「主 (ヤハウェ) のことば」は私たちの心にいつも「平安 (シャローム) を生み出す」というのは、偽預言者のことばです。エレミヤはエルサレムの堕落に心を痛め、主のことばを聞くことで、「私は酔いどれのように、ぶどう酒に負けた男のようになった」と言っています。 “エレミヤ23章9節~25章「火のような主 (ヤハウェ) のことば」” の続きを読む
国立のマンション解体——置かれた町の平安を求める〜エレミヤ29章7節
今週、小生が昨年移り住んだ国立(くにたち)市が話題になっています。富士山を眺望できる冨士見通りに建てられた10階建てのマンション(18戸入居予定て)が、完成引き渡し直前に、施主の積水ハウスが解体を決めたということです。
同社にとっても、入居予定だった方々にとっても本当に大きな損失、また様々な大きな負担がかかってしまいました。 “国立のマンション解体——置かれた町の平安を求める〜エレミヤ29章7節” の続きを読む
誰も聞こうとしない説教の準備〜エレミヤ1章7、9節
昨日1968年に流行ったフォーククルセダーズの「何のために」という曲を紹介しました。その作詞者の北山修はその後、日本の精神医学会をリードするような存在へと成長しますから、その詩の意味の深さも格別だったのかと思います。
実は、この曲は、1966年にリリースされたビートルズの名曲エリナー・リグビーに刺激を受けて書かれたものだと言われています。 “誰も聞こうとしない説教の準備〜エレミヤ1章7、9節” の続きを読む