How excellent your name〜詩篇8編

適度な散歩がとっても心地よい季節です。いかがお過ごしでしょうか?

詩篇8篇は詩篇の中の詩篇とも言われ、これを思い巡らすことの中には、ふさぎ込んでいる心を広げる大きな力があります。まずそれぞれのことばを味わっていただければ幸いです。例によって、私訳で失礼します。

指揮者のために。ダビデの賛歌

主 (ヤハウェ) よ。(1)

私たちの主(主人)よ。

御名は全地で、なんと威厳に満ちていることでしょう。

そのご威光は、天を越えたところに輝いています。

あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられ、(2)

刃向かう者を沈黙させ、敵と仇(あだ)とを動けなくさせました。

あなたの指のわざである天を仰ぎ見、(3)

あなたが配置された月や星を見ますのに、

人とは、何者なのでしょう。これを御心に留めてくださるとは。(4)

人 (アダム) の子とは、何者なのでしょう。これを顧みてくださるとは。

あなたは彼を、神よりわずかに低いものとされて、(5)

栄光と誉れの冠をかぶらせてくださいます。

あなたは御手のわざの数々を彼に治めさせようと、(6)

すべてのものを彼の足の下に置かれました。

すべて、羊も牛も、また、野の獣も、(7)

空の鳥、海の魚、海路を通うものも。(8)

主 (ヤハウェ) よ。私たちの主(主人)よ。 (9)

御名は全地で、なんと威厳に満ちていることでしょう。

この詩篇の核心部分を歌ったのが、「How excellent your name」という賛美です。1984年にMaranatha Musicから発行され、世界中で歌われています。

それを日本語で歌われるようにしたのが以下の私訳です。今のところあまり採用されるには至っていません(笑い)。

主よ 全地で 御名の栄光は
何と素晴らしいのでしょう
あなたは天にもその栄光を
満ち溢れさせています。

輝く星を 見上げて思う
人とは何者でしょう。
けれどあなたは私の名呼び
誉れを与えられる

主よ 全地で 御名の栄光は
何と素晴らしいのでしょう
あなたは天にもその栄光を
満ち溢れさせています。

解説

「万軍の主」は、ダビデを「羊の群れを追う牧場からとり……イスラエルの君主とし」(Ⅰ歴代誌17:7) たばかりか、その王家は永遠に続くと約束されました。それを聞いた彼は、神に向かい、「私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので……ここまで私を導いてくださったのですか……この私はあなたの御目には取るに足りない者でしたのに……あなたは私を、高い者として見ておられます」(Ⅰ歴代誌17:16、17) と感謝の祈りをささげました。これこそ、詩篇8篇が記された背景です。

そして今、神は、キリストのうちにある私たちひとりひとりを、何と、ダビデのように「高い者」として見てくださいます。ですから、自分を高めてくださる神を求めるという発想を捨て、神が私を何のために創造し、何を期待しておられるかを常に考える必要があります。そのとき、真の意味で健全な自己認識を持つことができます。

全宇宙の広さとの比較で見ると、人は、蟻よりもはるかに小さく、吹けば飛ぶようなひ弱な存在に過ぎません。しかし、神はそのひとり一人を「心に留め」、また「顧み」ていてくださいます。

パスカルは人の弱さと尊厳の関係を、「人間はひとくきの葦に過ぎない。自然の中で最も弱いものである。だがそれは考える葦である。……蒸気や一滴の水でも彼を殺すには十分である。だがたとい宇宙が彼を押しつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢を知っているからである。宇宙は何も知らない。だから、われわれの尊厳のすべては考えることの中にある……」(パンセ347、1978年中央公論社、前田陽一訳) と言いました。

私たちは本能的に、自分の頼りなさを知り、孤独を、また見捨てられることを恐れています。しかし、それがゆえに、自分の知恵や能力を示し、「私は愛されるに値する存在です」とアピールしたくなります。そこから人と人との比較や競争が始まり、心の中で、「確かに私は弱く愚かだとしても、あの人よりはましだ……」と思うことで慰めを得ます。

しかし、パスカルの言うように、自分の絶対的な頼りなさと真正面から向き合うことができることこそが、人間の尊厳である「考えること」の本質なのです。そして、その弱さを腹の底から感じるそのただ中で、直感的に神の愛を体験するのです。