エズラ3章「この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう」

2011年9月18日

私たちの礼拝では2004年5月から、創世記1章から駆け足で聖書を解き明かし、聖書の時系列からすればほとんど最後の書に至っています。そしてその中心テーマは、エルサレム神殿の再建です。それはソロモンの神殿に比べれば「無いに等しい」ほどに、ちっぽけなものでした。

しかし、預言者ハガイはそれを指して、「この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう」と主のことばを伝えました。それは、この神殿に神の御子が入って来られることを期待してのことばでした。

私たちも今、本当に慎ましい教会堂を建てるための第一歩を踏み出そうとしています。今日の総会の日に、この箇所が読まれるようになることを、七年前に誰が予測できたでしょう。正直に言えば、私は創世記から読み始めて、何よりも、エゼキエル書やダニエル書を理解できるようになりたかっただけでした。そして、ヘブル語聖書では、ダニエル書の後に、エズラ記を読むのはまさに順番どおりの読み方です。

今日は、私が最も躊躇する会堂建設に伴う主へのささげ物の話が中心になります。しかし、それはまさに主の摂理の中で、本日の箇所に当たっているということです。それを覚えながら、謙遜に主のみことばをともに聴きましょう。

1.「彼らは……毎日の分として定められた数にしたがって、日々の全焼のいけにえをささげた」

「イスラエル人は自分たちの町々にいたが、第七の月が近づくと、民はいっせいにエルサレムに集まって来た」(3:1) とありますが、「いっせいに」とは新改訳の脚注にあるように「ひとりの人のように」と記され、彼らがそれぞれの相続地に一度は落ち着きながら、この第七の月の第一日を目指してエルサレムに心を一つにして集まって来たということが強調されています。

その日は、現在のイスラエルの民にとっての元旦になり、現在の九月から十月の時期です。聖書では年の始まりは「過越の祭り」(イースターの頃)の月のはずなのですが  (出エジ12:2)、イエスの時代の少し前の頃から、太陰暦でその月から第七番目の月の第一日の「全き休みの日、ラッパを吹き鳴らして記念する聖なる会合の日」(レビ23:24) を、年の初めとする習慣になったようです。それは、その十日目の「贖罪の日」(レビ23:27) が彼らにとって最も大切な日となったからだと思われます。

これは民の罪を負わせた雄やぎを荒野に放つ日として有名です。その日は、毎週の安息日同様、職業以外の労働行為を含め、「いっさいの仕事をしてはならない」と命じられるばかりか、「その日のうちに仕事を少しでもする者はだれでも……滅ぼす」と格別に厳しく警告されました (同23:30)。

その五日後から「七日間にわたる主(ヤーウェ)の仮庵の祭り」になり、その最初の日と八日目は、「聖なる会合を開き」、「労働の仕事はいっさいしてはならない」と繰り返し命じられました (同23:35、36)。その間、「美しい木の実、なつめやしの葉と茂り合った木の大枝」などを取り、「七日間、あなたがたの神、主 (ヤーウェ) の前で喜ぶ」ように、またその間、「仮庵(テント)に住まなければならない」と命じられました (同23:40、42)。

このようなレビ記の記述を背景に、「そこで、エホツァダクの子ヨシュアとその兄弟の祭司たち、またシェアルティエルの子ゼルバベルとその兄弟たちは、神の人モーセの律法に書かれているとおり、全焼のいけにえをささげるために、こぞってイスラエルの神の祭壇を築いた」(3:2) と記されます。それは、神の幕屋も神殿もできるはるか前のアブラハムやヤコブ時代から、約束の地に入って最初にすべきことは自然のままの石を使って、祭壇を作り、主に全焼のいけにえをささげることだったからです。

それに続けて、「彼らは回りの国々の民を恐れていたので、祭壇をもとの所に設けた」(3:3) と記されています。紀元前586年のエルサレム神殿崩壊から、この紀元前537年の祭壇の再建までに50年間が経過していましたが、彼らは昔の神殿の祭壇の跡地と同じ場所に祭壇を建てました。なお、ここの中心的な意味は、「回りの国々の民を恐れた」からこそ、「祭壇を建てる」こと自体を大切にしたという意味だと思われます。バビロン帝国の政策によって、その地には五十年間の間に別の民族が住み着いていましたから、現在のパレスチナのように、そこには土地の所有権を巡ってトラブルが多発していたことでしょう。彼らはイスラエルの神、主 (ヤハウェ) を生活の中心に置くことによって、万軍の主の御守りを期待したのだと思われます。

その上で、「主 (ヤハウェ) に全焼のいけにえ、すなわち、朝ごと夕ごとの全焼のいけにえをささげた」(3:3) とありますが、出エジプト29章38-42節に記されている最も基本的ないけにえで、毎日二回、若い雄羊が全焼のいけにえとしてささげられました。これはイスラエルが神の民として、自分自身を主にささげることのしるしでした。

また、「彼らは、書かれているとおりに仮庵の祭りを祝い、毎日の分として定められた数にしたがって、日々の全焼のいけにえをささげた」(3:4) とありますが、民数記29章12-45節にはいけにえの数が細かく記されていますが、それによると、第七の月の十五日から始まる七日間には、第一日目は、何と十三頭もの「若い雄牛」と、毎月の新月の祭りの二倍の、雄羊二頭、子羊十四頭が命じられました。雄牛の量は一日毎に減らされ、七日目には七頭になりますが、雄羊と子羊は同数のまま七日間続きます。そして八日目のきよめの集会になって、「贖罪の日」のいけにえと同数になります。

そしてこれらを合計するとこの八日間で、雄牛71頭、雄羊15頭、子羊105頭、やぎ8頭になりますが、これらは先にあった「朝ごと夕ごとの全焼のいけにえ」に加えてのもので、罪のためのいけにえのやぎ以外は全て焼き尽くします。これは現代の人には野蛮な無駄?と見られそうな命令です。

しかし、仮庵の祭りには、収穫感謝の意味がありました。いけにえの量の多さは、神ご自身が余りあるほどの収穫を約束しておられることのしるしであり、同時に神の一方的なあわれみがなければ自分たちが生きることができないことを、全身全霊で覚えさせるためでした。

聖書の原則は、「主を愛する者は豊かに祝福され、主にそむく者はのろいを招く」とまとめることができます (申命記30:15-20)。そして、「愛」は、しばしば私たちの日常生活でも、人間的な目から見た無駄で表現されはしないでしょうか。それはたとえば、妻に、数日で枯れる満開のバラを贈ることを、「無駄」と感じる夫は、その心が問われるようなものです。

そして、「その後、常供の全焼のいけにえと、新月の祭りのいけにえと、主 (ヤハウェ) の例祭のすべての聖なるささげ物、それからめいめいが喜んで進んでささげるささげ物を主 (ヤハウェ) にささげた」(3:5) とありますが、彼らはまさにモーセの書に記された途方もなく大量のいけにえをささげるという原点に立ち返った行動を、その後も続けようとしたのです。

ここに、「めいめいが喜んで進んでささげるささげ物」とありますが、これは彼らがまさに「ひとりの人」のように自由な心によって一致して、主を礼拝することを生活の第一としたということを表しています。

その上で、「彼らは第七の月の第一日から全焼のいけにえを主 (ヤハウェ) にささげ始めたが、主 (ヤハウェ) の神殿の礎はまだ据えられていなかった。彼らは石切り工や木工には金を与え、シドンとツロの人々には食べ物や飲み物や油を与えた。それはペルシヤの王クロスが与えた許可によって、レバノンから海路、ヤフォに杉材を運ぶためであった」(3:6、7) とありますが、ここで彼らは2章69節にあった多額の金や銀のささげものを用いたのです。そこでの金六万一千ダリクとは約518㎏で、現在の金相場1g=4,800円からすると約25億円に、また銀五千ミナとは約2850㎏で現在の銀価格1g=110円とすると3.1億円に相当しました。

彼らは現地周辺の異教徒たちをお金で雇って工事に取り掛かりました。かつてソロモンも、異教徒であるヒラムの建築師、ゲバルの石切職人を用いたのと同じです (Ⅰ列王記5:18)。なお、このときはまだ工事の準備段階で、材料を集めるのが中心的な働きでした。

2.「だれも喜びの叫び声と民の泣き声とを区別することができなかった」

「彼らがエルサレムにある神の宮のところに着いた翌年の第二の月に、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアと、その他の兄弟たちの祭司とレビ人たち、および捕囚からエルサレムに帰って来たすべての人々は、主 (ヤハウェ) の宮の工事を指揮するために二十歳以上のレビ人を立てて工事を始めた」(3:8) とありますが、翌年の第二の月とは、紀元前536年の過ぎ越しの祭り、つまり、五月頃のことです。

ソロモンの神殿の工事も第二の月に始められましたが、それに習ってレビ人を中心にいよいよ神殿の建設工事が始まったのです。

なお続く3章9節は、「こうして、ヨシュアと、その子、その兄弟たち、カデミエルと、その子たち、ユダの子たち、そしてヘナダデの子らなど、レビの子、兄弟たちが一致して立ち、神の宮の工事をする者を指揮した」と訳すことができます。

ここに登場するヨシュアは大祭司ではなくレビ人、ユダの子たちもレビ人と考えられ、ここでは何よりも、すべてのレビ人が一致して、実際に神殿工事に携わる人々を指揮したということが強調されています。

そしてその上で、「建築師たちが主 (ヤハウェ) の神殿の礎を据えたとき、イスラエルの王ダビデの規定によって主 (ヤハウェ) を賛美するために、祭服を着た祭司たちはラッパを持ち、アサフの子らのレビ人たちはシンバルを持って出て来た」(3:10) と記されますが、神殿の礎を据えたということが、ダビデが「神の契約の箱」を神殿の予定地に運び入れたときと同じ意味を持つかのように、Ⅰ歴代誌16章に残っている記録にしたがって主を賛美しました。

そして、ここでは、「彼らは主 (ヤハウェ) を賛美し、感謝しながら、互いに、『主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに』と歌い合った」(3:11) と記されますが、ここに記されているのは詩篇118篇と基本は同じですが歴代誌には、詩篇96篇をはじめ、多くの詩篇の歌が記されています。

その上で、その賛美の広がりの様子が、「こうして、主 (ヤハウェ) の宮の礎が据えられたので、民はみな、主 (ヤハウェ) を賛美して大声で喜び叫んだ」と記されます。

ところが、「しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、最初の宮を見たことのある多くの老人たちは、彼らの目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた」(3:12) と記されます。神殿が破壊されたのはちょうど50年前ですから、ここには栄光に輝く神殿を見ていた人がいます。彼らはこの神殿の礎が据えられただけの段階で、この神殿が完成した後の状態を思い浮かべ、改めて深い失望を味わったのだと思われます。

そこには、自分たちの先祖が神に逆らったことの代償の大きさを思い浮かべながら、自分たちの罪を告白するという純粋な思いもあったでしょうが、せっかく夢を抱いてエルサレムにやってきたのに、自分たちはこの程度のものしか建てることができないのかという深い失望感もあったのではないでしょうか。

それはヨーロッパの巨大な大聖堂の数々を見てきた人にとって、これから私たちが建てたいと願う教会堂の小ささに唖然とすることに似ています。しかも、ここで建てられようとしている神殿には、その心臓部である神の契約の箱すらもありません。ですから、これから建てられようとしている神殿は、アブラハムやヤコブが旅の途中で築いた貧しい祭壇と大して変わりはしないのです。

ところが、「一方、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げた」(3:12) というのです。それはバビロン帝国から解放されて、ここに自分たちの神の神殿と自分たちの国を建てることができるそのスタートを正直に喜んでの反応です。つまり、小さな神殿の礎に、これからの夢を見ることができた人も多くいたのです。

そして、「そのため、だれも喜びの叫び声と民の泣き声とを区別することができなかった。民が大声をあげて喜び叫んだので、その声は遠い所まで聞こえた」(3:13) とありますが、厳密には、「民が大声をあげて叫んだ」という文章の中に「喜び」ということばは記されていません。泣く声も、喜ぶ声も両方ともあまりにも大きな声だったので、その区別がつかなかったという点が強調されています。

ヨセフスも、ユダヤ古代誌で、「長老や祭司たちは完工した聖所が破壊されたものよりも見劣りがするように思われたので、悲嘆の声を上げたが、それはラッパの音や人々の歓喜の声にまさるほどであった」と記録しています (11:83)。

神殿が破壊されて五十年も経っているのですから、昔の神殿を実際に見て記憶している人ははるかに少ないはずなのに、その少人数が上げた嘆きの声が、「多くの人々の喜び」の「叫び声」と区別できないほどの大きくなっていたということに、この神殿を巡る民の複雑な感情を見ることができます。

たとえば、私たちが現在考えている会堂は、ある意味で本当につつましい物です。もっと大きなことができないのかという思いも多くあることと思います。また、反対に、ようやく自前の会堂を持つことができるということ自体の中に、大きな感動を持つ人もいることでしょう。

ただ、そこで決して忘れてはならないのは、会堂建設はこの教会の今後の長い歩みの中での、初めの一歩、小さな通過点に過ぎないということです。私の尊敬するシンガポール福音自由教会のチャン先生が、「大きく考え、小さく始め、深く建てる (Think big, start small, build deep) ということばを大切にしていますが、より大きなビジョンの中で、目の前のことをとらえるということが何よりも大切です。

3.「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか」

エズラ記4章から6章には、回りの敵の妨害の中で神殿建設が遅れながら、この二十年後にようやく神殿が完成する様子が描かれ、5章1節には、預言者ハガイとゼカリヤの名が登場します。彼らは神殿工事が約15年間中断した後の紀元前520年頃、イスラエルの民を励ますために遣わされた預言者でした。

ゼカリヤ4章9、10節には、「ゼルバベルの手が、この宮の礎を据えた……だれが、その日を小さな事としてさげすんだのか」と、このときに失望の涙を流した人のことが非難されています。

そして、ハガイ書2章3節では、もっと具体的に、「あなたがたのうち、以前の栄光に輝くこの宮を見たことのある、生き残った者はだれか。あなたがたは、今、これをどう見ているのか。あなたがたの目には、まるで無いに等しいのではないか」と言いながら、その後の希望のことを、「まことに、万軍の主 (ヤハウェ) はこう仰せられる。しばらくして、もう一度、わたしは天と地と、海と陸とを揺り動かす。わたしは、すべての国々を揺り動かす。すべての国々の宝物がもたらされ、わたしはこの宮を栄光で満たす。万軍の主 (ヤハウェ) は仰せられる。銀はわたしのもの。金もわたしのもの。─ 万軍の主 (ヤハウェ) の御告げ ─ この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。万軍の主 (ヤハウェ) は仰せられる。わたしはまた、この所に平和を与える。─ 万軍の主 (ヤハウェ) の御告げ ─」(2:6-9) と記されています。

つまり、ゼルバベルがリードして建てたこの驚くほど小さな安っぽい神殿には、世界の奇跡といわれたソロモンの神殿にはるかにまさる栄光が期待されているというのです。

なお、この神殿は徐々に拡大され、後に、ヘロデのときの大拡張工事によって、外観上はソロモンの神殿にはるかにまさる巨大建造物へと成長しますが、それは決して、ここで記されているはるかにまさる栄光ではありません。このエルサレムには神の御子ご自身がロバにのって入城され、この神殿の真ん中にはイエスご自身が立たれ、その宮をきよめてくださいました。それこそ、この預言の成就です。

契約の箱も入れられていない神殿は、まさに、外観だけの石の家に過ぎませんでした。しかし、そこに栄光の王であるイエスが立たれたとき、この神殿は栄光で満たされたのです。ただ、それを知る人は子供やイエスに癒された一部の身体障害者だけでした。

大切なのは外観ではなく、この宮に伴っている約束です。Ⅱ歴代誌6章によると、ソロモンはこの神殿を奉献したとき、その後のイスラエルの歩みを心配しながら主に祈り、その中で、イスラエルが主の怒りを買って、遠くの地に捕虜として捕らわれたとき、自分たちの罪を悔い改め、「この宮の方に向いて祈るなら」、「あなたに対して罪を犯したあなたの民をお赦しください」と言いましたが(36-39節)、ソロモンがその祈りを終えたとき、「火が天から下ってきて、全焼のいけにえと、数々のいけにえとを焼き尽くした。そして、主 (ヤハウェ) の栄光がこの宮に満ちた」(同7:1)と記されていました。

神の御子が私たちの罪のために十字架にかかり、三日目によみがえられたとき、このゼルバベルの建てた神殿は完成したのです。それはイエスがヘロデの神殿を見ながら、「この神殿をこわしてみなさい。わたしは三日でそれを建てよう」(2:19) と言われたことでも明らかです。

それにしても、このゼルバベルの神殿の礎が築かれた後に、工事がストップしたのは、周辺の異教徒による反対運動ばかりが問題だったわけではありません。何よりも大きな問題だったのは、約束の地に帰還を果たした民が、自分たちの日々の生活を立て直すことばかりに夢中になってしまったことで、神殿の工事が後回しになったことによります。

そのあたりのことが預言者ハガイのことば1章4節に印象的に、「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか」と記されています。

そして、「今、万軍の主 (ヤハウェ) はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。あなたがたは、多くの種を蒔いたが少ししか取り入れず、食べたが飽き足らず、飲んだが酔えず、着物を着たが暖まらない。かせぐ者がかせいでも、穴のあいた袋に入れるだけだ」(1:5、6) と、自分たちの労苦が実を結ばない原因がどこにあるかを考えるようにと反省を迫り、その上で、「万軍の主 (ヤハウェ) はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現そう」(1:7、8) と、主の宮を建てることを第一とするときに、主がこの国の繁栄を回復してくださり、それぞれの生活を祝福してくださると約束してくださいました。

そればかりか、この神殿の再建が再び軌道に乗り始める日以降のことを極めて具体的に、「さあ、あなたがたは、きょうから後のことをよく考えよ。すなわち、第九の月の二十四日、主 (ヤハウェ) の神殿の礎が据えられた日から後のことをよく考えよ。種はまだ穀物倉にあるだろうか。ぶどうの木、いちじくの木、ざくろの木、オリーブの木は、まだ実を結ばないだろうか。きょうから後、わたしは祝福しよう」(2:18、19) と言われました。

これは、現在は、あなたが主の宮を建てることを第一とした日から、あなたの労苦は実を結び始めるという約束です。それから四年後に神殿は完成し、彼らの生活も大きく改善されました。

しかし、その後再び、彼らは主を第一とすることを忘れ、エズラ、ネヘミヤの改革が必要になります。この神殿建設から約60年後に現れた預言者マラキ書は、主へのささげものを第一とする際の祝福について、「こうしてわたしをためしてみよー万軍の主は仰せられるーわたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかためしてみよ」(3:10) と露骨とも言える表現で、民を励ましています。

彼らは熱くなっては冷め、そこで主の励ましを受けて、また熱くなり、働きを進め、豊かになってはまた熱が冷めという繰り返しを続けてゆきます。しかし、そのような繰り返しの中で、救い主を待ち望む心が整えられていったのです。

私たちは目の前の課題を、主に与えられたより大きなビジョンの中から捉えなおす必要があります。私たちの教会のビジョンは、「新しい天と新しい地を待ち望み、その創造主を霊とまことによって礼拝し、キリストのみからだとして互いに愛し合い、地の塩、世の光として遣わされる」です。

礼拝の場は、永遠の世界と現実との接点です。「新しい天と新しい地」とは、いわゆる天国というよりは、現在の「天と地」からの連続性の中に存在します。

目の前の会堂建設を覚えるとき、「この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう」という視点を決して忘れてはなりません。より大きなビジョンの中で、目の前の小さな一歩を踏み出すとき、会堂建設というチャレンジは、本当に意味で、私たち自身の信仰を見直し、主によって成長させていただく大きなチャンスになります。これは決してきれいごとでも恣意的な話でもありません。それこそ、旧約聖書を読む中から必然的に生まれる結論です。