2024年8月4日(音声のみ)
イザヤ35章1〜4節「砂漠は花園になる」 神田英輔先生(声なき者の友の輪代表)
2024年7月28日(音声のみ)
エレミヤ17章19節~20章「陶器師の御手の中で」
人間は基本的に、人生を楽しく、無駄な苦労をせずに生きたいと願っているのではないでしょうか。しかし、気楽に生きたいと願い過ぎる人は、かなりの確率で、余計な苦難を招いてしまいます。 “エレミヤ17章19節~20章「陶器師の御手の中で」” の続きを読む
創世記22章1〜14節「主の山に備えあり」(山形宣洋KGK主事)
2024年7月14日
ローマ人への手紙7章1〜12節「聖なる律法から解放される?」
ローマ人への手紙を表面的に読むと、「律法」が否定的に理解されることがあります。しかし「律法は聖なるもの」また、私たちを真の意味で「生かす」、愛の教えです。 “ローマ人への手紙7章1〜12節「聖なる律法から解放される?」 ” の続きを読む
エレミヤ14:1〜17:18「主を捨てる者へののろいと、主に信頼する者への祝福」
人の生涯はハプニングに満ちていますが、それこそ、ハッピー(幸せ)の原点です。ハッピー、ハプニングは、古英語 “hap”(ハップ)に由来し、「偶然」を意味します。ただそれはすべて神の御手の中にあります。 “エレミヤ14:1〜17:18「主を捨てる者へののろいと、主に信頼する者への祝福」” の続きを読む
ローマ人への手紙6章12〜23節「罪から解放されて、義の奴隷とされた」
私たちは自分をクリスチャンと呼びます。それは自分を「キリスト・イエスのうちにある者」と自認しているという意味です。あなたは日本人である前に、キリストの王国の中に生かされているのです。それをパウロは、「罪の奴隷」から「義の奴隷」へと変えられたと述べます。 “ローマ人への手紙6章12〜23節「罪から解放されて、義の奴隷とされた」 ” の続きを読む
エレミヤ10~13章「あなたがたの神、主(ヤハウェ)に、栄光を帰せよ」
私たちは神を楽しみ喜ぶことができます。しかし、神を自分の目的達成の手段にすることは許されません。そこに偶像礼拝が始まるからです。私たちはこの世の発想の延長で、無意識にせよ、神を「利用する」ような発想になってはいないでしょうか。「楽しむ」ことと「利用する」ことの区別が大切です。 “エレミヤ10~13章「あなたがたの神、主(ヤハウェ)に、栄光を帰せよ」” の続きを読む
ローマ人への手紙6章1〜11節「罪に対して死に、神に対して生きる」
私たちは何のために生かされているのでしょうか。ときに伝道や証しのために生かされていると考えすぎると、周りの未信者の方から「あなたそれでもクリスチャンなの」と言われることに敏感になりすぎる、堅苦しい生き方になるかもしれません。 “ローマ人への手紙6章1〜11節「罪に対して死に、神に対して生きる」” の続きを読む
ヨハネの手紙第一5章13〜15節「キリスト者の確信」 鈴木俊見(としあき)KGK主事
2024年6月2日(音声のみ)