2014年4月18日 聖金曜日
イエスは大祭司の尋問に対し、ご自分をローマ皇帝に匹敵する「神の子」と認めたばかりか、父なる神の右の座に就く、栄光の雲に座す方であると、ご自分が全地の支配者であることを証しされました。当時の宗教指導者たちが、イエスを、「神を冒涜する者」として死刑に定めたというのは、当時の常識にかなったことでもありました。
ユダヤ人の反乱に苦しめられていたローマの兵士たちは、ユダヤ人の王としての救い主に、日頃の怨みをぶつけました。彼らはさんざんにイエスを嘲り、辱めた後に、イエスを十字架にかけ、その後、何と十字架で苦しむイエスのもとで、イエスの着物をくじ引きで分け合っていました。
道行く人々は、「もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い」とののしりました。
宗教指導者たちは、「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから。彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。『わたしは神の子だ』と言っているのだから」とののしったと記されています。
興味深いのは、「他人は救ったが、自分は救えない」というのが嘲りになるということです。残念ながら、この世界では、人に先んじるということが優秀さの証明になります。僕は昔、株式投資を勧めていたことがありますが、そこでは、あくまでも短期的な投資での話ですが、人に先駆けて上がりそうな株を買って、人に先んじて売り逃げることが儲ける秘訣です。最後に、ババを掴ませられては大損してしまいます。
小さいころから、私たちは人に先んじるための訓練を受けています。僕はいつも、行動がとろくて、自己嫌悪を感じることがありましたが、最近は、そのように訓練されること自体に疑問を感じるようになってきました。
韓国で痛ましい海難事故がありましたが、そこでは船長を初めとする乗組員が、22歳の女性を例外として、乗客を置き去りにして逃げてしまったとのことです。以前、イタリヤでも同じようなことが起き、船長は裁判にかけられています。
日本では、今から60年前の1954年9月タイタニックに次ぐ史上二番目の海難事故が起こりました。当時最新鋭の連絡船の洞爺丸が、台風の中、座礁転覆し、乗客乗員合わせて1155人が命を落としました。助かったのはわずか160人あまりでした。ほとんどの方々は、救命胴衣をつけたまま函館に近い浜に打ち上げられていましたが、その中に、ふたりの宣教師が、救命胴衣をつけずに死んでいたのが発見されました。
カナダ人宣教師アルフレッド・ストーンさん52歳と、アメリカのYMCA宣教師ディーン・リーパーさん33歳でした。その他に、ドナルド・オースさんというアメリカ人宣教師もいましたが、彼は奇跡的に助かりました。
彼ら三人は、悲鳴に渦の中で逃げ惑う乗客に救命具を配り、着用に手間取る子供や女性たちを必死に助けたとのことです。リーパーさんは自慢の手品で、パニックに陥った人々を和ませ、最後には、救命具が壊れたと泣き叫ぶ子供づれのお母さんに自分の救命具を上げてしまったとのことです。
そして、ストーンさんは、救命具のない学生を見つけ、「あなたの前途は長いから」といって救命具を譲ったとのことです。
事故から数日後、その救命具をもらった青年が現れ、新聞で大きく取り上げられました。あとで、わかったことですが、このストーンさんはまったく泳げなかったとのことです。泳げるふりをして、若者を助けたのでしょうか
この三人は、「他人は救ったが、自分は救えない」というイエスの生き方に習ったのです。それは、自分たちに既に「永遠のいのち」の保証があるからこそできたことでした。そして、イエスが真に「イスラエルの王」であられたという事実は、ご自分の民を救うために肉体的な命を犠牲にできたことに現されています。
私は長い間、イエスが十字架上で、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれたということの意味が分かりませんでした。最初に出会った宣教師などからいろいろ合理的な説明を聞きながら、どうしても心の底には落ちて行きませんでした。
しかし、このことばは、詩篇22篇の冒頭のことばそのものであるということが分かって以来、このイエスの叫びが深い慰めに変わってきました。まだ、完全に分かりきっているわけではありませんが・・・
少なくとも、イエスはこの期に及んで、往生際が悪いかのように、「どうして」とつぶやきつつ、自分を十字架にかける「理由」を聞いているわけではありません。多くの妻たちは夫に向かって、「どうして、私の話を聞いてくれないの」というとき、聞かない理由を尋ねているのではなく、「真剣に聴いてちょうだい」と訴えているのと同じです。
イエスは、ここで、神の沈黙に必死に耐えながら、それでも、その方を、「私の神、私の神」と、あきらめることなく呼びかけています。まわりが敵だらけで、すべての人から見捨てられたばかりか、全地が三時間も暗くなり、神にさえ見捨てられたと思われる中で、なお、「私の神、私の神よ。見捨てないでください」と懇願し続け、また「遠く離れないでください・・助けに急いでください、救ってください」(19,21節)と訴え続けているのです。
詩篇22篇は、イスラエル王国を黄金の時代に導いたダビデ王が書いた「祈りの歌」です。ダビデは若い時に、前王サウルのねたみを買い、不当な理由で命を付け狙われながら孤独に耐えていました。彼は人々から嘲られ、ののしられながら、しかも、そこで神からさえも見捨てられたと思えるような中で必死に、神に訴えていました。
しかし、それは神がダビデに与えた試練でした。それを通して、彼は、人間の力ではなく、イスラエルの神ヤハウェに頼る王として整えられました。それは、イスラエルの王になる者が通るべき苦しみでした。
そしてイエスも今、イスラエルの王、全世界の王として、正式な即位をするために、この苦しみを耐えています。それにしても、この詩篇の7,8節の「見る者は皆、私をあざけり、口をとがらせ、頭を振ります。『主(ヤハウェ)にまかせ、助けてもらえ。救ってもらえ、神のお気に入りなのだから』」という記述は、イエスの十字架の姿そのものです。
また、16,18節の、「犬どもが包囲し、悪者どもの群れが取り巻き。私の両手と両足を突き刺しました・・・彼らは私をながめ、ただ見ています私の上着を互いに分け合い、この衣のために、くじを引きます」ということばも、まさにイエスの十字架で起きた出来事です。
しかし、それによってダビデは、21節の三行目、「あなたは答えてくださいました」という、「救い」を体験しました。そこから「神の国」、「神のご支配の豊かな愛の交わり」が始まり、時空を超えて広がる様子が描かれています。
そしてそれはイエスの復活賛美の始まりとして、ヘブル2章12節ではこの詩の22節のことば、「私は御名を兄弟たちに語り、会衆の中であなたを賛美しましょう」が引用されています。
ダビデがイスラエルを神の国へと導くためには、人々からあざけられ、ののしられ、神の沈黙に耐えるという、孤独のプロセスを歩む必要がありました。みんなからその能力を称賛され、期待されて王になる人は、しばしば、人間の能力競争を引き起こし、争いの生み、それを力で抑え込むという悪循環の原因となります。
ダビデは、神の救いが見えない中で、必死に神にすがり続け、人間的な意味での限界を通り越すところまで追いやられました。そして絶望的な状況の中で、諦めずに神に訴えることで初めて、神の救いを体験しました。
私たちは、ときに、自分の信仰の力によって神の力を引き出すかのような誤解をしていることがあります。しかし、洞爺丸事故で自分の身を犠牲にして人々を助けた宣教師は、人間的な意味では、すべての救いの可能性を失っていながら、自分の命を神と人にささげました。
先の見通しがない中でこそ、神の偉大な救いのみわざが明らかにされます。ふたりの宣教師は、人間的な意味では命を失いましたが、彼らの行為は、生存者を通して伝えられ、全世界に感動を与え、多くの人々を神に立ち返らせました。彼らも詩篇22篇の絶望と救いを体験したのです。
イエスは、当時の宗教指導者から、「もし、神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい」と嘲られ続けました。そしてその論理的な帰結であるかのように、三時間の暗やみによって神に見捨てられていながら、「神のお気に入り」としての自覚を失うことなく、「私の神、私の神」と、沈黙する神に、なお訴えたと描かれています。つまり、イエスはそのとき、当時の誰もが理解できなかった形で、「神の救い」を求めて、祈っておられたのです。
ただ、それは、「少しの間、苦しみに耐えたら、詩篇22篇の後半の救いが見られるから、大丈夫・・・」という甘いものではありません。イエスはこのとき、実は、全世界の罪に対する「神の怒り」を一身に引き受け、まさに、史上最悪の罪人かのようになって、神の「のろい」をその身に受けていたのです。
そのことをガラテヤ3章13節は、「キリストは、私たちのためにのろわれた者となって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられた者はすべてのろわれたものである』と書いてあるからです」と記しています。
イエスは、十字架でまさに、私たちの罪の「のろい」を引き受ける真の王として、想像を絶する孤独と苦しみを体験していました。そのことが、全地が三時間もの間、暗黒となったこととして記されています。
ところで、「律法ののろい」とは、何でしょう。それは特に申命記28章15節以降に恐ろしいほど写実的に、詳しく描写されている暗黒世界です。イスラエルは、神にそむくことによって、そののろいを受けました。それはバビロン捕囚として現れました。しかし、イエスの時代にも、人々はバビロンの代わりに、ローマ帝国の圧政を受けており、バビロン捕囚はほんとうの意味では終わっていなかったのです。
申命記30章ではモーセの告別説教が、「私があなたの前においた祝福とのろい、これらすべてのことが、あなたに臨み・・・主(ヤハウェ)があなたをそこに追い散らしたすべての国々の中で・・これらのことを心に留め、あなたの神、主(ヤハウェ)に立ち返り・・・あなたも、あなたの子どもたちも、心を尽くし、精神を尽くして御声に聞き従うなら、あなたの神、主(ヤハウェ)は、あなたの繁栄を元どおりにし…あなたを栄えさせる」と約束されていました(1-5節)。
つまり、イスラエルが神の「のろい」から真の意味で解放されるためには、なお、苦しみを通して、主に信頼し続けるというプロセスが必要だったのです。
イエスは、イスラエルの王として、この申命記ののろいをご自分の身に引き受け、なお、そこで、「私の神、私の神」と、神への信頼を表現することによって、神の救いのご計画を全世界にまで広げてくださいました。
ですから、先の続きのガラテヤ3章14節では、「このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト家によって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです」と記されています。
イエスが、十字架で、神の「のろい」を受けてイスラエルに対する神の救いのご計画を完成して下さったのは、救いが異邦人に及ぶためであり、私たちが約束の御霊を受けるためだったのです。
「約束の御霊を受ける」とは、私たちの「こころに主イエスを宿す」ようになることです。その幸いを、バッハの編曲で有名になった「主よ、人の望みの喜びよ」は歌っています。
そして、イエスをこころに招きいれるとは、人に先んじることができるような、この世的な勝利に次ぐ勝利の歩みができることではなく、他者のために苦しむことができる力が生まれるということです。この世界に必要なのは、自分の身を犠牲にしてでも、人を生かすことができるような愛の交わりです。
私たちはあまりにも臆病すぎて、神と人とを愛し続けることはできなくなることがあります。しかし、脅して人を恐怖に陥れるのがサタンの計略です。イエスは私たちを死の恐怖という奴隷状態から解放してくださいました。それが、主イエスがその身を与えて私たちを奴隷状態からあがない、サタンの支配下から救い出してくださったという意味です。「主よ、人の望みの喜びよ」の元となった讃美歌の原歌詞以下の通りです。
1.イエスをこの心に持っている私は幸せ! 何と固く主を抱きしめることでしょう。 主はこの心を活かしてくださるから。 私がやまいのときも、悲しみのときも イエスご自身が私のうちにおられる。 いのちを賭けてこの私を愛された方が。 ああ、だから私はイエスを忘れはしない。 たとい悲嘆に暮れることがあろうとも。 2.イエスはどんなときにも私の喜び。 この心の慰め、生命のみなもと。 イエスはすべての中での守り手 主こそが私に生きる力を与える 主は私の目の太陽、また楽しみ このたましいの宝、無上の喜び ああ、だから私はイエスをいつも こころの目の前から離しはしない。