受難週の詩篇〜詩篇51篇

いよいよ緊急事態宣言がなされ、様々な職業の方々がこの対応に追われていることと思います。それぞれ固有の困難に直面していますから、引き続き互いのためにお祈りしたいと思います。当教会の責任役員会はこれに先立ち対応を考えることができました。しばらく、第一礼拝と第二礼拝を奉仕者だけで交互に開き、動画を配信するというものです。4月12日は10時15分の第一礼拝を開いて動画を配信し、4月19日は午後4時からの第二礼拝を開いて動画を配信します。それぞれの礼拝に親しむ機会とできれば幸いです。

先日の英国のエリザベス女王のお話しで、それぞれ隔離された生活を行うこの時期を、生活のペースを落とし、祈りと黙想の生活の内に、立ち止まって人生を振り返るときとできればという語りかけがありました。女王は英国国教会の首長でもありますので、そのような語りかけができるのかなと思います。

受難週の本日は、詩篇51篇をとも味わってみましょう。

「この人は何という卑怯なことをしたのか。その子供たちが堕落し、自滅したのも無理がない……」と言われるような人、それこそダビデに他なりません。しかし同時に、彼ほど神に愛され、喜ばれている人もいません。その神秘の鍵がこの詩にあります。

標題の背景は、サムエル記第二11、12章に記されていますが、この事件は、神がダビデ王国を安定させ、「その王国の王座をとこしえまでも堅く立てる」(同7:13) との契約を結ばれて間もなくの頃です。主はダビデの子の誕生まで、彼が自分から悔い改めるのを待った上で、預言者ナタンを遣わします。彼はそこで初めて自分の罪を認めます。

この初めは原文で、「あわれんでください」(お情けを!)との叫びです。しかも、「御恵み(ヘセド)によって」とは、先の契約に訴えることです。その上で彼は「そむきの罪」、「とが」、「罪」という類語を用いながら、それらから自由にされ、再出発することを願っています。ただし彼は、すべてがリセットされることを願ったのではなく、「私の罪は、いつも私の目の前にあります」(3節) と告白し、世界中にそれを知らせています。彼の願いは、神との交わりを以前と同じような親密なものに回復することでした。

彼は、自分の罪を何よりも、創造主に対する反抗と認め、主のさばきに服しようとしています (4節)。主はダビデの罪を指摘した際、「わたしはあなたの家の中から、あなたの上にわざわいを引き起こす……」(Ⅱサムエル12:11) と宣告されましたが、彼は息子アブシャロムによって都を追われるときにも、それを謙遜に受け止めました。

「信仰」とは何よりも、「自分の罪を言い表す」(Ⅰヨハネ1:9) ことです。人が、自分の罪を誰かに告白できるとしたら、それこそ信頼の証しです。それは神への信頼の行為に他なりません。ダビデでさえ自分から罪を告白できませんでした。教会は常に罪を告白した人を暖かく迎えるべきです。もちろんその際、「人は種を蒔けば、その刈り取りもする」(ガラテヤ6:7) という原則も忘れてはなりませんが、その人を追い詰めるようなことをせずに、その人が罪の実を刈り取ってゆく過程を支え励ます姿勢が必要でしょう。

その上でダビデは、自分の中には根深い罪の性質が生まれながら宿っていることを認め、「心のうち」「心の奥」から造り変えられることを願います (5、6節)。「ヒソプ」(7節) は、過越しのいけにえの血を、かもいと門柱に塗る際に用いられた植物で、ここでは神の主導で「私」がきよめられることが願われます。これはキリストの十字架を指し示します (Ⅰヨハネ1:7)。「そうすれば……雪よりも白くなりましょう」(7節) とは、そのみわざが徹底していることです。神は、どんな人をも、内側から造り変えることができます。

10-12節では、それを成し遂げる聖霊のみわざが、「ゆるがない霊」「聖霊」「喜んで仕える霊」と三つの側面から描かれます。旧約聖書の中で、これほど明確に聖霊のみわざが語られているところはありません。しかも、ダビデが「救いの喜び」の回復を願うのは (12節)、「罪人」たちの回復のため (13節) でもあります。ダビデは自分の罪を公にすることによって、後の人々が神の御前に立ち返られるようにしました。そこに彼の心の真実が見られます。ただし、それもすべて神のあわれみの中で起きたことでした。

祈り

主よ、私があなたの御前で自分の罪を告白できるように助けてください。そして、あなたの聖霊によって、日々、私を「雪よりも白く」してください。


J.S.バッハ作曲のマタイ受難曲の中で最も有名なアリアのひとつをお聞きください。これはペテロが、イエスを三度にわたって「そんな人、知らない」とのろいをかけて誓ったあとに、鶏が鳴き、ペテロがイエスの言葉を思い出して激しく泣いたときの気持ちを表した名曲です。以前、当教会の受苦日礼拝でも何度か演奏していただきました

あわれんでください、私の神よ、この私の涙のゆえに
どうか、ここでご覧ください。
この心と眼が、あなたの御前で激しく泣いているのを。
あわれんでください!