2010年1月24日
エゼキエル40章以降をどう解釈するかは、今後の世界の歴史を見る上での鍵となります。ここには、世界中からイスラエルの民が集められ、エルサレムに理想的な神殿と礼拝が実現することが記されています。ユダヤ人ばかりか多くの保守的なクリスチャンも近い将来これが文字通り実現することを待ち望んでいます。そのような解釈は百年余り前からアメリカを中心に生まれましたが、彼らは現代のイスラエルの建国を預言の成就と受け止め、エルサレムにイスラム教のモスクの代わりに、エゼキエルが預言した神殿が建てられることを切望しています。そのような神学はアラブ世界との対立を後戻りのできないものにしているように思えます。聖書は一点一画まで霊感されていますが、様々な解釈の可能性も開かれています。その際、真に伝統的な解釈に立ち返ることが大切でしょう。
私自身もこの箇所の解釈には思い悩んでいました。今回、当初の予定を変えて、40章から47章までをまとめて調べた結果、驚くべきことが見えてきました。イエスの時代のエルサレム神殿は、ヘロデ大王が46年もかけて増築した壮麗なものでしたが、外面的には、その設計に最も大きな影響を与えているのがこの箇所の預言でした。事実、ヘロデの神殿は、エゼキエルの二倍の敷地面積がありました。また当時の宗教指導者たちは、この預言に従った礼拝生活を守ることを熱心に求めていました。しかし、彼らこそが、イエスを十字架にかけた張本人でした。つまり、エゼキエル預言を表面的に解釈した人たちこそが、イエスの説教に誰よりも困惑したとも言えるのです。
ただし、イエスはそれを予知しながら、「この神殿をこわして見なさい。わたしは、三日でそれを建てよう」と言われましたが、そこには、「イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである」という解説が記されています(ヨハネ2:19-21)。伝統的には、イエスの十字架と復活こそが、エゼキエルの神殿預言を成就させたと解釈されます。そして、それを信じる人の心の奥底からは、戦いではなく、周りの人々に生きる喜びを与える生ける水の川が流れ出るというのです。それは、私たちひとりひとりが、聖霊の宮とされるからです。私たちは、ここに記されたことの外面的な設計図ではなく、これを記させ、またイエスを遣わされた神のみこころの真意に迫る必要があります。
1.「聖なるものと俗なるものとを区別していた」
エルサレム陥落から丁度、14年が経過した日に、主はエゼキエルに新しいエルサレムの姿を見せてくださいました(40:1)。御使いは彼を新しいエルサレム神殿の中に招き入れ、そのサイズを中心に示してゆきます。その際、御使いのはかるサイズは、「普通の一キュビトに一手幅を足した長さ」で、それは約52㎝です。また、測りざおの長さは6キュビトで約3.11mに相当します。神殿には、「外側を巡って取り囲んでいる壁があった」のですが、「その外壁の厚さを測ると、一さおであり(約3m余り)、その高さも一さおであった」というのです(40:5)。これはまるで、中国の万里の長城に匹敵するような分厚い壁です。そして、東向きの門の構造が詳しく記されていますが、両側にそれぞれ三つもの控え室を持つ壮大なもので、「入口の門の前から内側の門の玄関の間の前までは五十キュビト(約26m)」もありました(40:15)。この長い門を過ぎると、そこには「外庭」が広がっていましたが、その中にまた「内庭」が仕切られてあり、そこにも同じ大きさと構造の門がありました。この外庭の門から、内庭に入る門までの距離は百キュビト(約52メートル)ありました。そして、内庭は約25mもの幅の門と部屋などに仕切られて、いけにえの祭壇が置かれた礼拝のための内庭がありました。興味深いことに、外庭の門が、東、北、南、同じように描かれ、また、内庭の門も三箇所それぞれ、「門の長さは50キュビト、幅は25キュビトであった」と六回も繰り返されています。
40章48節からいよいよ神殿内部へと入りますが、その前にまず玄関の間について描かれます。「そこへ上るのに階段があり」とありますが、それは10段の階段であったと七十訳に残されています。なお、外庭の門に入るのには7段、内庭の門に入るのには8段の階段がありましたから、段数がしだいに多くなるとともに、敷地の外から見たら神殿は25段も高くなっていたことになります。そして、本堂は、長さが40キュビト(約20m)、幅が20キュビト(10m)で、その奥の「至聖所」は長さ幅とも二十キュビト(約10m)の正方形でした。これに至る三つの入り口の幅が、14キュビト、10キュビト、6キュビトと徐々に狭くなる様子が描かれています。なお、この神殿本体の大きさも構造も、ソロモンが建てた神殿とほとんど同じです。ただ、ソロモンの神殿ではその内部の調度品の豪華さが強調されていましたが、ここでは「神殿の内側にも外側にも、これを囲むすべての壁の内側にも外側にも彫刻がしてあり、ケルビムと、なつめやしの木とが彫刻してあった」と記されているに過ぎません(41:17、18)。神殿内部の調度は、「主(ヤハウェ)の前にある机」が描かれているだけでした。そして、「本堂と至聖所にそれぞれ二つのとびらがあり、それらのとびらにはそれぞれ二つの戸が折りたたむようになっていた」(41:23、24)と、入り口の様子ばかりが描かれます。
イエスは、「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます」(ヨハネ10:9)と言われ、ご自身が十字架で息を引き取られたとき、至聖所の幕が上から下に裂け、父なる神への自由な道が開かれました。エゼキエルが神の宮の門と至聖所への道の困難さを描いたことは、イエスが開いた救いの道の貴さを際立たせます。
42章1-9節には巨大な祭司用の部屋が描かれます。それは祭司が主に聖別された働きにつくということを明確にするためです。イスラエルの堕落は、祭司がこの世のことに忙しくなり、主への礼拝のためにその身も時間も場所も聖別されるということが不明確になったことから起きました。それは現代の牧師職への警告でもあります。
その上で、42:15-20節には、神殿の外壁で区切られた敷地の全体の広さが、「その長さは五百さお、幅も五百さおで、聖なるものと俗なるものとを区別していた」(42:20)と記されます。多くの翻訳はこれを他のサイズとの関係で「五百キュビト」と解釈します。つまり、神殿の敷地は、四方が約250mあまりの広大なものです。そして、「聖」と「俗」との「区別」こそが、神殿描写の目的でした。そのために、外庭と内庭への入り口の門についての描写や、神殿本体への入り口の描写が詳しくされ、同時に、祭司たちの部屋のことまでが詳しく記されていたのです。
なお、興味深いことに、神殿の建物本体は、ソロモンの神殿と基本的にまったく同じですが、ソロモンの神殿には、外庭と中庭の区別もなく、いけにえをささげる庭がどのように仕切られていたかの記述もありませんでした。ソロモンの神殿のその後の悲劇は、神殿と政治の区別がなく、王が祭司としての働きをしてみたり、神殿の敷地の中に様々な偶像礼拝の設備が混入されたりしたことでした。それに対し、エゼキエルの神殿では、区別が明確にされ、神殿礼拝の中に世の論理が入り込まないように注意深い配慮がなされていたということでしょう。
なお、イエスの時代のエルサレム神殿は、ヘロデ大王が大拡張工事を行ったもので、その敷地面積は、南北が450m、東西が300mというエゼキエルの神殿の二倍の広さを持ち、その中も、異邦人の庭、婦人の庭、イスラエルの庭と三重に仕切られていました。ヘロデは自分を預言されたイスラエルの救世主に位置づけようとして、エゼキエルの神殿よりも壮大なものを造ろうとしたのだと思われます。しかし、彼の心は救い主とは対極の醜いものでした。また、神殿の敷地として区切られた庭も、商売の場所とされていました。イエスが、「宮に入って、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒され・・・『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」(マタイ21:12,13)と言われたのは、このような預言を意識してのことだったと思われます。主の宮は、主への礼拝のために聖別されるべきなのです。
2.「もし彼らが、自分たちの行ったあらゆることを恥じるなら・・」
エルサレムが陥落する五年前、エゼキエルは、「主(ヤハウェ)の栄光が神殿の敷居から出て行って、ケルビムの上にとどまり・・宮の東の門の入り口」から出て、「町の東にある山の上に留まる」のを見ました(10:18,19,11:23)。エルサレム神殿が破壊されたのは、主の栄光がそこを立ち去って、それが空き家になってしまっていたことの結果でした。それに対し、ここではその逆のことが起きます。その様子が、「イスラエルの神の栄光が東のほうから現れた。その音は大水のとどろきのようであって、地はその栄光で輝いた・・・それで、私はひれ伏した。主(ヤハウェ)の栄光が東向きの門を通って宮に入って来た」(43:2)と描かれます。そして彼は、「なんと、主(ヤハウェ)の栄光は神殿に満ちていた」(43:5)という圧倒的な主の臨在に感動を覚えます。エゼキエルが見た主の宮の簡素な様子は、主の栄光が戻ってくるときに、何の人間的な装飾も意味をなさないことのしるしだったのではないでしょうか。
主はそこで彼に、イスラエルのかつての罪を指摘しながら、「もし彼らが、自分たちの行ったあらゆることを恥じるなら、あなたは彼らに神殿の構造とその模型・・・すべての律法を示し、彼らの目の前でそれを書きしるせ。彼らが、そのすべての構造と定めとを守って、これを造るためである」(43:11)と言われます。つまり、エゼキエルに示された神殿は、世の終わりに天から降りてくるものではなく、イスラエルの民が捕囚の地からから約束の地に帰ったときに建てるべき神殿の設計図だったのです。だからこそそれを前提に、後のヘロデ大王はエルサレム神殿を建てたのではないでしょうか。しかし、彼らは、自分たちの間から汚れを取り除くことが先決でした(43:8,9)。
その上で、主は、いけにえの焼くために用いる「祭壇」の設計図を渡します(43:13-17)。祭壇は、下から上までを合わせると10キュビトで、高さはソロモンの神殿と同じでした。その上で、祭壇を聖別するためのいけにえのことを主は、「七日間にわたって祭壇の贖いをし、それをきよめて使い始めなければならない・・・その後は、祭司たちが祭壇の上で・・・全焼のいけにえ・・・をささげ・・・そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れる」(43:26、27)と言われます。つまり、祭壇がきよめられて初めて、人々のささげるいけにえが主によって受け入れられるというのです。私たちはどこかで、あまりにも安易に、主に受け入れていただけるかのように誤解していないでしょうか。
ヘブル書では、「血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。ですから、天にかたどったものは、これらのものによってきよめられる必要がありました。しかし、天にあるもの自体は、これよりもさらにすぐれたいけにえで、きよめられなければなりません」(9:22,23)と記されています。ですから、エゼキエルに記されているいけにえはあくまでも、天にかたどった地上の神殿をきよめるもの、キリスト以前に適用されるものであることが明らかになります。神の御子が流された血は、いかなる動物のいけにえにもまさり、それによって天の神殿が完成したのです。それは、「キリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです」(同9:26)と記されている通りです。私たちは、エゼキエルのいけにえを見ることで、イエス・キリストによる救いが、エゼキエルに示されたビジョンをもはるかに超えたすばらしいものであったことを知ることができます。
44章には、「聖所の東向きの外の門」が「閉じられたままに」されるべきことが命じられています(1,2節)。今も、エルサレムの町の東の城壁は、黄金の門と呼ばれ、閉じられたままにされています。それは、主が入られる門と人が入る門を明確に区別するという意味があります。ここでエゼキエルが、「なんと、主(ヤハウェ)の栄光が主(ヤハウェ)の神殿に満ちていた。そこで、私はひれ伏した」(44:4)と恐れていますが、イエスがエルサレム神殿に入ってきたことは、まさに主(ヤハウェ)の栄光が神殿に入って、ご自身のみこころを私たちに明らかに示したということを意味します。ですから、私たちは、以下の礼拝規定を、キリストのみわざの視点から再解釈する必要があります。
主はまず、「宮に入れる者と、聖所に入れないすべての者を心に留めよ・・・心にも肉体にも割礼を受けていない外国人は・・・入ってはならない・・・」(44:5,9)と言われます。これは、主を恐れることを知らない外国人と、肉における形だけのレビ人は、主の前に出ることはできないという意味です。パウロも、「心の割礼こそ割礼です」(ローマ2:29)と語っています。その上で、祭司の衣服や髪の毛のことなどが細かく指示されながら(44:19-21)、その規定の目的を、「彼らは、わたしの民に、聖なるものと俗なるものとの違いを教え、汚れたものときよいものとの区別を教えなければならない」(44:23)と説明されます。そして、レビ人に関して、「イスラエルの中で彼らに所有地を与えてはならない。わたしが彼らの所有地である。彼らの食物は、穀物のささげ物、罪のためのいけにえ、罪過のためのいけにえである。イスラエルのうちのすべての献納物は彼らのものである」(44:28、29)とレビ人たちが、主への奉仕によって、その必要が満たされるべきことが強調されます。そればかりか、「君主の土地」(45:7)のことが記されます。それは、モーセを通して律法が与えられたとき、イスラエルにはまだ王がいなかったからです。彼らが近隣の諸国と同じような王政を求めた結果として、律法による土地配分の根幹が崩れてしまいました。それで、新しい約束の地に彼らが入れられたとき、王がいるのを前提とした土地配分のことが改めて示されたということです。
その上で主は、「わたしの民を重税で追い立てることをやめよ」(45:9)と言われながら、王への税金を、麦に関しては六十分の一に、油の場合は百分の一、また、羊に関しては、「二百頭ごとに一頭を・・贖いとせよ」と言われます(45:13-15)。これは、王が民の代表としてささげるいけにえの量を指定したものです。ソロモンの時代から見たら、民衆の税金負担は見違えるほどに軽くなったことでしょう。イスラエルの王は全民衆の代表として、主にいけにえをささげることが求められるのです。王はあくまでも礼拝者の代表として位置づけられるのです。
46章には、この神殿における礼拝の仕方が記されています。まず、「君主は・・・門の戸口の柱のそばに立っていなければならない。祭司たちは彼の全焼のいけにえ・・・をささげ」(46:2)とあるのは、王ですら神殿の中庭には足を踏み入れることはできないという意味です。ソロモンを含め、イスラエルの王はしばしば、祭司の務めを自分でしたり、また祭司たちを自分の手下として動かしたりしましたが、王には神殿を支配する権利はありません。なお、その際、「一般の人々も・・・その門の入口で、主(ヤハウェ)の前に礼拝をしなければならない」(46:3)とあるように、王は内庭の門の敷居までは入りますが、一般の人々は、約25mもある長い門の外側から、内庭で行われている礼拝の様子をほとんど見ることができないまま、なお、その外庭に立ち続ける必要がありました。
私たちは、みな、自分の都合に合わせて礼拝を考える傾向があります。また、神のみことばでさえ、自分の都合に合わせて解釈する傾向があります。しかし、エゼキエルの記事はその発想を逆転させるものです。私たちは、主の祈りで、「あなたの御名が聖とされますように。あなたの御国が来ますように。あなたのみこころが行われますように。天のように地の上でも」と祈るように命じられています。私たちは自分の必要に心が向かいますが、何よりも大切なのは、主の必要が第一とされることなのです。たとえば、あなたに心から愛する人がいたとき、あなたは、その方に向かって自分の必要を訴える前に、その方が、何を大切に思っているかを必死に探り、その方のペースに自分を合わせるのではないでしょうか。主のみこころを自分たちの生活のレベルに引き下げてはなりません。
この講壇から語られるみことばの解き明かしが、あなたの日々の必要とはかけはなれたものと聞こえることがあるかもしれません。しかし、聖なる教えは、日常生活を超えたものとして扱われる必要があります。その際、求められているのは、聖書の語る救いのストーリーの中に自分をおいて、自分の視点からではなく、主の視点から現実を見直すことができるようになることです。礼拝に来るたびに、生き方の具体的な指針が与えられるというのは決して健全とは言えないかもしれません。聖書の教えは、この世の発想とは異なるものだからです。聖書は、聖書の文脈から解き明かす必要があります。自分の問題を横において、まず聖書の世界に心を浸してみることが大切です。そのとき結果的に、自分の問題が別の角度から見ることができるようになっているかもしれません。
3.「この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き・・・」
40章から続いた新しい神殿の話の結論として、世の終わりに起こる驚くべきことが記されます。「彼は私を神殿の入口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた・・」(47:1)とは、エルサレム神殿がエデンの園のようになるということです。神が世界を創造したとき、ユーフラテス川の源流はエデンの園にありました。今、エゼキエルは肉体的にはユーフラテス下流のバビロンの支配地に捕囚とされています。しかし、終わりの時代には、エルサレムこそが世界の中心、そこの神殿こそが、世界の祝福の源となるというのです。詩篇46編でも、「川が、いと高き神の聖所から沸き出で、その流れは神の都を喜ばせる」(4節私訳)と記されています。
御使いはエゼキエルを外庭の東の門の外に連れ出し、そこから流れ出る川の深さを測らせますが、一千キュビト(約500m)ごとに流れは深くなり、四千キュビト(約2km)下ったところで、「水かさは増し、泳げるほどの水となり、渡ることのできない川となった」(47:5)というのです。これは、まさにエルサレム神殿がユーフラテスのような大河の源になったことを意味します。そして、「川の両岸に非常に多くの木があった」(47:7)と描かれます。しかも、「この水は東の地域に流れ、アラバに下り、海に入る。海に注ぎ込むとそこの水は良くなる」(47:8)というのです。これは、この川がヨルダン渓谷に流れ込み、死海の水を、魚が住めるような水に変えるということです。
エルサレムの東にはオリーブ山が立ちはだかってますが、ゼカリヤ14章では、「その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる・・・その日には、エルサレムから湧き水が流れ出て、その半分は東の海に・・に流れ、夏にも冬にも、それは流れる」(4,8節)と描かれます。まさに、山が移って、エルサレムからの水の流れる道が作られるのです。
しかも、「この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入る所では、すべてのものが生きる・・・そこの魚は大海の魚のように種類も数も非常に多くなる」(47:9、10)と、死海がどの海より豊かな魚の宝庫になると描かれます。ただし、死海には、その塩のゆえに癒しの力もありますが、その貴重な沢と沼の部分はそのまま残されます(47:11)。そして、「川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる」(47:12)というエデンの園の祝福が描かれます。聖所から流れ出た水によって育った木の葉には、いやしの力さえ備わっているのです。黙示録はこの表現を用いながら、新しいエルサレムの姿を、「水晶のように光るいのちの水の川・・・は神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした」(22:1,2)と描いています。
私たちは、このような祝福を、今から味わうことができます。イエスは、仮庵の祭りの終わりの大いなる日に、神殿の外庭の中に立って、大声で、「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」(ヨハネ7:37,38)と言われました。この祭りの時、祭司たちはイザヤ12章の「あなたがたは喜びながら、救いの泉から水を汲む」(3節)とのみことばを繰り返しながら、七日間に渡って、エルサレムの南の端にあるシロアムの池から水を汲んで1kmぐらいの道を上り、神殿の祭壇に水を注ぎました。これは、終わりの日に、神殿から水が流れ出ることを期待しての儀式でした。イエスは、その一連の儀式が終わった翌日に、ご自身に信頼する者は、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るという途方もないことを言われたのです。これは、イエスを信じるすべての者に、聖霊が与えられ、その人の身体が神の宮とされ、その人自身が、まわりの人々を祝福する泉とされるということを意味します。
イエスは、「聖書が言っているとおりに」と言われましたが、それはどの箇所を指すのでしょう?主はイザヤを通して、「わたしは潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう」(44:3)と、地を潤す水と、人を生かす霊を並行して描かれました。また、主は同じく、「あなたは、潤された園のようになり、水のかれないみなもとのようになる」(58:11)と、人の内側にエデンの園が生まれると約束しておられます。つまり、新しいエルサレム神殿から生ける水の川が流れ出るという約束は、聖霊によって、まず私たち一人一人のうちに霊的に実現することです。そして、それが可能になるのは、私たちがイエスご自身に信頼することです。私たちの中で、イエスが真に救い主、癒し主、あがない主として認められるときに、イエスが私たちを通して働かれ、私たちの周りに生ける水の川を流れさせてくださるというのです。自分の可能性を自分で閉じてはいけません。主があなたを世界の祝福の泉としてくださると約束しておられるのです。
エゼキエルを通して、私たちは目先の問題の解決を考える前に、主のために時間と財と心と身体を聖別することを優先しなければならないということが示されます。そうするとき、主が私たちを通して働かれるのですから。