私たちは今、「すぐに結果を出さなければ……」というプレッシャーの世の中に置かれています。私自身もかつてそのような職場に身を置き、その発想を身に染み込ませて牧師になりましたが、そのために信仰生活が苦しくなった時期があります。なぜなら、あまりにも結果が見えなさ過ぎるからです。それは目に見える教会の成長のことばかりではありません。「これだけ神のみことばに親しんでいるのに、どうしてこうも僕は成長できないのだろう……」と思ってしまうことがあります。 “イザヤ65章16~25節「わたしは新しい天と新しい地を創造する」” の続きを読む
ローマ人への手紙3章19〜31節「私たちに与えられた圧倒的な救いとは?」
神の「愛」と「義」が同じことを表わすことは、親子関係を考えるとよくわかります。たとえば、自分の子が不良仲間に入りながら、そこで我に返って、そこから抜け出たいと願っているとき、そこで求められる親の正義とは何でしょう。「悪の勢力と関係を持つことは自分の正義の基準に反する。自業自得なのだから、自分でどうにかしなさい」と言うのが親の正義でしょうか。 “ローマ人への手紙3章19〜31節「私たちに与えられた圧倒的な救いとは?」” の続きを読む
イザヤ63章18節~65章16節「アーメン(真実)の神によって祝福される歩み」
世の人々にとってのクリスチャン生活には、「天国に憧れながら、この世の不条理を忍び、悔しいことがあっても微笑みながら生きる」というイメージがあるかもしれません。しかし、そんな生き方では、息が詰まってしまいます。 “イザヤ63章18節~65章16節「アーメン(真実)の神によって祝福される歩み」” の続きを読む
イザヤ書43章1〜4節「わたしはあなたを愛している」(広瀬志保先生)
2024年2月11日
広瀬志保先生
福音伝道教団
福音キリスト教会 西荻チャペル 協力牧師
ローマ人への手紙3章9〜24節「神の義はどのように与えられるのか?」
福音がしばしば単純化されて、「すべての人が罪を犯して、地獄の火のさばきに定められているけれども、神が遣わしてくださったイエスを信じることによって、天国の保証が与えられた」と説明されることがあります。その際に頻繁に引用されるのが本日のローマ人への手紙3章です。 “ローマ人への手紙3章9〜24節「神の義はどのように与えられるのか?」” の続きを読む
イザヤ62章4節~63章17節「諦めることなく、主 (ヤハウェ) に訴える」
「あきらめ」とは「明きらむ」から生まれた言葉で、そこには「心を明るく楽しくする」という意味があったようです。依存症の原因に、自分では変えようのない過去への後悔や恨みがあると言われますが、目の前の現実を明らかに見るときに、断念すべきことがわかります。 “イザヤ62章4節~63章17節「諦めることなく、主 (ヤハウェ) に訴える」” の続きを読む
ローマ人への手紙2章17節~3章8節「聖霊の働きによる心の割礼」
昨年の大河ドラマ「どうする家康」の評価はまちまちでしたが、敢えて評価できるとすると、徳川家康を神格化しようとした後の歴史文献を徹底的に洗い直し、そこにある矛盾から、家康の愚かさとか弱さを発見し、等身大の姿を見せようとしたことにあると言われます。 “ローマ人への手紙2章17節~3章8節「聖霊の働きによる心の割礼」” の続きを読む
ヨハネ21章1〜19節「イエスに近づき、癒され、遣わされるペテロ」(下村明矢先生)
2024年1月14日
ルカの福音書5章33〜39節「新しいものにふさわしく」(寺村幸雄神学生)
2024年1月7日
イザヤ60章10節〜62章3節「神の救いがもたらす大逆転」
多くの人々は、「大切な何かを失うこと」を恐れて生きています。この「恐れ」は豊かになるほど大きくなります。福音を聞き、それに感動しながらも、何か大切なものを失うことを恐れて決断できない人もいます。これは江戸時代からのキリシタン迫害のトラウマが日本人全体の心に深く染み込んでいるためかもしれません。 “イザヤ60章10節〜62章3節「神の救いがもたらす大逆転」” の続きを読む