ルカ18章31〜43節「主の道の真ん中を歩む」

2008年9月14日

今から二百年近く前の米国でファニーという女の子が生まれましたが、ある感染症にかかったときの自称医者の誤った治療によって失明しました。母親はお金を貯めて五年後に有名な医者を尋ねますが、「かわいそうな女の子だね」とだけ言われ、すべての希望が失われました。そのとき彼女の祖母ユニケは、「祈ってもかなえられないものは、もち必要のないものだ。神はこの子を盲目のままご自身のみわざのために用いてくださる」と断言しました。そして、ファニー・クロスビーは、世界中の人々を励ます驚くほど多くの賛美歌の歌詞を残すことができました。

ファニー・クロスビー

彼女が95歳の生涯を終えるとき、「創造主が私になしてくださった最も大きな恵みは、私の外の目を閉じてくださったことです。おかげで私はいつもであった人の最も美しい眼差し、輝いた顔、最高の景色を思い浮かべ、すばらしい夢を持ち続けることができました」と言いました。彼女は盲目のまま、主の道の真ん中を歩むことができました。

1.「人の子について預言者たちが書いているすべてのことが実現される」

イエスは、「十二弟子をそばに呼んで」、「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます」と言いました(18:31)が、これは弟子たちにとって誇りに満ちた喜びのときと思われたことでしょう。それは、人々が待ち望んでいた救い主が、エルサレムに入城し、ダビデの子、ユダヤ人の王として即位するときのはずでした。

事実、イエスはそれまで、「多くの人々を病気と苦しみと悪霊からいやし、多くの盲人を見えるようにされ」たばかりか、「足のなえた者が歩き、ツァラアトに冒された者がきよめられ、耳の聞こえない者が聞き、死人が生き返り、貧しい者たちに福音が宣べ伝えられている」ということが起こったからです(7:21,22)。

イスラエルの貧しい人々は、イエスを聖書に預言された救い主として歓迎していました。しかし、当時の政治指導者にとっては、イエスは自分たちの権力基盤を脅かす存在として恐れをもたれていました。ですから、弟子たちは、イエスがエルサレムに向かうときに、そこに何らかの戦いが起こることは覚悟していました。当時のエルサレムはローマ帝国の支配下にありましたから、弟子たちは、イエスが今までの様々な不思議なわざによって、ローマ軍に勝利すると期待していました。

ところがイエスは、不思議にも、「人の子について預言者たちが書いているすべてのことが実現されるのです。人の子は異邦人に引き渡され、そして彼らにあざけられ、はずかしめられ、つばきをかけられます。彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります」(18:31-33)と言われました。

そのとき、「弟子たちには、これらのことが何一つわからなかった。彼らには、このことばは隠されていて、話された事が理解できなかった」(18:34)と記されていますが、それも当然のことと言えましょう。

イエスは何度もご自身の十字架についての預言のことを弟子たちに話しています。その第一は、ペテロがイエスを預言されたキリスト(救い主)である告白したときです。そのときイエスは、「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目によみがえらねばならないのです」(9:22)と言われました。マタイの記録によると、このときペテロは愚かにもイエスを引き寄せて、「そんなことが、あなたに起こるはずはありません」と諌めてしまいました。それは到底理解できないことでした。イエスはそれに対し、「下がれ。サタン・・・あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」という厳しく叱責されました(16:22、23)。

なお、イエスはここで、「人の子について預言者たちが書いているすべてのことが実現される」(18:31)と言っておられます。ですから、イエスがエルサレムに入場した後に、異邦人であるローマ軍に引き渡され、殺されるということは、イエスの悲劇ではなく、神の救いのご計画の成就のプロセスなのです。

私たちも多くの場合、苦しみの意味が分からなくて戸惑います。ファニーも11歳のとき、自分が普通の教育を受けられないことに深く悩み祈りました。そのとき、「時が来たら解決する」という不思議な平安に満たされます。彼女は老年になったとき、神の救いのご計画が、自分の幼児期の悲劇を通して実現していることを確信できました。

2.「その死によって・・・一生涯死の恐怖に奴隷になっている人々を解放してくださるため」

しかも、イエスの十字架と復活の預言は、ある特定の具体的なみことばというよりは、聖書全体のストーリーとして記されています。私は昔、イエスはどこからこれらのみことばを引用されたのかと不思議に思っていました。

イエスの時代の人々は、聖書を持ち歩くことはできず、ただひたすら会堂で読まれるみことばを暗記していました。会堂に置いてある巻物は宝物のように扱われていましたから、手軽に引用はできませんでした。

イエスは御霊の導きで、聖書をすべて暗記するとともに、大工のお仕事をしながら、それらを心で思い巡らしておられたのではないでしょうか。ちなみに、ファニー・クロスビーは幼いとき、毎日のように祖母ユニケから聖書を朗読してもらい、それをほとんど暗記してしまったということです。私たちもみことばをストーリーとして聞き、思い巡らすことが必要です。

ところでイエスも少年時代から特に、イザヤ書に記されていた四つの「主(ヤハウェ)のしもべの歌」に心をとらえられ続けたのかもしれません。そこには主に選ばれた者の苦難が記されていました。

それは、42章1-9節の「いたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈芯を消すこともなく・・・」、

49章1-6節の「私はむだな骨折りをして、いたずらに、むなしく、私の力を使い果たした」、

50章4-9節の「打つ者に私の背中をまかせ、ひげを抜く者に私の頬をまかせ、侮辱されても、つばきをかけられても、私の顔を隠さなかった」、

52章13節~53章12節の「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた・・・彼は私たちの病を負い、痛みをになった・・・彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」というみことばです。

また、詩篇22篇は、「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」というイエスが十字架で引用された叫びから始まり、「彼らは私の着物を互いに分け合い、私のひとつの着物を、くじ引きにします。主(ヤハウェ)よ。あなたは、遠く離れないでください」という十字架の描写に移ります。

その他、詩篇69篇などにも明確に、「主のしもべ」の苦しみが描写されています。

イエスは、これらのみことばを読みながら、そこに、「主(ヤハウェ)のしもべ」としての自分の使命が記されていることに気づかれたことでしょう。また、救い主は「ダビデの子」と呼ばれますが、ダビデは驚くほどの不当な苦しみに耐えながらイスラエル王国を築きました。そして、イスラエルの祖先のアブラハム、ヤコブ、ヨセフも様々な苦しみに会いながら、神との交わりを深め、子孫に信仰者の歩むべき道を残しました。これらの箇所を読むときに、救い主は多くの苦しみを、また激しい苦しみを受けることによって救いの道を開くということがわかることでしょう。

しかも、先に引用したすべての箇所は、苦しみを通して、神の救いを体験し、世界に救いをもたらすということを、それぞれ、「国々の光とする」、「地の果てまで・・救いをもたらす」、「神である主が、私を助ける」「多くの人々を義とし・・そむいた者たちへのとりなしをする」「まことに、主は悩む者の悩みをさげすむこともなく、いとうことなく、御顔を隠されもしなかった」という勝利への歌と展開されてゆきます

イエスは、このルカ福音書においても、「彼ら(異邦人)は人の子をむちで打ってから殺します」と言われた直後に、「しかし、人の子は三日目によみがえります」と言っておられます(18:33)。

ローマ帝国は剣の力でイスラエルの民を隷属させていました。しかし、人の子が殺された後、三日目に、よみがえるということは、死の力を無力にすることを意味します。

そのことに関してヘブル書の著者は、神の子が私たちと同じ肉体を持つ人間となられたのは、「その死によって、悪魔という死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖に奴隷になっている人々を解放してくださるため」2:14,15)と語っています。神は死ぬことがありません。だからこそ、神は、死ぬことができる身体を持つために、処女マリヤを通して人となってくださったのです。神が人となってくださったことを示すのが処女降誕であり、神が死の力を滅ぼしてくださったことを示すのがイエスの復活です。このふたつのことは、この世の人々にもっとも躓きとなる不思議ですが、これこそが福音の核心なのです。

なおイエスは、復活後、弟子たちに現れたとき、「キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらのことの証人です」と言われました。そこで述べられる、「罪の赦し」とは、「罪によって死が入り」(ローマ5:12)とあるように、死の支配の大元の原因を取り除くことです。私たちがイエスに信頼することによって「罪の赦し」を受けるとは、もう、「死の力」に屈する必要がなくなったということなのです。

パウロは、「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です」(ピリピ1:21)と言いましたが、彼にとって生きることとは、気楽な人生を過ごすことではなく、苦しみを引き受けられたキリストの生き方に習うことを意味しました。それはキリストの使命に生きることでした。しかし、彼自身の都合を考えるなら、「私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実は、その方がはるかにまさっています」(1:23)とあるように、この地上の命をすみやかに終えることの方が、はるかに幸せでした。自分で自分のいのちを断つことは、いのちを与えてくださった神への反抗です。それはもっとも恐ろしい罪です。しかし、信仰のゆえに自分のいのちを奪われることは、いのちの喜びを永遠に味わうことの始まりになります。どちらにしても、私たちのいのちは、神からの使命を果たすために与えられているものです。

3.「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねられたイエス

イエスはヨルダン川沿いを南下し、エリコを経てエルサレムのある山に向かって歩もうとしていました。そこで「イエスがエリコに近づかれたころ、ある盲人が、道ばたにすわり、物ごいをして」いましたが、彼は「群衆が通って行くのを耳にして、これはいったい何事ですか、と尋ね」ると、「ナザレのイエスがお通りになるのだ」という知らせを聞き、大声で、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫び続けました(18:35-38)。それは、「彼を黙らせようとして、先頭にいた人々がたしなめ」る必要があったほど激しい叫びだったと思われます。

しかし、たしなめられるほど、「盲人は、ますます、『ダビデの子よ。私をあわれんでください』」と叫び立てました(18:39)。そこに彼の必死さが現れています。彼は目が見えなくて、物乞いをしなければ生きて行けないような苦しい人生から救われたかったのです。しかも、ここにはイエスを、「ダビデの子」と認める信仰がありました。それはまだ見たこともないイエスを、人の話しを聞いただけで、「救い主」であると認めていたことを表します。

すると「イエスは立ち止まって、彼をそばに連れて来るように言いつけられ」ますが、彼が近寄って来たときに、不思議にも、「わたしに何をしてほしいのか」と敢えて尋ねられました(18:41)。イエスは、彼の気持ちを分かっていながら、彼との対話を望まれたのではないでしょうか。彼は、「私をあわれんでください」と叫びながらも、具体的な願いを言い表してはいませんでした。そこに彼の控えめさが見られますが、イエスは彼の心の願いを敢えて聞きだすことによって、彼に自分の願いを大胆に表現する自由を与えられたのではないでしょうか。

彼はそれまで、自分の気持ちを具体的に表現するたびに、「お前は何て、ずうずうしいのだ!」と、抑えられ続けてきたのではないでしょうか。自分の願いを表現できるというのは、自分の人生を生きるということの始まりです。

彼は、ここで、「主よ。目が見えるようになることです」と自分の切なる願いを表現する自由が与えられました。するとイエスは、すぐに、「見えるようになれ。」と応答してくださいました。ここでは、盲人の、「アナブレフォー」(見えるようになる)ということばにすぐに対応して、「アナブレフォン」(見えるようになれ)という」ということばが引き出されたかのように記され、彼の願いが即座にかなえられたということが強調されています。

そればかりかイエスは、「あなたの信仰があなたを直したのです」と、彼に言ってくださいました。これは神の民にとっては最高の賞賛のことばです。彼は、それまで、神にのろわれた者として自分を卑下しながら、自分の言いたいことも言えずに生きてきました。それが、地上における神の代理である「ダビデの子」から、その信仰を全面的に肯定していただけたのです。

私たちがいつも、「こんなこと感じてはいけない・・」「こんなこと疑問に思ってはいけない・・」「こんなこと願ってはいけない・・・」などと自分の気持ちを抑えながら生きてしまうことがあります。そのときに、自分の感覚が、疑問が、願望が、ひとつひとつそのまま肯定してもらえるというのは、本当に生きる力を与えられることです。

4.「あなたの信仰があなたを直したのです」と賞賛された信仰とは?

それにしても、「ダビデの子よ。私をあわれんでください」と叫び続けることのどこに、イエスが誉められるような信仰があるのでしょう。イエスはかつてパリサイ人に、「『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とは、どういう意味か、行って学んできなさい」と言われました(マタイ9:10-13)。それはイエスが取税人や罪人たちといっしょに食事をしている様子を見て、彼らがそれを非難したときのイエスの応答です。

そのときイエスは、「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です・・・わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くためにきたのです」ということばに挟まれるようにして、このことばを言われました。

パリサイ人たちは、人々から尊敬され、豊かな生活を享受していましたが、それは自分の信仰深さや敬虔な生活に対する神からの報酬だと自負していました。彼らは何かがうまく行くと、神のあわれみではなく、自分たちの功績だと自負しました。彼らが神にいけにえをささげるとき、彼らは自分の敬虔さを人々に誇るとともに、まるで神からの賞賛と報いを期待するような心がありました。

それに対しイエスは、「すべてが神のあわれみである」と強調されました。そして、この盲人は、自分の側には何も誇れるものがないことを深く自覚していました。彼は自分の信仰が神に喜ばれるものだなどと思ったこともないでしょう。彼は自分がイエスと面と向かって対話をさせていただける資格などないと思っていました。ただ、ただ、一方的に、「あわれみ」を求めただけなのです。しかも、イエスが、待ちに待った「ダビデの子」、救い主であることを心から告白していました。何か取引をしようなどというのではなく、ただその方から、あわれみの眼差しが注がれることだけを求めていました。何の条件も出していません。すべてをイエスのみこころに任せていました

ただし、私たちは、イエスが、「あなたの信仰があなたを直した」ということばを、彼の立派な信仰の力によって神のみわざを引き出すことができたかのように、人間のわざとして考えてはなりません。それはパリサイ人の発想です。イエスは、この盲人が、決して、自分の信仰深さをアピールするような人ではないからこそ、このことばを言われたのです。たとえば、私たちが、自分の信仰を自分で計っているようなとき、イエスは決してこのように語ってはくださいません。敢えて言うと、この盲人は、自分のすべてに自信を失い、自分を表現することさえできなくなっていたからこそ、イエスは敢えて彼の気持ちを引き出し、それを肯定してくださったのではないでしょうか。

それは、彼に起こった根本的な変化から判断できます。それは、「彼はたちどころに目が見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った」(18:43ことです。彼はそれまで、神にすがりはしても、「神をあがめる」ことはできなかったに違いありません。彼は、「道ばたにすわって、物乞いをする」という、社会のアウトサイダーとしてしか生きてきませんでした。しかし、このとき、道の真ん中を歩いて、イエスのあとをついて行くことができました

一番弟子のペテロなどは、「下がれ、サタン」などと厳しく叱責されたのに、彼はイエスからその信仰が認められたものとして、堂々と弟子の仲間入りをすることができました。しかも、「これを見て民はみな神を賛美した」とあるように、人々の目は、この盲人の信仰を評価することではなく、「神を賛美する」という方向に向かっています。

ファニー・クロスビーの詩がアメリカ中に知れ渡り、刑務所の受刑者たちの慰問に行ったとき、一人の受刑者が、「主よ。私の前を通り過ぎないでください」と、切実な思いで祈っている声を聞きました。彼女はその叫びに心を動かされ、「Pass me not, O gentle Saviour」という詩を書きました。それが賛美歌524番のもとになっています。

「私の前を通り過ぎないでください。やさしい主よ。打ちひしがれた私の叫びを聞いてください。

あなたが他の人には微笑んでおられながら、私の前を通り過ぎるということがありませんように。

救い主よ、救い主よ。打ちひしがれた私の叫びをお聞きください。

他の人にあなたが呼びかけているときも、どうか、私の前を通り過ぎることがありませんように・・・」

これはまさに、この盲人の叫びにほかなりません。自分の側にはイエスに目を留めていただける何の功績もありません。イエスが自分の前を通り過ぎたとしても、それは当然のことです。しかし、彼はあわれみを望まざるを得ませんでした。東方教会で大切にされてきた「イエスの御名による祈り」というのがあります。それは『イエス・キリスト神の御子。こんな私をあわれんでください』と、ただただ繰り返すものです。その際、ゆっくりと規則的な呼吸を繰り返しながら、全身全霊がイエス・キリストに向ける思いで「イエス・キリスト(救い主の意味を込めて)、神(父なる創造主)の御子(私たちを父と御子との交わりに招き入れるために遣わされた方)」と唱え、そしてイエスのあわれみに自分が浸され、満たされ、イエスの御名が自分の身体の奥にしみこむような思いを込めて、「こんな私をあわれんでください」と唱えます。イエスの御名には力があり、主のあわれみを求める祈りこそ、祈りの中の祈りです。

その上で、私たちは、「こんな駄目な私」と卑下するのではなく、イエスの御跡の道の真ん中を、堂々とイエスについてゆくのです。イエスが空っぽになったあなたを生かし、あなたを通して働いてくださいます。この盲人に起こった変化、それは道ばたで物乞いをしていたのに、イエスに出会って、道の真ん中を歩いて従ったことです。