神の国の大使館としての教会

立川チャペル便り「ぶどうぱん」2014年春号より

「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです」 (Ⅰペテロ2:9)

私たちは神によって選ばれ、東京の地に遣わされている神の国の大使です。日本にいながら、私たちの国籍は天にあります。「天」とは、天国というよりは、目に見えない神のご支配の領域を指します。私たちは、天の父なる神、また御子イエス・キリストからこの地における使命を委ねられています。

誰に対して説明責任を果たすべきかを日々、思い起こす必要があります。そして、私たちに与えられている最大の使命とは、この東京の地に、神の国を広げることです。それは、もちろん、人々にイエス・キリストの救いのみわざを告げ知らせることで達成されますが、それ以上に、神の民としての新しい価値観、新しい生き方、新しい希望を様々な働きを通して紹介することが何よりも大切です。

上記のみことばの背景には、エジプトの奴隷状態から解放されたイスラエルの民への約束があります。主は、彼らに「十のことば」を初めとする恵みの教えを与えてくださいましたが、その際、主は、「今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる」(出エジプト19:5、6)と言われました。

イスラエルの民に、「約束の地」と「十のことば」が与えられたのは、そこにエデンの園のような神の平和に満ちた世界を実現するためでした。その国を見た世界中の人々が、主の御教えに感動し、主に従いたいと願うようになるための見本になるためでした。しかし、彼らは主が与えてくださった恵みの教えを、自分たちを束縛する「律法」のように捉えてしまいました。

同じ危険が私たちにもあります。聖書の教えは、私たちを生かし、私たちを祝福の見本にするために与えられています。これは決して、私たちを縛る戒律や道徳ではありません。そして、私たちはみことばを味わうことをとおして、神の祝福を目に見えるかたちで現すことができるようになります。

神の祝福がイスラエル王国を通して現れるはずだったのと同じように、神の祝福は目に見えるキリスト者の交わりの中に現されます。ですから私たちが互いに愛し合うことができること自体が、この世界に対する最大の証しになることを忘れてはなりません。

キリストの教会は、伝道を目的とした機能的な組織である前に、神の愛が聖霊を通して現される小さな神の国なのです。全宇宙を創造された生ける神の偉大な力が、私たちの交わりのただ中に現されます。それをともに期待しましょう!

それにしても、私たちは神を知らない人々を、神の国の交わりの中にお誘いすることがなければ、人々は神のみわざを見ることができません。そのために私たちは、たとえば、神の国の音楽を初めとする芸術、料理を含めたライフスタイル、子育てにおける神の国の価値観を紹介しますが、何よりも、より多くの人々が神のことばである聖書を学ぶことができるように励まします。

私たちは、この東京の地の人々をこの大使館の中に招き入れるとともに、ひとりひとりが神の国の大使として、神の国の価値観を様々な働きを通して知らせるために遣わされるのです。

私たちは引き続き、以下の理念の何よりも活動の中心とします。

Worship:聖日礼拝の場は、天の支配がこの地に現される空間です。礼拝をより豊かにするために私たちは互いに協力し合います。これは、すべての日常的な働きに優先すべきことです。

Fellowship:私たちは日本人や韓国人、中国人である前に神の国の民とされています。私たちの交わりの中のただ中に、世の人々は神の国の新しい生き方や価値観を発見するのです。「互いに愛し合う」ことこそ、最高の伝道になるということを忘れてはなりません。

Sonship:私たちはみな、このままで「神の子」(Son of God) と同じ立場にされています。私たちがこの東京の地で仕事をしたり家庭を営んだり、様々な地域活動に参与しますが、その際、神が私たちのためにどれだけ大きなことをしてくださっているかを繰り返し思い起こす必要があります。

上記の目標をどのような具体的な活動で表現して行くか、それを共に考えて行きましょう。私たちの教会では、何よりも、ひとりひとりの主体性を尊重して行きたいと願っています。まず、主の御前に静まり、祈ってみましょう。大切なのは人間的な意欲ではなく、聖霊に押し出された心の自由です。

そして、聖霊のみわざは、この世界の様々な悲惨に目を開きながら、「うめく」ことから始まります。愛が冷めた世界の現実を直視して「うめく」ときに、あなたに対する神の期待が見えて来ます。