「聖なる口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい」

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2019年クリスマス号より

使徒パウロの四つの手紙の最後に、「聖なる口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい」ということばが入れられています。またペテロの手紙の一つに「愛の口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい」ということばが最後に記されています。

これは多くの日本人にとっては違和感のある命令で、なかなか実行する際にためらいを感じてしまいがちです。なぜ、このようなことが敢えて強調されるのでしょうか。それぞれの文脈を以下の抜粋からともに考えてみましょう。

「どうか、平和(シャローム)の神が、あなたがたすべてとともにいてくださいますように……あなたがたは聖なる口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい。すべてのキリストの教会が、あなたがたによろしくと言っています。
兄弟たち、私はあなたがたに勧めます。あなたがたの学んだ教えに背いて、分裂とつまずきをもたらす者たちに警戒しなさい。彼らから遠ざかりなさい。そのような者たちは、私たちの主キリストにではなく、自分の欲望に仕えているのです」(ローマ15:33、16:16-18)

「一切のことを、愛をもって行いなさい……すべての兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。 聖なるくちづけをもって互いにあいさつを交わしなさい…… 主を愛さない者はみな、のろわれよ。主よ、来てください(マラナ・タ)。主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように」 (Ⅰコリント16:14、20-23)

「最後に兄弟たち、喜びなさい。完全になりなさい。慰めを受けなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和(シャローム)の神はあなたがたとともにいてくださいます。

「聖なる口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい。 すべての聖徒たちがあなたがたによろしくと言っています。 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりがあなたがたすべてとともにありますように」(Ⅱコリント13:11-13)

「平和(シャローム)の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。あなたがたを召された方は真実ですから、そのようにしてくださいます。兄弟たち、私たちのためにも祈ってください。
すべての兄弟たちに、聖なる口づけをもってあいさつをしなさい」(Ⅰテサロニケ5:23-26)

「あなたがたとともに選ばれたバビロンの教会と、私の子マルコが、あなたがたによろしくと言っています。 愛の口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい。キリストにあるあなたがたすべての者に、平安(シャローム)がありますように」(Ⅰペテロ5:13,14)

私たちの礼拝の場は、主がそれぞれを導き、招いてくださったことから始まっています。子どもは誰も肉の家族を選ぶことはできませんでしたが、それを受け入れることから喜びが生まれます。同じように私たちはともに礼拝する交わりを、主から与えられたものとして受け入れる必要があります。しかも、この世の交わりにはもともと何らかの共有できる部分があり、それをもとに会話が進みますが、キリストにある交わりは、イエスを自分の救い主として受け入れているということ以外に何の共通点もありません。ですから、ときに互いに会話を進めること自体が非常に困難になるということが起こり得ます。

そうではあっても、キリストにある交わりは、すべて聖霊のみわざです。それは人間の努力を超えています。ただ、そこで私たちが踏み出すべき一歩があります。それは互いにあいさつを交わすことです。それをキリストのうちにあってするということが、「聖なるくちづけをもって」とか「愛のくちづけ」をもってと記されているのです。

それは「キリストの愛が私たちを捕らえている」(Ⅱコリント5:14) ということを互いに間で表す行為です。多少、不自然で、ぎこちない感じになっても、そこから新しいことが始まります。私たちの礼拝堂に記されている聖句は、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です」(同5:17) というものですが、この後半のことばは「そこには新しい創造があります」とも訳すことができます。

「平和(シャローム)の神」との交わりは、目に見える兄弟姉妹の交わりとして現わされます。しかもそこでは、「主を愛さない者はみな、のろわれよ」(Ⅰコリント16:22) とさえ記されているような、この世の常識的な交わりとは一線を画すという宣言が伴っています。

私たちはともに礼拝する交わりを、主にある「新しい創造」の現れとして、厳粛に、そして期待をもって受け止める必要があります。一人ひとりの礼拝者は、主が遣わしてくださった方々です。私たちの教会には、毎週のように新しい方々が遣わされてきています。その方々に、「心の中で」という意味でも結構ですから、「聖なる口づけをもってあいさつを交わす」ということを実践してみましょう。そこからキリストにある新しい世界が広がってくることでしょう。それは神の新しいみわざを期待することでもあります。今ここにある「新しい創造」としての交わりを互いに喜び合いましょう。