最近、お金や経済に関する話で他教会に招かれます。次のような文章をどのように思われるでしょう。
「経済が国家の決定的な支配者の地位にのぼるのにきっちり応じて、貨幣は神となり、あらゆるものはこれに奉仕し、だれもがこの前に屈服しなければならなかった。天上の神々はますます時代遅れで、すたれたものとなり、隅の方へしまわれてしまい、代わりにマモン(富)の偶像に香がたかれた。まことに困った堕落が始まった・・・崩壊の究極的原因は、もっと外の領域に・・あるに違いない・・旧帝国の破滅のもっとも深い究極的原因は、人種問題および、それが民族の歴史的発展に対して持つ意味を、認識しなかったことにある」・・・
金融資本に対する批判と、移民や難民問題を前面に出して勝利する政治家が世界的に増えていますが、彼らもこれと似たような訴えをするかもしれません。しかし、これは諸悪の根源がユダヤ人あると言ったアドルフ・ヒトラーのことばなのです。
ディートリッヒ・ボンヘッファーは、1933年ヒトラーが政権を取ってすぐ、民族としてのユダヤ人を初めとする非アーリア人を教会の牧師や役員の座から追い出すようにと強制して来たとき、異民族を排除するのはキリスト教会ではあり得ないと抗議し、組織的な抵抗を始めます。
ただ1939年には働きの限界を覚えてか、ニューヨクでの学者としての働きの招きに応じます。しかし、渡米後、そこに留まるなら、「全き自由の中で孤立して窒息死しなければならないだろう」と示されて、ドイツに戻ります。抵抗運動の後、1943年4月、彼はヒトラー暗殺計画に加わった容疑で捕らえられ、ドイツが降伏する一か月前、ヒトラー直々の命令で絞首刑に処せられます。39歳でした。
なお彼は、決して自分の行動の正当性を主張しませんでした。実は、30年前にある人が、「それは、大型トラックを暴走させるテロリストを必死で止めようとする行為だった。彼は罪の責任を引き受けようとしていた」と言っています。そこが十字軍的な自己犠牲とは異なります。
そして彼の生き様は戦後ドイツに決定的な影響力を残しました。それが現在のメルケル首相の信仰と政治理念に決定的な影響を与えていると言われます。
ボンヘッファーは、「自由というのは、第一義的に個人的な権利ではなく、ひとつの責任のことです。自由というのは、第一義的に個人に向けられているのではなく隣人に向けられているのです」と記しています。
私たちはみな、自分のためにではなく、神と他者のために生かされています。ビジョンは神の平和(シャローム)から生まれるものです。
1.「ユダヤ人の王」を拝みに来た東方の博士たち…新しい時代の幕開け…
「イエスが、ヘロデ王の時代にお生まれになったとき」とありますが、ヘロデはユダヤ人と敵対関係にあったイドマヤ人(エサウの子孫)で、ローマ帝国を後ろ盾に、ダビデ王の時代に匹敵する広大な領土を支配する王として君臨していました。彼はユダヤ人を手なずけるためエルサレム神殿の大拡張工事をし、自分こそが預言された救い主であるかのようにふるまっていました。
ところで、イエスがダビデの子として誕生するということはヨセフとマリヤ以外にはだれも理解できないことだったと思われますが、ここではそのことが、はるか「東方」において知られたと描かれます。マタイ1章の系図はユダヤ人以外にはほとんど理解できないものだったと思われますが、2章ではそれが世界を変える出来事であると報じられます。それが、「東方の博士たち」の訪問の記事です。
「博士たち」は新しい時代の到来を、不思議な「星」の出現によって知りました。彼らは当時の文化の中心地バビロンの地から来たのだと思われます。かつてユダヤ人はそこで捕囚となっていたので、彼らは聖書の預言をある程度知ってはいたはずです。
ただ、「東方の博士たち」の来訪の主導権は、彼らの知識や探究心である前に、神ご自身の導きであることを忘れてはなりません。それは、キリストの救いは異邦人に及ぶということを示します。
「博士たち」は、エルサレムに行けばすべてが分かると信じて「やって来」ましたが、そこに栄光の王の誕生のしるしを見ることはできませんでした。それで、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか」(2節)と尋ねまわり、それがヘロデの耳にも入ってきました。
「それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人もヘロデと同じであった」(3節)と描かれるのは、この問いかけが、ヘロデはイスラエルを復興する真の王ではないということを、内外に明らかにすることになるからです。それで祭司長たちは、ヘロデの質問に聖書から答えはしましたが、その方を拝みに行こうとは思いませんでした。自分たちの身を守るためです。
預言者ミカは、ダビデの生誕地「ベツレヘム」に「イスラエルの支配者になる者が出る」(5:2)と記し、そして、その方は、「アッシリヤが私たちの国に・・踏み込んで来たとき、彼は、私たちをアッシリヤから救う」(5:6)と預言されていました。
救い主の誕生は、浮世離れした霊的なことではありません。ミカ書を初めとするすべての預言書は、この地に神の救いが実現することを語っています。救い主は、神の民の敵を滅ぼすことによって世界に目に見える平和を実現すると描かれていました(ミカ4:3)。それは神の完全な平和(シャローム)の実現でした。
博士たちはが、その町に近づいたとき、東方で見た「星」が再び現れ、彼らを幼子イエスのところに導きました。それはまさに、神の一方的な導きでした。
イザヤ60章では、諸国の民が、「黄金、乳香」をたずさえ、神の「祭壇」にささげると(6,7節)と預言されていました。しかし、その「祭壇」はエルサレム神殿ではありませんでした。
彼らは、「家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげ」ました。これは王にささげる最高の贈り物の組み合わせでした。
「乳香」は当時の神殿で用いられる最高級の香料であり、エジプトでは王だけが使っていました。中世のペストの大流行のときその拡大を止めるような殺菌力を発揮したと言われます。
「没薬」はミイラを作る際に大量に用いられ、イエスの葬りの際にも用いられましたが、通常は祭司や貴婦人たちの化粧品や皮膚薬。香料などに用いられました。
それにしても、イエスの最初の住まいは家畜の餌を入れる「飼い葉おけ」で、それは村はずれの洞窟の中だったと思われますが、このときは、博士たちは「家に入って」と記されています。これは、イエスの誕生から二年近く経っていたときのことだからです。
なぜなら、ヘロデ王は、「星の出現の時間」を博士たちから「突き止め」、後に「ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子を一人残らず殺させた」(16節)と記されているからです。
真のユダヤ人の王の誕生を異邦人は認めましたが、ユダヤ人の支配階級は自分の身の安全を考え、確かめようともしませんでした。
しかしそれは、ユダヤ人ばかりか異邦人にとっても新しい時代の幕開けを意味したのです。そして、神のビジョンに導かれた博士たちは、新しい世界の王を人々に先立って拝むことができました。
2.真のユダヤ人の王として、その歴史を再体験した方
博士たちは、「それから夢で、ヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の家に帰って行った」(12節)とありますが、ヘロデにとって、博士たちがすぐにベツレヘムに向かい、自分を無視するように帰ったことは、途方もないショックでした。彼は、自分の三人の息子さえ、競争者と疑って殺したほどですから、その赤ちゃんを殺すのに躊躇はしません。
それで、博士たちが帰ったあと、主の使いが再び夢の中でヨセフに現れ、「立って、幼子とその母を連れてエジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を探し出して殺そうとしています」(13節)と言います。
このとき博士たちがくれた宝物がこの長い旅の必要を満たすことができたことでしょう。主はあらかじめ必要を満たした上で、困難な命令を下したのです。
「そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、ヘロデが死ぬまでそこにいた」と描かれていますが、ここに改めてヨセフの従順さと同時に神のビジョンへの信仰が示唆されます。
そこで興味深いのは、「これは、主が預言者を通して、『わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した』と言われたことが成就するためであった」と記されていることです(15節)。これはホセア11章1節からの引用ですが、それはイスラエルの原点、出エジプトのことに他なりません。
つまり、幼子イエスのエジプト逃亡は、イスラエルの歴史をやり直す意味があります。それは、イエスこそがイスラエルを代表する王であられる方だからです。
ヘロデは博士たちの報告を待っていましたが、その期待が裏切られたと分かると、「ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとりの残らず殺させ」(16節)ます。
当時の村のサイズからしたら、該当する幼児の数は10人から30人ぐらいでしょうが、幼子が平気で遺棄される当時の文化では記録にもなりませんでした。
しかも、このことが、「そのとき、預言者エレミヤを通して言われたことが成就した」(17節)と解説されているのにはやりきれない気がします。この悲劇も神のご計画だというのでしょうか。しかし、その原点のエレミヤ31章15節前後の全体の文脈には、暗闇を通しての希望が記されています。
そこでは、「聞け。ラマで聞こえる。苦しみの嘆きと泣き声が。ラケルがその子らのために泣いている。慰められることを拒んで。子らがいなくなったので、その子らのために泣いている」と記されます。これはイエスの誕生は、神がイスラエルの民の悲しみのただなかに降りてこられたという意味を持っています。
「ラマ」はエルサレムの北八キロメートルにあるベニヤミン族の中心都市で、そこに後にバビロン捕囚として連行される人々が集められました(エレミヤ40:1)。
ラケルはヤコブの最愛の妻でベニヤミンを産むと同時に息絶え、ベツレヘムに葬られました。その前に、彼女からヨセフが生まれ、それがエフライムとマナセという北王国の中心部族が生まれました。しかし、北王国は滅ぼされ、その民は強制移住させられ、残るベニヤミン族もバビロンに捕囚とされてゆきます。それを彼女は嘆いているというのです。
ただエレミヤ書では続けて、「あなたの泣く声をとどめ、目の涙をとどめよ。あなたの労苦には報いがあるからだ・・・彼らは敵の国から帰って来る。あなたの将来には望みがある・・あなたの子らは自分の国に帰って来る」(31:16、17)という希望が告げられます。
「神が全能ならば、なぜ、この世にこれほどの不条理や悲劇があるのか?」という問いに明確な答えはありません。しかし、「私たちが痛んでいるとき、神もともに痛んでおられる」ということと、「私たちの悲しみには必ず終わりがあり、神は私たちの将来を開いてくださる」ということは明らかです。
旧約聖書の二大テーマは出エジプトとバビロン捕囚ですが、マタイは、その両方をホセアとエレミヤの預言をもとにイエスの誕生に結びつけました。
人間的に見ると、幼子イエスのエジプト亡命も、ベツレヘムの幼児虐殺も、サタンの使いとも言えるヘロデの残虐さに翻弄されている悲劇でしかありませんが、聖書全体からすると、それはイエスがイスラエルの王として、それまでの悲劇を生まれるとともに背負ってくださったことを意味します。
それにしても、「イエスがベツレヘムに生まれなかったら、そこの赤ちゃんは殺されずに済んだのに・・・」と思いたくなります。しかし、残念ながら、祝福の傍らで、悲劇も同じように生まれるというのは、この世の現実です。
たとえば第二次大戦におけるドイツの敗北は、1944年6月6日の連合軍のノルマンディー上陸作戦で決定的になりました。しかし、そのときから1945年4月30日のヒトラーの自殺に至るまでの11ヶ月間、想像を絶する犠牲の血が流されています。勝敗が決まってからの戦いの方が激しかったのです。
イエスの誕生はサタンの敗北の始まりでしたが、自分の終わりを知ったサタンは、人々からイエスの救いを見えなくさせるために、あらゆる手段を尽くしています。
夜明け前が一番暗く感じられるとか、光が強いほど影も濃くなるとも言われるように、イエスの誕生にともなう悲劇は、サタンの最後の悪あがきの始まりです。それは黙示録のテーマでもあります。
3.キリストが支配する新しい時代に入れられている恵み
この悲劇の直後に、19、20節では、ヘロデの死が告げられるとともに、主の使いが再び夢で、「エジプトにいるヨセフに現れ」、イスラエルに帰還しても安全だと告げられます。
ヨセフは家族とともに「イスラエルの地に」入ります。ただそこで、「アケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行って留まることを恐れた」(22節)と記されます。アケラオはヘロデにまさって残酷な王だったからです。
そして、そこで再び、「夢で戒めを受けたので、ガリラヤ地方に立ち退いた。そして、ナザレという町に行って住んだ」と記されます。
ヨセフは夢のお告げのたびに、それに従っているというのは何とも不思議です。ふと、「どうして、目を覚ましているときに御使いが現れてくれないのか・・・」とも思いますが、それはヨセフの主体的な行動を尊重しているからかもしれません。
人によって、「神がもっと私の進むべき道を明確に教えてくれたら・・・」と願うかもしれませんが、幼子のイエスの父でさえ、夢を通してしか語っていただけなかったのです。それが神の導きの方法です。
とにかく、彼らが住んだのは辺鄙な田舎のナザレでした。そして、「この方はナザレ人と呼ばれる」と言われたことが成就するためであった、とありますが、それはどこにも記されていません。
それは、預言された救い主の姿が「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ」(イザヤ53:3)と言われていたことを指しているのだと思われます。これは、ダビデ王国の栄光を復興したと自負していた当時の権力者ヘロデ王の栄光と、何と対照的でしょう。
マタイは、預言がひとつひとつ成就したことを何よりも強調します。東方の博士たちの贈り物さえその成就です。それは、いつ、どこで、何が起こるかを告げることではなく、神の救いの計画の全体像を知らせることが中心です。
神がご自身の御顔を隠される「のろい」の時代のことは、ずっと以前に警告されていました。その通りのことが起きて、彼らは、「恐怖にとらわれ・・心がすり減り・・種を蒔いても無駄になり・・あなたの力は無駄に費やされる」(レビ26:16-20)、また、「やまいが癒されず・・婚約者を寝取られ、家を建てても住むことができず・・ぶどう畑を作っても、その収穫をすることができない」(申命記28:27-37)という悲惨を味わっていました。
しかし、神はご自身の民をあわれみ、御子キリストによって新しい時代を開いてくださいました。それは、古い時代と対照的に、「彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作ってその実を食べる・・自分で作ったものを存分に用いることができ、無駄に労することがない」(イザヤ65:21-23)という「祝福」の時代です。
目に見える現実はまだ完成していませんが、イエスとの交わりのうちに生きる者はすでに、そのような御国の民とされています。
ですから、パウロは、「あなたがたは自分たちの労苦が、主にあって無駄でないことを知っているのですから」(Ⅰコリント15:58)と言いました。
それは、キリストにある「いのち」を生きている者は、「神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ8:28)と確信をもって告白することができるからです。
マタイ1、2章では、預言の成就がテーマになっています。第一は、処女からインマヌエルと呼ばれる方が誕生すること、第二は、救い主はベツレヘムで生まれること、第三はヨセフ家のエジプト避難が、救い主がエジプトから呼び出されるという預言の成就であること、第四はベツレヘムの幼児虐殺が悲劇の預言者エレミヤの預言の成就であること、第五は救い主はナザレ人と呼ばれるという預言の成就でした。
このどれをとっても、人間的な意味での悲劇が伴っており、当時の誰も、「預言が成就した!」と祝うことができるようなことではありませんでした。しかもそれに関わったのは、一介の大工のヨセフと、東方の博士たちです。彼らは、そのときそのときの主の導きに従い、その結末を知らないまま、また、不安や悲しみに耐えながら、ただ、神のときを生きたのです。
そして私たちも神のご意志と「神のときを生きる」ように召されています。そこに新しい世界が広がります。
ヘロデは、政治的には、大王と呼ばれるのにふさわしい業績を残しました。ローマ帝国の信任を勝ち得て広大な国土を治め、神殿を初めとする多くの建造物を後の世に残しました。しかし、彼はそれらをあらゆる権謀術数を尽くしてやり遂げました。
それで彼には、信頼できる人がだれもいませんでした。ほとんどの国民から毛嫌いされ、ひとりぼっちで、自分が作ったもので自分を慰めるナルシズムの世界に生きていました。
一方、イエスの名は「インマヌエル」と呼ばれたように、神はたしかに私たちの味方となられ、私たちとともにおられます。それは、父なる神が、幼子イエスをマリヤとヨセフの腕に抱かせて守ったように、私たちがこのキリストにある交わり(教会)に包まれて生かされていることを意味します。
この目に見える交わりは、やがて実現することが確定している「新しい天と新しい地」のつぼみです。ヘロデと反対に、私たちは交わりに生きるのです。
今、ここに、「新しい天と新しい地」への道が開かれています。しかし、五年後、十年後のことは、まったく分かりません。しかし、手探りながら、今、ここでなすべき働きは示されているのではないでしょうか。
私たちの前には、今日なすべきことと、永遠のゴールだけが分かっています。しかし、それこそが、ヨセフの歩みであり、すべての神に用いられた人の歩みではないでしょうか。
イエスの救いを「永遠」の神の「救いのご計画」の中から考えることで、目の前で果たすべき責任が見えてきます。神はこの世界をご自身の「平和(シャローム)」で満たしてくださいます。私たちはその過程の中にいます。それであれば、私たちの「使命」は自ずと明らかになります。
ボンヘッファーは、実は、教会が政治に関わることには否定的でした。しかし、ヒトラー政権が教会からユダヤ人を排除させようと強制してきたとき、キリストの教会は多様な民族の共同体であるとの告白を守るために立ち上がりました。しかし、一時は、米国への亡命も考えるかのような心の揺れもありました。
主に従うとは、そのときそのときの問いに誠実に応答することに他なりません。彼は牢獄の中で死刑のときを待ちながらも、クリスマスの意味を家族に向けて、次のように記しています。
「刑務所で・・・はるかに意味深い、より本質的なクリスマスが祝われている…悲惨、苦しみ、貧困、孤独、失望、そして罪が、神の目には人間の裁きとは全く別の意味を持つ、また、人が目を背けようとするまさにその場所に神は目を向けたもうこと・・・それらのことを囚人たちは他の人より深く理解するのです・・・こうして、獄舎の壁はその意味を失うのです・・・
この頃になって僕は、「飼い葉おけの傍らに立ち」という歌をやっと初めて自分のものとして理解できたと思います…この歌を理解し自分のものとするには長い間一人で居て、黙想しつつ読まなければならぬようです。言葉一つひとつに特別な深みがあり、美しい」
「飼い葉おけ(まぶね)のかたわらに」 Ich steh an deiner Krippen hier Paul Gerhardt 1653年(曲:讃美歌107番 讃美歌21:256番参照) 1.まぶねのかたえに われは来たり いのちの主イェスよ きみを想う 受け入れたまえや わがこころすべて きみが賜物なり 2.この世にわれまだ 生まれぬ先 きみはわれ愛し 人となりぬ いやしき姿で 罪人きよむる くしきみこころなり 3.暗闇(くらやみ)包めど 望み失せじ 光 創(つく)りし主 われに住めば いのちの喜び 造りだす光 うちに満ちあふれぬ 4.うるわしき姿 仰ぎたくも この目には見えぬ きみが栄え ちいさきこころに 見させたまえや はかり知れぬ恵み 5.深き悲しみに 沈みしとき 慰めに満てる 御声聞こゆ 「われは汝が友 汝が罪すべてを われはあがなえり」と 6.御(み)救いの星よ いといたわし 干し草(ぐさ)とわらに 追いやられぬ 黄金(こがね)のゆりかご 絹の産着(うぶぎ)こそ きみにふさわしきを 7.干し草を捨てよ わら取り去れ きみがため臥所(ふしど) われは作らん すみれ敷き詰め きみが上には かおりよき花びら 8.おのが喜びを 望みまさず われらが幸い きみは求む われらに代わりて きみは苦しみ 恥を忍びましぬ 9.主よわが願いを 聞きたまえや 貧しきこの身に 宿りたまい きみがまぶねとし 生かしたまえや わが主 わが喜び