聖書は残念ながら、すべての人が神の厳しい「さばき」に服する必要があると語っています。そして私たちはイエス・キリストの真実にすがる以外に「救い」の道はないと、この手紙で繰り返し記されています。 “ローマ人への手紙9章19〜29節「神のあわれみの器として生かされる」” の続きを読む
ローマ人への手紙9章1〜18節「神の選びによる救い」
小さい頃から「自意識過剰」に悩んできました。高校生から大学にかけての頃、少しばかり哲学に興味を持つようになりました。世界の動きや人の心の動きを把握できそうな気になって、嬉しくなりましたが、やがてそこに「自分は人より賢くなった!」と思いたいという自意識過剰の問題が再び生まれました。そのような中で、イエスを救い主と信じる信仰に導かれましたが、そこでまた自分と人の信仰を比べるという自意識過剰が気になりました。 “ローマ人への手紙9章1〜18節「神の選びによる救い」” の続きを読む
ローマ人への手紙8章26〜39節「御霊とキリストのとりなし」
最愛の伴侶を失った方が、友人から「神はすべてのことを働かせて益としてくださる」と言われ、信仰を失いかけたと言っておられました。その人にとって「伴侶の死」は最悪の事態であり、それが将来を開くことにつながるという発想自体が、許容できない考え方でした。 “ローマ人への手紙8章26〜39節「御霊とキリストのとりなし」” の続きを読む
ローマ人への手紙8章12〜25節「望みにおいて私たちは救われた」
人生の意味を知らない幼子に「イエス様を信じて天国に行こう!」と語るのは、少し危ない気がするのですが……。 “ローマ人への手紙8章12〜25節「望みにおいて私たちは救われた」” の続きを読む
ローマ人への手紙8章1〜11節「あなたがたは御霊のうちにあります」
私たちはつい自分の信仰を反省して、自分で自分の信仰を励ますような生き方をしてはないでしょうか?しかし、自分で自分を変えられるならイエスが十字架にかかる必要はありませんでした。自分ができないことをイエスが成し遂げ、私たちに聖霊を送ってくださいました。 “ローマ人への手紙8章1〜11節「あなたがたは御霊のうちにあります」” の続きを読む
バッハ作曲モテット「イエスは私の喜び」〜ローマ8章1–11節
今度の礼拝では生まれて初めて、福音の核心とも言われるローマ人への手紙8章1–11節からメッセージをさせていただきます。牧会35年にしてようやくローマ人への手紙の講解メッセージに入っているからです。 “バッハ作曲モテット「イエスは私の喜び」〜ローマ8章1–11節” の続きを読む
ローマ人への手紙7章13〜25節「自分の惨めさを認める中から生まれる感謝」
「地獄への道は善意(良い心がけ)で舗装されている (The road to hell is paved with good intentions)」ということわざがあります。 “ローマ人への手紙7章13〜25節「自分の惨めさを認める中から生まれる感謝」” の続きを読む
ローマ人への手紙7章1〜12節「聖なる律法から解放される?」
ローマ人への手紙を表面的に読むと、「律法」が否定的に理解されることがあります。しかし「律法は聖なるもの」また、私たちを真の意味で「生かす」、愛の教えです。 “ローマ人への手紙7章1〜12節「聖なる律法から解放される?」 ” の続きを読む
ローマ人への手紙6章12〜23節「罪から解放されて、義の奴隷とされた」
私たちは自分をクリスチャンと呼びます。それは自分を「キリスト・イエスのうちにある者」と自認しているという意味です。あなたは日本人である前に、キリストの王国の中に生かされているのです。それをパウロは、「罪の奴隷」から「義の奴隷」へと変えられたと述べます。 “ローマ人への手紙6章12〜23節「罪から解放されて、義の奴隷とされた」 ” の続きを読む
ローマ人への手紙6章1〜11節「罪に対して死に、神に対して生きる」
私たちは何のために生かされているのでしょうか。ときに伝道や証しのために生かされていると考えすぎると、周りの未信者の方から「あなたそれでもクリスチャンなの」と言われることに敏感になりすぎる、堅苦しい生き方になるかもしれません。 “ローマ人への手紙6章1〜11節「罪に対して死に、神に対して生きる」” の続きを読む