2015年8月23日
レビ記には礼拝規定とともに、神によるふたつの死刑が記されます (他は24:10-14)。両方とも、創造主を神としてあがめなかったことに対するさばきです。
特に9章22節から10章2節では「主 (ヤハウェ) の前から火が出て、祭壇の上の全焼のいけにえと脂肪を焼き尽くした」直後に、アロンのふたりの子に、「主の前からの火が出て、彼らを焼き尽くした」と記されます。現代的には、牧師就任式当日に、主が牧師を殺したというような感じです。
信仰の指導者には、厳しいさばきの可能性が待っています。使徒パウロも、「もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、あなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです」(ガラテヤ1:8) と記します。
「愛は寛容」ですが、同時に「十のことば」には、「わたしは、ねたむ神」(出20:5) とも記されています。神の愛には、それを軽蔑し、裏切る者に対する燃える怒りが隠されています。
一方、異教の人々は、神々のたたりを恐れ、その怒りをなだめる礼拝をささげてきました。私たちも、「主を恐れる」ことが何より大切だと言われますが、それとどう違うのでしょう?
神は「聖」であられ、私たちが好き勝手な方法で近づくことができない方です。しかし、その方が、私たちとの親密な交わりを築きたいと願ってくださったのです。
愛とは、何よりも、相手のあり方や気持ちを、尊敬を持って受け入れることに始まります。相手の好みを考えずに人をもてなすことなどあり得ませんが、それなのに、人は神に対して、神のお気持ちを遜って聞こうとする前に、しばしば、自分の勝手な思いを押し付けようとはしていないでしょうか。
1.大祭司の任職とイエスの任職
8章には祭司の任職の様子が描かれます。これは出エジプト記28章1節、29章、40章12-15節に記されていた主の命令を、モーセが実行したことの記述と理解できます。祭司職はアロンとその子らに受け継がれる働きで、これは主ご自身の選びに基きました。これまではモーセ個人が行なっていた働きを、組織的に行うという意味もあります。
これはイスラエルの民全体が、主 (ヤハウェ) にとっての「祭司の王国、聖なる国民」(出エジプト19:6) とされるために大切なことでした。組織は指導者から崩れ始めることが多いからです。それで、任職にあたり、主 (ヤハウェ) は、「全会衆を会見の天幕の入口の所に集めよ」(8:3) とモーセに命じます。
そこで、「モーセは主 (ヤハウェ) が命じられたとおりにした」(8:4) と記されますが、この表現はこの章だけで七回も出てきます (4、9、13、17、21、29、36節)。七は完全数ですから、このように「主が命じられたとおりに」することを通して、祭司の任職が全うされるということになります。
それから、「モーセはアロンとその子らを……水で・・洗った」(8:6) のですが、それは「きよめ」のしるしで、現在の洗礼式につながります。
新約の時代の私たちのうちには「神の御霊が……住んでおられ」、私たちはすでに「肉の中にではなく、御霊の中にいるのです」から (ローマ8:9)、肉においては異邦人である私たちもこのままで「王である祭司」(Ⅰペテロ2:9) と呼ばれるようになりました。ですから私たちもその働きのために水で洗っていただく必要があります。
そして、出エジプト記28章に記されている「栄光と美を表す聖なる装束」(2節) をつけます。その中心が「エポデ」ですが、その上につける「さばきの胸当て」に、イスラエルの十二部族を象徴する十二の宝石がはめ込まれ (15-21節)、またそこには、主のみこころを伺うための「ウリムとトンミム」が入れられます (30節)。
そして、頭のかぶり物の全面には金の記章が付けられ「主 (ヤハウェ) への聖なるもの」(36節) と彫られていました。
つまり、大祭司は、神に対してはイスラエルを代表し、民に対しては神の栄光と聖を示すという重要な責任を担っていたのです。
ついでモーセは、「幕屋とその中にあるすべてのものに油を注ぎ・・聖別し」(8:10)、また、「注ぎの油をアロンの頭にそそぎ……聖別し」(8:12) ました。
幕屋という礼拝の場の聖別と、大祭司職の聖別がセットに記されていることは興味深いことです。これは現代の教会において、会堂の聖別と牧師の聖別に適用できるかもしれません。どちらも同じように重い意味を持ちます。
その上で、モーセはアロンの子らには、「長服を着せ、飾り帯を締めさせ……ターバンを巻きつけさせ」ます (8:13)。これはエポデや金の記章に象徴される大祭司の装束とは決定的に違います。
なお、アロンの頭の上に注がれた油は、大祭司としての特別な任職で、「ひげに流れて、その衣のえりにまで流れしたたる」ほどの量でした (詩篇133:2)。
イエスはご自身の働きをイザヤ61章の成就として、「わたしの上に主の御霊がおられる。主が貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしの上に油を注がれたのだから」と言われました (ルカ4:18)。イエスは「アロンの位」ではなく、アブラハムに勝る「メルキゼデクの位に等しい大祭司」とされています (ヘブル6:20、7:11)。
そして、私たちクリスチャンは、先に述べたように「王である祭司」とされています。
その上で、モーセは、アロンとその子らのための「罪のためのいけにえの雄牛を近寄せ」(8:14)、その血によって、彼らが奉仕する祭壇をきよめました。この場合は、脂肪と肝臓や腎臓は焼いて煙にされますが、その皮と肉とは、「宿営の外で火で焼かれる」ことになります (8:17)。
また、続けて「雄羊」は、「なだめのかおり (a pleasing aroma) としての全焼のいけにえ」(8:21) としてささげられます。それは祭司自身を聖めて主にささげるという意味があります。
そして、任職のための別の雄羊をほふり、その血を「アロンの右の耳たぶと、右手の親指と、右足の親指に塗りました」(8:23)。これは、アロンが主のみこころを聞き分け、主の手、主の足として仕えるためです。それと同じことがアロンの子らにも行われます。
主の手足として働くこと以前に、主の御声を聞くことが何よりも大切にされていますが、それは私たちにも適用できることです。主のみこころを理解しないまま、熱い情熱で動いて周りの人々を振り回す人ほど迷惑な存在はないからです。
その後、その雄羊の脂肪と内臓と「右のもも」を取り、その上に三種類のパンを置いて、それを「アロンの手のひらとその子らの手のひらに載せ、奉献物として主 (ヤハウェ) に向かって揺り動かし」ます (8:27)。これは英語で「a wave offering」と呼ばれ、ささげ物が主の所有であることを現わします。
ここで大切なのは、祭司の手のひらが主への奉献物で満たされることです。それは祭司の働きが主への奉仕で満たされることを意味します。その後、この奉献物は基本的にすべて「焼いて煙に」されます (8:28)。
ただし、「胸」の肉は、「奉献物として主に向かって揺り動かした」後は、「モーセの分」とされ、それは会見の天幕の入り口の所で祭司たちが煮て食べるよう命じられました (8:31)。
そして、このような任職の式は、七日間続きました (出エジ29:35、36参照)。
「主 (ヤハウェ) は、人が自分の友と語るように、顔と顔とを合わせてモーセに語られた」(出エジ33:11) と描かれていたようにモーセは特別の存在ですが、アロンの場合は、罪人の代表者に過ぎませんでした。彼は、かつて、民の声に圧倒されて金の子牛を作り、彼らの堕落した礼拝を導いた張本人でもあります。
しかし、神は、そんな彼と彼の子孫をご自身の働きのために聖別し、用いようとされました。そのために、彼らはまず、自分の「罪のためのいけにえ」と「全焼のいけにえ」をささげる必要があったのです。
そして今、私たちの大祭司は、イエスご自身です。主は、神の御子として、神の栄光と聖をそのままの姿で表すことができましたが、一方で、イエスは罪人の仲間、代表者となるために、「血と肉とを持つ」(ヘブル2:14) 死ぬべき人間の姿になる必要がありました。
それは、「そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるために、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは罪のために、なだめがなされるためでした」(ヘブル2:17) と記されているとおりです。
そして、アロンが水できよめられ、油注ぎを受けたように、イエスはヨルダン川でバプテスマを受け、その上には、聖霊が鳩のように下って、大祭司の働きに召されたのでした。
それは、罪人の代表者となるための任職でした。共通するのは、神の側から、ご自身の主導権で、人との交わりを築きたいと願っておられることです。
2.最初の礼拝 現代の聖餐式に通じるもの
祭司としての任職が終わった八日目になって初めて、アロンとその子らが、自分でいけにえをささげることが許されました。アロンは自分自身の贖いのために、「小牛」を「罪のためのいけにえ」、「雄羊を全焼のいけにえ」としてささげることが命じられ、また、イスラエルの民全体の贖いのためには「雄やぎ」を「罪のためのいけにえ」、「子牛と子羊を全焼のいけにえ」、また「雄牛と雄羊」を「和解のいけにえ」として、また「穀物のささげ物」をささげることが命じられました (9:2-4)。
そしてそこでは、「それは、きょう、主 (ヤハウェ) があなたがたに現れるからである」(9:4) と約束され、また彼らがすべてのささげ物を会見の天幕の前に持ってきたとき、「これは、あなたがたが行なうように主 (ヤハウェ) が命じられたことである。こうして主 (ヤハウェ) の栄光があなたがたに現れるためである」(9:6) と重ねて言われました。
アロンは、民のためのささげ物の前に、自分自身の「罪のためのいけにえと全焼のいけにえ」(9:7) をささげる必要がありました。
その前はモーセがアロンのために祭司としての任職をしたのですが、今度はアロン自身で、「自分のために罪のためのいけにえの子牛をほふり……その血を祭壇の角に塗り……脂肪と腎臓と肝臓の小葉を祭壇の上で焼いて煙にしました」(9:8-10)。
その上で、雄羊を全焼のいけにえとしてほふり、焼いて煙にしました。
この後初めて、彼らは祭司としての働きにつくことができました。
それは、「民のための罪のためのいけにえとしてやぎを取り、ほふって……それから全焼のいけにえをささげ(子牛と子羊)……次に穀物のささげ物をささげ……ついで、民のための和解のいけにえの牛と雄羊とをほふり……脂肪を祭壇の上で焼いて煙にし」(9:15-20) というものでした。
なお、ここに、いけにえをささげる順番が初めて示されますが、ひとつひとつが独立したものではなく、セットになったものと考えられます。
第一の、「罪のためのいけにえ」は、「きよめのいけにえ」とも訳されるもので、これによって汚れた者が、聖なる神の前に出ることが許されます。
第二は、「全焼のいけにえ」で、神の怒りをなだめるかおりとなります。これによって人は、全存在が神に受け入れられた者と認められます。
第三の「穀物のささげもの」は、「貢物」とも訳され、自分たちの労苦の実を、神の祝福への感謝としてささげるものです。
そして、第四の「和解のいけにえ」は、礼拝者に食べることが許されたいけにえですが、ここではそのことが述べられずに、脂肪と内臓が焼いて煙にされ、「胸と右のもも」は、「奉献物として主 (ヤハウェ) に向かって揺り動かす」ように命じられます (9:21)。そしてその残りの部分の肉が、神から与えられた「平和」のしるしとして、それを家族とともに食べることができました。
そして、今、私たちは、これらすべてを聖餐式において覚えることができます。キリストが「罪のためのいけにえ」となってくださったので、その血によって、大胆に神の御前に出ることが許されています。
そして、イエスご自身が「全焼のいけにえ」による「神へのささげ物」「供え物」として「香ばしいかおり」となってくださいました (エペソ5:2)。それで今、神ご自身が私たちに向かって、「あなたは、わたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ」(ルカ3:22) と語りかけてくださいます。
そして、私たちは「神との平和を持っている」(ローマ5:1) 者として、神と人との交わりを喜ぶことができます。聖餐式のパンと杯は、神からのいのちの賜物です。イエスは、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます……わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります」(ヨハネ6:54、56) と言われました。
3.神に近づくことの恐ろしさ
アロンは、いけにえをささげ終えた後、モーセに導かれるようにして「会見の天幕に入り」ました (9:23)。これは、民を代表する大祭司としての初めてのことでした。
そこから出て、「民を祝福した」ところ、「主 (ヤハウェ) の栄光が民全体に現れ、主 (ヤハウェ) の前から火が出て来て、祭壇の上の全焼のいけにえと脂肪とを焼き尽くし」ました。これは神がイスラエルの民を受け入れてくださったしるしでした。
このとき、「民はみな、これを見て、叫び、ひれ伏した」のでしたが (9:24)、この「叫び」はしばしば、喜びの表現としても用いられることばです。民は、このとき「主 (ヤハウェ) の栄光」が現されたことに恐れを感じるとともに、大きな喜びと感謝を持って、この驚くべき光景を見たのだと思われます。
ところが、その後、「アロンの子ナダブとアビフは、おのおの自分の火皿を取り、その中に火を入れ、その上に香を盛り、主が彼らに命じなかった異なった火を主の前にささげた」(10:1) と描かれています。すると、何と、「主の前から火が出て、彼らを焼き尽くし、彼らは主の前で死んだ」(10:2) というのです。
祭壇の上の全焼のいけにえと脂肪を焼き尽くしたと同じ火がアロンの二人の子に臨みました。その悲劇の原因は、勝手なときに勝手な方法で、「主の前に近づく」(16:1、2) ことでした。
ただし、彼らが実際に何をしようとしたのかはよくわかりません。
出エジプト記30章1-9節には至聖所の垂れ幕の前の香壇のことが記されています。それによると、朝と夕ごとに燭台のともしびを整えるときに、「煙を立ち上らせなければならない……これは主 (ヤハウェ) の前の常供の香のささげ物である。あなたがたは、その上で異なった香……をささげてはならない」(8、9節) と記されていました。これは「香をたく」ことですから、「火を主の前にささげる」こととは違います。
一方、レビ記16章11-13節には年に一度の大贖罪の日に、大祭司が、「自分の罪のためのいけにえの雄牛をほふり……祭壇から、火皿いっぱいの炭火と……かおりの高い香とを取り、垂れ幕の内側に持って入り……香から出る雲があかしの箱の上の『あがないのふた』をおおうようにする。彼らが死ぬことのないためである」と記されます。
つまり、彼らは聖別されていない自分の火皿を用い、大祭司が年に一度だけ至聖所に入るときの真似をやってみたということなのかもしれません。それは、モーセとアロンの権威に逆らうことであり、民全体の主への礼拝を導くという責任意識がまったくない身勝手な行為です。
とにかく、この日に、アロン自身ですら初めて大祭司としての任職を受け、モーセの指導に忠実に従って、自分の罪のためのいけにえをささげ、民のささげものを主にささげ、会見の天幕に入ることができたのです。
ところが、アロンのふたりの息子は、そのようなステップを軽蔑するかのように、主の前に近づきました。主がモーセを通して示してくださった礼拝を真っ向から否定するような行為が、最初から許されるならば、レビ記の規定全てが否定されることになりかねません。礼拝は、「主 (ヤハウェ) がモーセに命じられたとおり」でなければ受け入れられないのです。
それで、モーセは、主ご自身のことばをアロンに伝えます。主は、「わたしに近づく者によって、わたしは自分の聖を現し、すべての民の前でわたしは自分の栄光を現す」と仰せられているというのです。
これはつまり、神はご自身の「聖」を、モーセとともに近づいたアロンを通しては、民を聖め受け入れることとして現されたということと同時に、ナダブとアビフが近づいたときには、死のさばきとして現されたということです。
神がご自身の「聖」を現わし、またご自身の栄光を現わすということが、神に近づこうとする祭司を、ご自身の火で焼き尽くすこととして現されたということは、恐ろしい現実です。それは神が、ソドムとゴモラを硫黄の火で滅ぼしたことに通じます (創世記19:24、25)。
その後、モーセはアロンのおじの子たちに命じて、ふたりの死体を宿営の外に運び出させ、アロンと彼の残りの二人の子、エルアザルとイタマルには、神のさばきを受け入れ、取り乱すことなく静かに泣き悲しむことを命じ、その上で、祭司としての働きを続けるように命じます。
そして10章9節で、主はアロンに直接語りかけます。その最初のことばは不思議にも、「ぶどう酒や強い酒を飲んではならない」から始まり、「あなたも、あなたとともにいるあなたの子らも、会見の天幕に入ってゆくときには。それは、あなたがたが死ぬことがないためである」と続きます。
これを見ると、アロンのふたりの子らは、酒に酔った勢いで、「異なった火」を主にささげたのではないかと推測されます。
その上で、祭司のつとめを、「聖なるものと俗なるもの、また、汚れたものときよいものを区別する」こと、また、「主がモーセを通してイスラエル人に告げられたすべてのおきてを……教える」ことにあると言われます。その使命は何よりも、主の民を、偶像礼拝の影響を受けたこの世の文化の影響から守り、主の民の礼拝を導くことにありました。
ですから、アロンのふたりの上の子らを生かしておくことは、民全体を最初から堕落に導くことになり得たのです。それほどに、祭司の責任は重大でした。
新約の時代においても、ヤコブの手紙には、「多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです」と記されています (ヤコブ3:1)。
旧約の民にとって、「神に近づく」ことは「いのちがけ」のことでした。それを前提にして、イエスは、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」(ヨハネ14:6) と言われました。
そして今、「イエスは、ご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道をも設けてくださったのです」(ヘブル10:20) とあるように、私たちは、神の「聖さ」に「打たれる」心配なしに、イエスの血によって、大胆に、真心から、神に近づくことができます。
なお、それは同時に、イエスのみからである教会の交わりにおいてと言うこともできましょう。自分勝手な自家製礼拝では、神に受け入れられないことがあります。
なお、10章14-16節において初めて、「揺り動かすささげ物 (a wave offering)」の実際的な意味のことが分かるように記されます。
民がささげた「和解のいけのえ」の「胸と右のもも」の肉は、奉献物として主に向かって揺り動かされることによって (9:21)、主のものとされ聖別されますが、それが、主から再び祭司たちのもとに与えられ、しかも、それは祭司の息子たちばかりか「娘たち」も「きよいところで食べることができる」のです (10:14)。
その後、モーセは罪のためのいけにえのやぎが焼かれてしまっているのを発見し、その肉はアロンとその子らが聖所で食べなければならなかったと叱責しました。それは、罪の贖いの手続き大切な部分であったからです。
それに対して、アロンは、「罪のためのいけにえと全焼のいけにえ」を主の前にささげた当日に、自分の二人の子が、主に打たれて死んだという悲しみをここで初めて表現します。
そこには、主への恐れの気持ちがあったので、モーセもそれ以上追及せずに、「それでよい」としました (10:20)。大切なのは何よりも、主への恐れを持つことだからです。
罪人が、聖なる神のみもとに近づくのは、いのちがけのことでした。しかし、レビ記の背景には、聖なる神が、汚れた民の真ん中に住みたいとご自身の方から願ってくださったという熱い思いがあるのです。そして、それは、罪人の代表者となろうとされるイエスの姿に見られます。
神との親密な交わりの中にこそ、真の幸いがあるからです。それは詩篇作者が、「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにありません」(詩篇16:2) と告白した通りです。
ただし、神は創造主であられ、私たちは被造物に過ぎません。人間の罪の根本は、自分を神として、神を非難し、人を振り回すことにあるということを忘れてはなりません。
幼い子が自分のわがままを親に対して押し通すことを許してしまうなら、それはその子を自滅に追いやるだけです。ときに親の断固とした態度が子供の真の成長を促すと同じように、神は自分勝手を押し通そうとしたアロンの子らを打つことによって、民との関係を守ろうとされたのです。