私たちを束縛しようとはされない神の愛の表れなのです。

そしてしばしば、神の選びは、苦しみを通して初めて見えてくるという面があります。それは、自分の出生の環境自体を「神の選び」の観点から見直すことから始まります。

そのことを使徒パウロは、「神は私たちを世界の基の置かれる前から彼(キリスト)にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神はみむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによって、ご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました」(エペソ1:4、5) と記しています。