2018年9月16日
「有難い」ということばには、「この世に有ることが難しい」「得難いものを賜っている」という深い感謝の意味が込められています。
様々な信仰者の歩みを見ると、一度限りの神のめぐみを繰り返し思い起こし、そこで出会った人へ感謝の心を忘れないような人は、その後も幸せな歩みをしているように思えます。ただ、ときに感謝されていると思っても、一つの問題を契機に関係が冷えてしまう場合もあります。
イスラエルの民は、神への感謝を忘れる天才でした。今日のエリシャの物語は、奇跡物語の羅列のように思えますが、この約百年後に北王国イスラエルは永遠に歴史から消え去り、そのさらに150年後、残されたユダ族の都エルサレムはバビロンの攻撃によって廃墟とされます。
ここに描かれた神のみわざは、後のイエスの時代まで起きることはありませんでした。エリシャの時代は、まさにイスラエルの歴史上、もっとも有難い時代でした。それを理解する者は、一見期待外れの日々の生活に、様々な神の恵みの有難さを味わうことができます。
そして私たちの心の奥底にある渇きは、来るべき世界でしか満たされないということを悟る者は、現実の孤独と空虚さに耐えながら、一日一日を生きることができることでしょう。
1.油壺の奇跡 預言者の未亡人の息子が奴隷に売られないように守る(4:1-7)
エリヤは孤独な預言者でしたが、エリシャは「預言者集団」を従えていました。あるときその一人が借金を残して死に、二人の息子が借金のかたに奴隷にされると未亡人が訴えて来ました。同胞を奴隷とすることは律法で禁じられていましたが、それは守られていませんでした。
エリシャは彼女に近所から油を入れる器を多数集めさせます。彼女が残されたたった一つの財産である油壺から、それぞれの器に油を注ぎましたが、いくら注いでも器の数だけ油が出てきました。最後の財産をエリシャの命じるとおりに使うとそれが何十倍にも増えたのです。
彼女はそれを売って負債を弁済し、子供を守ることができました(4:1-7)。エリシャは、貸主の権利を侵害することなく、同胞の奴隷売買を止めさせることができたのです。
経済が成長しない社会では、誰かの得は必ず誰かの損につながりますが、エリシャは、誰も損をさせることなく、貧しい預言者の家族を守ることができました。
イエスはその宣教の初めに高熱で苦しむペテロのしゅうとめを癒されました(ルカ4:38)。それは三つの福音書に共通して記されていますが、それはイエスがご自分に従おうとした多くの弟子たちの家族にまで気を配っておられたことのしるしでした。
2.エリシャがシュネムの裕福な女を助ける(4:8-37)
シュネムはカルメル山から東に約30kmあまりに位置する町です。この町のある「裕福な女」はエリシャが町に立ち寄るたびに、「神の聖なる方」として心からもてなし、屋上に特別な部屋まで用意しました。
あるときエリシャはこの女を呼び、「あなたはこのように、私たちのことで一生懸命骨折ってくれたが、あなたのために何をしたら良いか」(4:13)と尋ねます。
彼女は、「私は私の民の間で、幸せに暮らしております」と何の要望も出しませんでしたが、彼は彼女が表現しなかった心の願いを悟って、「来年の今ごろ、あなたは男の子を抱くようになろう」(4:16)と言います。
彼女は今まで不妊で、夫も既に高齢になっているため、彼女はそれを信じることはできませんでしたが、彼女は約束されたとおり「男の子」を産みます。
イエスも、「預言者を預言者だということで受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます……わたしの弟子だからということで、この小さい者たちの一人に一杯の冷たい水でも飲ませる人は、決して報いを失うことがありません」(マタイ10:41,42)と言われました。
神はあなたの善意に報いてくださいます。
しかし、その子が大きくなったある日、突然の頭痛で息を引き取ります。彼女はその子をエリシャのために用意した寝台に寝かせ、戸を閉めると、夫に息子の死を知らせる間をも惜しむように、「急いで神の人のところに行って、すぐに戻って来ます」とのみ説明し、カルメル山にいるエリシャのところに急ぎます(4:21-25)。
エリシャのしもべゲハジが安否を尋ねても、まともに答えようとせずエリシャの「足にすがり」つきます。ゲハジは彼女を追い払おうとしますが、エリシャは、「そのままにしておきなさい。彼女の心に悩みがあるのだから。主(ヤハウェ)はそれを私に隠し……」と言います(4:27)。
彼は、何が起こったのかという情報よりも、彼女の心の悩みをじかに感じ取ろうとしています。それに対し彼女は、失礼にも、「私がご主人様に子供を求めたでしょうか……」と感情的に訴えますが(4:28)、エリシャは彼女の見当違いな怒りを優しく受け止めます。
その上で、しもべゲハジに自分の杖を持たせて、その子のもとへと急がせます。
それに対し、母親は、「主(ヤハウェ)は生きておられます。あなたのたましいも生きています。私は決してあなたを離しません」(4:30)と答えます。これはかつてエリシャがエリヤに対して言ったことばに似ていますが(2:2,4,6)、この際は、「離しません」という必死さが強調されています。
自分がかつて言ったことばを聞いて、深く心を動かされたことでしょう。それでエリシャ自身が、彼女の後について子供を訪ねます。
先に着いたゲハジがエリシャの杖を子供の上に置いても何も起きませんでしたが、エリシャは子供の死を見てもあきらめることなく、他の人々を外に出して、「主(ヤハウェ)に祈った」(4:33)のでした。このシュネムの女もエリシャも、「主(ヤハウェ)は生きておられます」と語っていますが、それは口先の告白ではなく、不可能を可能にしてくださる全能の主への信頼が伴っています。
そしてエリシャは、「その子の上に身を伏せ、自分の口を子供の口の上に、自分の目を子供の目の上に、自分の両手を子供の両手の上に重ねて、子供の上に身をかがめます」(4:34)。彼は既に死んで冷たくなっている子供に徹底的に寄り添ったのです。
すると、「その子のからだが暖かくなってきた」と描かれます。これは、最初のアダムが、土地のちりで造られた後、神の「いのちの息」を受けて、「生きものとなった」と記されていることを思い起こさせます(創世記2:7)。彼女は彼の「足もとにひれ伏し、地にひれ伏し」(4:37)ます。何という感動の瞬間でしょう。
これはイエスがナインという町のやもめの一人息子を生き返らせたことに似ています。そのとき人々は、「偉大な預言者が私たちのうちに現れた」とか、「神がご自分の民を顧みてくださった」と言って「神をあがめ」ましたが(ルカ7:16)、彼らはイエスをエリシャの再来と見たのでしょう。
エリシャの名は「神は救い」、イエス(ヨシュア)は「ヤハウェは救い」という意味があります。私たちのまわりには、ときに余りにも簡単に人生を諦めてしまったような人がいるかもしれません。
私たちはそんな一人ひとりに寄り添いつつ、「主(ヤハウェ)は生きておられる」という福音を、私たちの呼吸を通して伝えてゆくことができるのではないでしょうか。
3.エリシャが釜の中の毒を消し、少ないパンで百人の預言者を養った奇跡(4:38-44)
エリシャがヨルダン川沿いのギルガルに帰って来たとき、この地に飢饉が起こります。彼は大きな釜を火にかけさせ、煮物を用意させますが、預言者の一人が摘んできた草は毒草でした。
彼らはそれに気づきますが、エリシャは麦粉でこの釜の毒を消し、彼らが食べることができるようになりました(4:38-41)。
また、ある人がエリシャのもとに「パン二十個と、新穀一袋を」持ってきましたが、彼はそれを百人の預言者の仲間に振舞うように命じます。
召使は「これだけで、どうして百人もの人に……」と言いますが、エリシャは、「主はこう言われる。『彼らは食べて残すだろう』と述べ(4:43)、実際、そのようになりました。
飢饉のなかでも主は預言者たちを養ってくださいました。それはまさに、「主(ヤハウェ)を恐れる者には乏しいことがない」とあるとおりでした(詩篇34:9)。
そして、イエスに従った男だけで五千人にのぼる群集が、人里離れた場所で飢えて動けなくなりそうなときにも、主は奇跡的に増やしたパンで養われました。
4.アラムの将軍ナアマンのいやしと信仰(5章)
イスラエルの北の国アラム(現在のシリヤ)の将軍ナアマンはツァラアトに冒されていました。これは当時、隔離の対象となる皮膚病でしたが、彼は尊敬されていました。「それは、主(ヤハウェ)が以前に、彼によってアラムに勝利を得させられたからである」(5:1)と記されます。彼は敵となり得る将軍でありながらイスラエルの神、主の選びの器でした。
そして、彼の妻にイスラエルの娘が仕えていましたが、この娘も彼を心配し、「サマリヤにいる預言者」にいやしを求めるように進言します。
ナアマンはアラムの王の紹介状を受けて大量の贈り物をもってイスラエルの王を訪ねます。しかし、王は自分が言いがかりをつけられたと思い、自分の衣を引き裂き、「私は殺したり、生かしたりすることができる神であろうか」(5:7)と言います。
そのことを聞いたエリシャは、ナアマンを自分のところに送るように願います。ナアマンは馬と戦車でやってきて、エリシャの家の入り口に立ちますが、彼は直接会う代わりに使者を遣わし、「ヨルダン川に行って七回あなたの身を洗いなさい。そうすれば……きよくなります」(5:10)と言います。エリシャはナアマンの目を、自分ではなくイスラエルの神に向けさせようとしました。
ナアマンはこの非礼に怒りを発しますが、部下はエリシャのことばに従うように、必死に進言します。ここに彼と部下の間の信頼関係が垣間見られます。そして、「そこで、ナアマンは下って行き、神の人が言ったとおりに、ヨルダン川に七回身を浸した。すると彼のからだは……幼子のからだのようになり、きよくなった」(5:14)と記されます。
私たちも同じように、心が付いて行かなくても行動において主に従うなら、その従順に主は報いてくださいます。
その後、ナアマンはすぐに引き返してエリシャに贈り物を受け取るように懇願します。エリシャはこのときは自らナアマンに対面し、「私が仕えている主(ヤハウェ)は生きておられます。私は決して受け取りません」(5:16)と言います。エリシャにとって、これは自分の働きではなく主ご自身のみわざであったからです。
するとナアマンはイスラエルの土を運んで自分の家に祭壇を築き、「これからはもう、主(ヤハウェ)以外のほかの神々に……いけにえをささげません」(5:17)と約束します。敵になり得る隣国の将軍が、イスラエルの土を大切に運び、その地を守る神のみを礼拝するというのは、当時としてはあり得ない不思議でした。
ただそこにひとつ例外として、「私の主君がリンモンの神殿に入って、そこでひれ伏すために私の手を頼みとします。それで私もリンモンの神殿でひれ伏します……どうか、主(ヤハウェ)がこのことについてしもべをお赦しくださいますように」(5:18)と願います。これは王の偶像礼拝を補助しながら、自分もそれに加わるということを意味します。
これは基本的に、聖書全体では神の民には許されていないことですが、エリシャは、「安心して行きなさい」(5:19)とのみ答えます。アラムの将軍ナアマンを回心させたのは主のみわざでしたから、エリシャがナアマンの指導者になることは避けたとも解釈できます。
しかも、ナアマンがアラムの王に忠実に仕えることを支持することによってアラムとの平和が果たされることになります。
このことは私たちが仕事の上で偶像礼拝の援助をせざるを得ないときの慰めとしてよく用いられます。たとえば建設会社に勤めながら、地鎮祭を手伝わざるをえないような場合です。教会としては一つひとつの事例を細かく検証することはせずに、一人ひとりの良心に任せます。
もちろん、私たちは偶像礼拝とまぎらわしい行為から決別することを約束して洗礼を受けましたから、ナアマンのことを全面的に肯定することもできないとも思われます。
エリシャはナアマンの行為を全面的に許したというよりは、彼がそのことに葛藤を覚えていること自体を、主(ヤハウェ)への信仰の表現として評価したものとも言えましょう。
ところで、エリシャのしもべゲハジは、主人が贈り物を拒否したことに憤慨し、「主(ヤハウェ)は生きておられる。私は彼のあとを追いかけて、絶対に何かをもらって来よう」(5:20)と言います。彼は、エリシャと同じことば(5:16)を使いながら、私腹を肥やすことしか考えていない偽善者です。
彼はナアマンから贈り物を受け取ることによってその病をも受け取ることになりました。エリシャは彼に、「あの人がおまえを迎えに戦車から降りたとき、私の心はおまえと一緒に歩んでいたではないか」(5:26)と言ったのは印象的です。それは私たちにとって、私たちが罪を犯すとき、イエスのこころも痛んでいることを意味します。
ナアマンのいやしの記事は、イエスが十人のツァラアトに冒された人を癒した記事に通じます。そのとき癒されたユダヤ人たちは立ち去り、一人のサマリヤ人だけが主の「足もとにひれふして感謝しました」。
イエスは彼に、「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」と言われました」(ルカ17:11-19)。イエスが喜ばれた信仰は、ユダヤ人が軽蔑する背教者サマリヤ人の中にあったのです。
またイエスは、それ以前に、自分の郷里ナザレの不信仰を責めて、「預言者エリシャのときには、イスラエルにはツァラアトに冒された人が多くいましたが……シリア人ナアマンだけがきよめられました」(ルカ4:27)と言っておられます。
ナアマンは妻の女奴隷のことばにしたがってエリシャのもとにやってきました。ナアマンの信仰はまだまだ未熟でしょうが、神ご自身が彼を選び、信仰を導いてくだっていたのです。
5.水の中から斧の頭を浮かばせる奇跡 預言者の信用を守るため(6:1-7)
預言者集団は住む場所が狭くなるほどに成長し、ヨルダン川で木を切り倒して家を建てようとします。そのとき一人が借り物の斧の頭を水の中に落としてしまいます。エリシャは一本の枝を切って投げ込み、斧の頭を浮かばせます。
これはイエスが神殿税を納めるためのステタル銀貨をペテロに命じて湖の魚から取り出させた奇跡に通じます。主はそのとき、「あの人たちをつまずかせないために」(マタイ17:27)と言われました。同じようにエリシャは預言者の仲間が他の人へのつまずきとならないように守ったのです。
6.火の馬と戦車がエリシャを取り囲んで守る(6:8-23)
6章8節で「アラムの王がイスラエルと戦っていたとき」と記されますが、これは少なくともナアマンが癒された直後ではないことでしょうが、時代がわかりません。とにかく、このときアラムが陣を敷こうとする先々にイスラエルの備えができていました。
それでアラムの王は、内通者が自分の部下にいるのではないかと疑いました。すると、家来の一人が、「預言者エリシャが、あなたが寝室の中で語られることばまでもイスラエルの王に告げている」(6:12)という不思議な現実を知らせます。
それでアラムの王は、エリシャのいるドタンに大軍を遣わし、町を包囲します。この町はサマリヤの北14kmぐらいにありました。エリシャの召使は慌てふためきますが、エリシャは、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」と言います。
そして彼が主に願うと、若者の目に、「火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた」のが見えました(6:16,17)。それは、詩篇34:7に、「主(ヤハウェ)の使いが陣を張り 主を恐れる者を囲んで助け出してくださる」(私訳)と約束されているとおりでした。
そして彼らが襲ってくると、彼らの目は盲目にされ、北王国の首都サマリヤの真ん中に導かれます。イスラエルの王がエリシャに対応を伺うと、彼はアラムの大軍を傷つけず、盛大なもてなしをすることによって、彼らの戦意をくじくように言います。その結果、「アラムの略奪隊は、二度とイスラエルの地に侵入して来なく」なりました(6:23)。
イエスもご自分が十字架に向って歩み出されるとき、三人の弟子たちを連れて山に登られました。そのときイエスの「御顔の様子が変わり、御衣は白く光り輝いた」(ルカ9:29)と記されています。
そこにモーセとエリヤまでもが現れたと描かれます。ペテロは三つの幕屋を建てたいと願いましたが、そう言っている間に、「雲が沸き起こって彼らをおおった」、雲の中から、「これはわたしの選んだ子、彼の言うことを聞け」という声が聞こえました(ルカ9:35)。
この体験のことをペテロは後に、「私たちは、キリストの威光の目撃者として伝えたのです」と強調しています(Ⅱペテロ1:16)。ペテロは復活のイエスに出会った後、このことを振り返り、目に見える悲惨の背後に神のご支配の現実を見られるようになったのでしょう。
つまり、私たちもこの地上での苦しみに立ち向かう際に、私たち自身が主の御使いによって守られ、また目に見ることのできない光にとらえられていることを知る必要があります。目に見える現実に失望せずに、信仰によって歩むとは、今、ここで私が主に守られ、とらえられているという現実に、霊の目が開かれることです。
本日の箇所にはイスラエルの王の名前が登場せず、一つひとつの話の関連も明確ではありません。何か意味のない奇跡物語の羅列のようにも見えますが、イエスの記事と結びつけると目が開かれます。
イエスは名もない貧しい人から有力な人まで、一人ひとりの必要に答えるとともに、ローマ帝国への武力衝突を避けさせるような発言を繰り返しました。主ご自身が人々の目をエルサレム神殿から生ける父なる神へと向けさせていました。
預言者エリシャはその働きにおいて、最もイエスに結びつく預言者です。
預言者エリシャの時代、北王国イスラエルには神殿がなく、人々は目に見える偶像に心が奪われていました。しかし、エリシャは人々の心をイスラエルの神に向けさせました。
ここに見られる奇跡の数々は、イスラエルの滅びを惜しみ、最後に彼らに立ち返りの機会を与えようとする神の、「懇願する」かのような、あわれみのみわざです。
イエスの様々な奇跡も同じ意味がありました。しかし、ユダヤ人たちはそれを見ながら、イエスを退けました。そしてやがてイスラエルはローマ帝国によって滅ぼされました。
同じようにエリシャを通して示された神のあわれみにイスラエルが応答しなかったことによって、この国はアッシリヤ帝国によって、またエルサレムもバビロン帝国によって滅ぼされます。
パウロは、「神が私たちを通して懇願しておられるかのようです……神の和解を受け入れなさい……神の恵みを無駄に受けないようにしてください……確かに、今は恵みのとき、救いのときです」(Ⅱコリント5:20-6:2第三版)と記しています。
そこには神の和解を拒絶する者へのさばきの宣告も含まれています。ナアマンもシュネムの女も神のあわれみのみわざを無駄にしませんでした。その姿勢に倣うことが、一人ひとりに求められています。