子どもの日〜詩篇127篇

今日は子どもの日ですが、由来は1948年に、5月5日を「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」お休みの日と決められてから、端午の節句の日が、こどもの日にもなったそうです。

詩篇127篇3–5節には次のように記されています

見よ 子どもたちは主 (ヤハウェ) の賜物

胎の実は報酬。

若いときの子どもたちは

実に 勇士の手にある矢のようだ。

幸いなことよ 矢筒をその矢で満たしている人は。

彼らは門で敵と論じるとき 恥を見ることがない。

昨日、5月は僕にとって稲の田植えを思い出すという趣旨のことを書いたら、昔からの友人が、「高橋先生が田植えを手伝われていたとは、想像ができません。どちらかと言えばいつも本を読むか文章を音楽を聴きながら書いている感じでした。」と書いてくださいました。

何か、ほんとうに時代の変化をつくづくと感じさせられました。なぜなら、子ども時代の僕にとって、農作業は家の「手伝い」というよりは家族の共同作業だったからです。

ただ、僕の妹などは、「秀ちゃんはすぐに怪我をするなど、どんくさくて、役に立たなかった……」などとい言ってくれますが、母などは洋子に向かって「あの子には重いものを持たせすぎて、背が伸びなかった……」などと、笑い話のようなことを言ってくれています……本当に親ばか……ですが……

日本ではつい50年~60年前までは 子どもはれっきとした労働力と見られていました。そして、上記の詩篇127篇も同じような文化的な背景で記されています。

3節の「見よ 子どもたちは主 (ヤハウェ) の賜物」とありますが、「賜物」とは厳密には「相続財産」という意味で、土地と同じように主からお世話を委ねられている主の所有物という意味があります。

そして「胎の実は報酬」とは、続く「勇士の手にある矢のようだ」という表現でその意味が説明されます。

つまり、「若いときに与えられた子ども」たちは、自分がまだ壮年期の忙しい最中に即戦力として役立ってくれるという意味になります。

そのことがさらに、「幸いなことよ 矢筒をその矢で満たしている人は」と記されます。つまり、子どもたちが多いことが「矢筒を矢で満たしている」と描かれているのです。これは何とも野蛮に思える表現です。

ただ、それこそが今から三千年前の時代の現実でした。戦いが日常茶飯事の中で、家族こそが、いざとなったらもっとも頼りになったからです。

とにかく、若いときに報酬としての子どもを与えられていることは、将来の戦いに備えての最高の準備になるというのがここでの趣旨です。

それがさらに「門で敵と論じるとき」あるいは「裁判の席で敵に向き合う時」に「恥を見ること」なく勝利できるための備えになると記されます。

子どもを育てることには多くの労苦が伴いますが、そこには現実の生活の中においても豊かな報いがあると強調されているのです。

伝統的に旧約聖書の最も大切な箇所と言われるのは以下の申命記6章4節以降の記事です

聞け、イスラエルよ。主 (ヤハウェ) は私たちの神。主 (ヤハウェ) は唯一である。

あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主 (ヤハウェ) を愛しなさい。

私が今日あなたに命じるこれらのことばを心にとどめなさい。

これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。
あなたが家で座っているときも道を歩くときも、
寝るときも起きるときも、これを彼らに語りなさい。

ここで、子どもたちに主 (ヤハウェ) の教えを、「教え込む」ことが命じられています。ですから、子どもの日の趣旨に書いてある「子どもの人格を重んじる」ということはより大きな歴史的な視点から見る必要があります。

僕の両親は、選択の余地なしに、僕に農作業を教え込みました。即戦力でもあったからです(手際よい妹からみたらそうでもなかったようですが……)。

聖書的には、子どもはある意味で、選択の余地なしに、親の価値観を受け継ぎ、ともに成長するのが健全な姿とも言えましょう。

この世界には様々な課題があります。それを家族全体の課題として受け取め、親とともに悩みながら、それに向き合ってゆくという視点も大切かと思わされています。

子どもの自主性を重んじると言いながら、結果的に、時代とともに変わるこの世的な価値観に子どもを自由にさらしてしまってよいのかとも思います。

どちらにしても、子どもは思春期を過ぎたら、多くの場合、親の価値観から自由になろうとします。でも、土台が築かれていなければ、自由になりようもありません

親が確信していること、大切にしていることを「教え込む」ことは、主の命令であるということを決して忘れてはならないと思います

祈り

主よ、私たちがすべての働きや子育てのわざを、キリストのうちにあって行うことができるように守ってください。仕事も子どももあなたから委ねられているものです。あなたから与えられている力によって、あなたのために行わせてください。