2012年4月1日
当教会での礼拝が始まったころ、世はバブルの全盛期でした。私は時代に逆らうように、この受難節の時期、来る日も来る日も、イエスの十字架の御苦しみに思いを馳せるというメッセージをし続けました。そこに私たちの癒しがあると信じていたからです(ただ、時代に逆らいすぎると、話は通じない、という現実も悟りましたが・・・)。そこではとにかく、「イエスの十字架を、罪の消しゴムのように軽く見てはならない・・」と、「重・・・く」語り続けました。それは当然、大切な真理です。
しかし、最近は、将来への希望が見えない風潮の中で、十字架の「暗さ」に、この世の暗やみを圧倒する「光」を見ることの大切さがわかってきました。N.T.Wrightは、「the cross is the victory that overcomes the world (十字架は、世を打ち負かす勝利である)」と述べていますが、イエスの時代の「十字架」は、ローマ帝国の秩序に従わせる「脅し」の手段でした。しかし、その脅しはキリストの弟子には通用しなくなりました。
そればかりか、やがてローマ帝国が十字架の前にひざまずくことになりました。イエスの受難のシーンには、真の王者の姿が描かれています。それに、ハエを殺すように人を殺すことができたローマの百人隊長は気づきました。十字架はイエスが真の王であることを全世界に証しする場面となったのです。
なぜなら、真の王の権威とは、民を救うためには自分のいのちを差し出すことができるという生き様に現されるからです。私たちは十字架に見られる逆説をどれだけ理解しているでしょうか。そこには一生かかっても分からないほどの神秘が隠されています。
1.ユダヤ人の指導者がイエスの死刑判決を求めた理由
15章1節には、「夜が明けるとすぐに、祭司長たちをはじめ、長老、律法学者たちと、全議会とは協議をこらしたすえ、イエスを縛って連れ出し、ピラトに引き渡した」と記されていますが、前夜イエスはユダヤ人の最高議会ですでに死刑と宣告されていました。
しかし、当時のユダヤでは正式な死刑判決はローマ総督しか下すことができませんでした。それで、ユダヤ人の宗教指導者はイエスをローマ総督ピラトに引き渡す必要があったのです。
なお、先の最高議会で、大祭司がイエスに、「あなたは、ほむべき方の子、キリストですか」(14:61)と質問したとき、主は「わたしはそれです」と言われたばかりか、「人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです」(14:62)と言われました。
これは、ダニエル7章13からの引用ですが、それは、救い主が、神の栄光を象徴する「天の雲」に乗って、父なる神の前に導かれ、その右の座に着いて、「主権と光栄と国が与えられる」という一連の栄光へのプロセスを「あなたがたは見る」と言われたという意味です。
しかし、イエスは今、弟子たちにも逃げられ、ひとりぼっちで無力に立っているのです。彼らがこれを、「神をけがすこのことばを聞いた」と言いながら、「全員で、イエスには死刑にあたる罪があると決めた」というのも、無理からぬことです。世の多くの人は、イエスが無実の罪で十字架にかけられた悲劇の主人公であるかのように考えます。
しかし、イエスが死刑判決を受けた直接のきっかけは、ご自身がダニエル7章の預言の成就者だと宣言したことにあります。彼は、死刑にふさわしい人であるか、本物の世界の支配者であるかのどちらかでしかあり得ません。単に無実の罪で十字架にかけられた人が、私たちすべての罪をどうして担えるのでしょう。
イエスは「あなたがたは見るはずです」と言われましたが、まさに、イエスの十字架を見たローマの百人隊長は、「この方はまことに神の子であった」と言ったのでした(15:39)。十字架でイエスの栄光が現わされ、新しい神の国が実現したのです。
イエスが引用されたダニエル7章には、その後、この世の権威が裁かれ、あなたがキリストとともに王とされ、栄光に包まれ、すべての問題が解決することが約束されています。あなたにとっての救いの理解は狭過ぎはしないでしょうか。今も起こる様々な奇跡や病の癒しは、救いの完成のしるしなのです。
2.イエスはユダヤ人の王としてあざけりを忍ばれた
そして、ピラトはイエスに「あなたは、ユダヤ人の王ですか」と尋ねましたが、イエスは、「そのとおりです」とご自分が「王」であるとお認めになられました。
この15章には六回にわたって「ユダヤ人の王」または「イスラエルの王」ということばが繰り返されます(2,9,12,18,26,32節)。当時の人々が待ち望んでいた救い主は、「ユダヤ人の王」としてローマ帝国からの独立を勝ち取る軍事指導者でしたが、イエスはご自分が「王」であること認められたのです。
ただし、当時のローマ帝国の法律では、イエスが実際に群集を帝国への反抗へと扇動しない限り十字架刑にはできません。ですから、祭司長たちは、イエスが群衆を扇動していたと「きびしく訴え」(15:3)ました。ところがイエスはご自分を弁護しようとはされませんでした。
そこで、ピラトはイエスに弁明を促しますが、「それでも、イエスは何もお答えにならなかった。それにはピラトも驚いた」(15:5)と記されます。これは、イザヤ53章7節に記された主のしもべの姿でした。
そこでは、「痛めつけられても、彼はへりくだり、口を開かない。ほふり場に引かれる羊のように・・・。毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない」と預言されていました。イエスは敢えて、「ユダヤ人の王」として苦しむことを望まれました。王には民全体の身代わりになる資格があるからです。
ピラトは、イエスに「帝国への反逆罪」を適用するには無理があることを認めながら、責任のがれのための妥協策を考えます。それは誰の目からも十字架刑にふさわしいバラバという人と、イエスのどちらかに恩赦を与えるというものでした。群集は、つい五日前にイエスをダビデの子として歓迎しましたから、ピラトはイエスの釈放が願われると思ったことでしょう。
ところが彼らは、宗教指導者の説得に応じてバラバの釈放を願い、本来彼が受けるべき刑罰をイエスに要求しました。彼らは、無抵抗のイエスを見て、自分たちの期待が裏切られたことに腹を立てたのだと思われます。
ピラトはユダヤ人を皮肉って、「あなたがたがユダヤ人の王と呼んでいるあの人を、私にどうせよと言うのか」と尋ねますが、すると彼らはまたも「十字架につけろ」と叫んだというのです(15:13)。
バラバが釈放されたのは、イエスが「ユダヤ人の王」として訴えられていたためでした。これは、イエスが真にユダヤ人の王であるからこそ、一人のユダヤ人が王の権威によって恩赦に浴したと解釈することもできましょう。
それに対し、ピラトは彼らに、「あの人がどんな悪い事をしたというのか」と言いました。これは本当に群衆が自分自身に問うべき質問でした。ところが、彼らはますます激しく「十字架につけろ」と叫んだというのです。
その後のことが、「それで、ピラトは群衆のきげんをとろうと思い、バラバを釈放した。そして、イエスをむち打って後、十字架につけるようにと引き渡した」(15:15)と記されます。当時のローマ総督は、民衆をうまく治めることができないと、すぐにローマ皇帝によって首を挿げ替えられる不安定なものでした。それでピラトは自分の身に危険が及ばないように、ローマの法律では死刑にできないはずの人に死刑判決を下しました。
人間的には、もし、イエスがユダヤ人を独立運動に導いていたら、こんなことにはならなかったことでしょう・・・。それにしても、ここにはピラトの支配力の脆弱さが見られます。多くの現代の中間管理職も同じような行動をとってはいないでしょうか。
16-19節にはローマの兵士たちがイエスをあざける様子が描かれています。彼らは、「イエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ」ますが、それは王の格好をさせたという意味です。ただ月桂樹の代わりに「いばら」で冠を編んだのはひどい侮辱です。
そして彼らは、「ユダヤ人の王さま。ばんざい」と叫んであいさつをし始めたばかりか、「葦の棒でイエスの頭をたたいたり、つばきをかけたり、ひざまずいて拝んだりしていた」というのです。
「葦の棒」とは彼らが王酌に見せるためにイエスに持たせたものですが、彼らはユダヤ人のテロ攻撃を恐れていましたから、彼らはイエスをテロリストの王に見たてて日頃の憎しみをぶつけたのかもしれません。
3.この世的な王と、聖書で預言されていた王
イエスの十字架を負われた歩みが驚くほど簡潔に、「彼らはイエスを嘲弄したあげく、その紫の衣を脱がせて、もとの着物をイエスに着せた。それから、イエスを十字架につけるために連れ出した」(15:20)と記されます。マルコは、読者の心の目を、イエスの肉体的な痛みの代わりに、兵士たちの思いのままに振り回される様子に向けさせます。これは、イエスが当時の人々が「王」に期待する姿の正反対の姿です。
イエスはこの少し前で、「異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また偉い人たちは彼らの上に権威をふるいます。しかし・・あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい・・・人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです」(10:42-45)と言っておられましたが、そのような王としもべの立場の逆転がここに見られます。
そして、「そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた」(15:21)と意外な光景が描かれます。クレネ人シモンに十字架が背負わされたのは、イエスが衰弱し切っていたからですが、ここでも肉体的な苦しみは描かれません。
イエスは、かつて、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(8:34、)と言っておられました。いなか者のシモンは、このとき、とんでもない目にあったと思ったことでしょうが、後には、自分がどれだけ名誉ある働きを担うことができたのかということに気づきました。
そして、ここに名が記された彼のふたりの子は、誰もが知る初代教会の有力のリーダーなったのだと思われます。シモンは、イエスの十字架を担わされましたが、私たちは進んで自分の十字架を負って、イエスの御跡に従うように召されています。それがどのような意味を持っていたかは、シモンのように後でわかります。
そして、イエスが十字架にかけられる様子が、淡々と、「そして、彼らはイエスをゴルゴタの場所(訳すと、「どくろ」の場所)へ連れて行った。そして彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとしたが、イエスはお飲みにならなかった。それから、彼らは、イエスを十字架につけた。そして、だれが何を取るかをくじ引きで決めたうえで、イエスの着物を分けた」(15:22-24)と描かれます。
不思議にも、イエスがどのように両手に釘を打たれ、十字架にかけられたかなどという描写は省かれています。その代わりに、イエスが、痛み止めの「没薬を混ぜたぶどう酒」をお飲みにならなかったということが記されます。それはイエスがイスラエルの王として、彼らが飲むべき神の怒りの盃を飲み干そうとしておられたからです(10:38、イザヤ51:17)。
また、イエスの着物がくじで分けられたということは、兵士たちはイエスの痛みにはまったく無関心であったということを現しています。
イエスはこのとき人間として最も厳しい孤独を味わっておられました。それはダビデが詩篇22篇で、「私の力は、土器のかけらのように、かわききり、私の舌は、上あごにくっついています・・・彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします」(15,18節)と記したことをそのまま体験したことを意味します。
イエスはイスラエルの王、ダビデの子として、ダビデが味わった心の痛みをそのまま味わっておられるのです。これも当時の人々が思い描いた王の姿とは真逆のものですが、それこそ聖書に記されたイスラエルの王の姿だったのです。
4.「ユダヤ人の王」という罪状書きに隠された二重のアイロニー
そして、イエスの十字架の様子が、「彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった。イエスの罪状書きには、『ユダヤ人の王』と書いてあった。また彼らは、イエスとともにふたりの強盗を、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた」(15:25-27)と描かれます。ここには驚くべき二重のアイロニーが見られます。
「ユダヤ人の王」であるはずの人が、「ふたりの強盗」に挟まれ、「罪人の頭」として十字架にかけられたというのは当時の人々にとってはアイロニーと思えました。
アイロニーとは、出来事の表面で起こっていることと、実際の現実との間にギャップがある状況のことであると言われます。十字架にかけられた方は真の「ユダヤ人の王」でした。人々は愚かにもその現実を知らずに、彼らの王をののしっていました。これほど悲劇に満ちたアイロニーがあるでしょうか。
その上で、十字架のイエスを見た人の反応が、「道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって」、「おお、神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。十字架から降りて来て、自分を救ってみろ」(15:29、30)と言ったと記されています。イエスはご自分で神殿を壊すとは決して言っておられませんが、「わたしは、三日でそれを建てよう」と確かに言われました(ヨハネ2:19)。
当時の人々は、ヘロデの神殿の豪華さはみせかけで、そこに神の栄光の隣在がないことを知って、救い主が神殿を完成してくれることを待ち望んでいました。イエスはそれを成就する救い主だったのですが、人々はその救い主が十字架に犯罪人としてかけられていることにつまずき、厳しくののしりました。
「また、祭司長たちも同じように、律法学者たちといっしょになって、イエスをあざけって」、「他人は救ったが、自分は救えない。キリスト、イスラエルの王さま。今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから」と言いました(15:31、32)。これは何よりも、イエスがイスラエル王国を再興するダビデの子であるとの期待を持たせたことを皮肉ったアイロニーです。
しかし、ダビデ自身が詩篇22編7,8節で、イスラエルの王としての嘆きを、「私を見る者はみな、私をあざけります。彼らは口をとがらせ、頭を振ります。『主にまかせよ。彼が助け出したらよい。彼に救い出させよ。彼のお気に入りなのだから』」と表現しています。まさにイエスは、ダビデの子として、ダビデが受けたとの同じようなあざけりを受けたのです。
イエスはこれによってご自分こそが預言されたイスラエルの王であることを証しされたとも言えましょう。これも私たちにとっての王のイメージを変える神のアイロニーです。
なおこのときマタイもマルコも十字架にかけられたひとりの犯罪人の悔い改めを描く代わりに、「また、イエスといっしょに十字架につけられた者たちもイエスをののしった」と記します(ルカの場面はその後)。それは十字架上のイエスの孤独を強調して描くためです。
ユダヤ人たちは、神殿に神の栄光が戻って来ること、自分たちの国がローマの支配から解放されることを望んでおり、神が長らく沈黙しておられることにとまどっていました。イエスはこの時、彼らが心の底に貯め込んできた神への不満と怒りをその身に受けたのではないでしょうか?
5.全世界の王として、「わが神、わが神・・・」と叫ばれ、「神の子」と認められた
「さて、十二時になったとき、全地が暗くなって、午後三時まで続いた」(15:33)と描かれますが、これは救い主のうめきに、すべての被造物のうめきが重なったというしるしです。
イエスはかつてダニエル9章27節の「荒らす忌むべき者」の現れのときに起こる苦難を、「だが、その日には、その苦難に続いて、太陽は暗くなり・・」(13:24)と語っておられましたが、それが成就したのです。
そしてこの暗やみは、救い主の栄光が現される始まりでもあります。イエスは先の表現に続いて、「そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです」(13:26)と言っておられました。つまり、このときの暗やみは、世界が新しくなることの始まりでもあったのです。
そして、暗闇が三時間続いた後、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれたと記されます。これはイエスが実際に言われたアラム語の発音をそのまま記録した画期的な描写です。それは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味でした。
ただし、イエスは、この期に及んで「どうして」と疑ったわけではなく、全世界の罪を負って、のろわれた者となりながら、なおあきらめることなく、「神の救い」を訴え続けたのです。しかも、これは先ほどから何度も引用された詩篇22編の冒頭のことばです。そこではダビデ自身が、神から見捨てられているかのような不安と孤独を味わったことが描かれます。
イエスはここでもダビデの子として、ダビデの苦しみをそのまま味わってくださったのです。今も、多くの人々はそのことを知らずにいます。
なお、これまでのすべての描写は、イエスの孤独に焦点を当てています。イエスは「私たちの王」として、私たちが味わう最も厳しい苦しみを味わっておられました。預言者イザヤは救い主の姿を、「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった」(53:4)と語っていました。
そして、イエスのいやしのみわざをマタイは、「これは預言者イザヤを通して言われたことが成就するためであった」(8:17)と解説しています。イエスは私たちすべての痛みや悲しみを引き受けながら、十字架にかかり、すべての人の代表者としての痛みを神に訴えられたのです。
そして、パウロはこのことの意味を、「キリストは私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました」(ガラテヤ3:13)と語っています。イエスはこの時、神と人の両者からのろわれた者となり、絶対的な孤独を味わわれたのです。
その上で、神と人から見捨てられたと嘆くすべての人の「王」として、神に叫ばれたのです。そして、神はこのイエスの叫びを聞かれたことによって、私たちが神の子とされたのです。
ただ、それを聞いた幾人かの人々は、「そら、エリヤを呼んでいる」と言ったというのですが、「エリ、エリ・・」という叫びは、この期に及んで、預言者エリヤを呼び求めたこととしてあざけりの理由とされました。イエスが救い主なら、その前にエリヤが現れはずであり、順番が間違ったというわけです。
そのあざけりの様子が、「すると、ひとりが走って行って、海綿に酸いぶどう酒を含ませ、それを葦の棒につけて、イエスに飲ませようとしながら」、「エリヤがやって来て、彼を降ろすかどうか、私たちは見ることにしよう」と言ったと記されます(15:36)。
しかし、人々の無理解の一方で、驚くべきことが起きました。それが、「それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた」(15:37、38)という表現です。それは、待ちに待ったエルサレム神殿の完成という救い主のみわざの完成です。
神殿は神が私たちの真ん中に住んでくださることの象徴です。イエスが息を引き取られた時、神と人とを隔てる隔ての壁が打ち壊されたのです(エペソ2:14)。またそれは、「私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができる」(ヘブル10:19)ようになったしるしです。
そして、最後に、「イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て」、「この方はまことに神の子であった」と言ったということが記されます(15:39)。これこそ、イエスが十字架においてご自身の栄光を現されたしるしです。ローマの将校は、本来、ローマ皇帝のことだけを「神の子」と呼んだはずですが、無力に十字架にかけられ、殺された方を、「神の子」と呼ぶなどということは奇想天外なことです。
イエスを「ユダヤ人の王」として、あざけり、ののしり、その衣をくじ引きで分けた兵士たちは、この百人隊長の部下であったはずです。彼はそれに対するイエスの対応に、真の王としての風格を見て、深く感動したのではないでしょうか。
イエスは「ユダヤ人の王」として彼らのすべての罪を負って、罪の束縛から解放し、彼らに与えられた「祭司の王国」(出エジ19:6)としての使命を全うしてくださいました。
預言者イザヤはそれを産婦の「産みの苦しみ」として描いています(66:7以降)。それによって、神の救いの御計画は新しい段階に移り、今、私たち異邦人もこのままの姿で「神の子」とされる道が開かれたのです。すべての負債は免除され、自由な歩みを始めることができます。私たちは母親に抱擁された乳飲み子のような平安に包まれて、不条理に満ちた世界に遣わされることができます。
そして、私たちが出会うすべての試練も、「産みの苦しみ」となりました。そこには新しい喜びの世界が待っています。