日本人にとってのキリスト教信仰はときに「武士道」にとって代わるような、無私で高潔な生き方を教えるものと見られてきた傾向があるかもしれません。「敬虔なクリスチャン」という表現には、勝つか負けるかというこの世の競争社会を超越した、聖なる生き方をする人というイメージがあるかもしれません。 “詩篇144篇「すべてのことを主に祈ることができる幸い」” の続きを読む
ヘブル12章12〜24節「天のエルサレム市民として生き始める」
共産主義の創始者マルクスは、「宗教は、悩める者のため息……人民のアヘンである。人民の幻想的なしあわせとしての宗教を廃棄することは、人民の現実的なしあわせを要求することである」と言いました。しかし、彼は、キリスト者こそが、平和を保ちながら、時間をかけて世界を変え続けてきたという歴史を見ようとしていませんでした。 “ヘブル12章12〜24節「天のエルサレム市民として生き始める」” の続きを読む
詩篇148篇「神の世界に生かされる自由」
私たちは、健康を求めすぎることで病気になり、お金を求めすぎることで貧しくなるという逆説をこの世界で味わいます。それから全く自由な生き方を、1200年代初めの中部イタリアの自由都市アシジを中心に活躍したフランシスコに見ることができます。 “詩篇148篇「神の世界に生かされる自由」” の続きを読む
詩篇127章1〜2節「主よ、あなたに守られて今日に至ります」 (早坂恭先生【東村山福音自由教会牧師】)
2019年7月21日(音声のみ)
ヘブル12章1〜11節「義という平安の実を結ぶために」
「訓練」ということばを、どのように受け止めるでしょう。牧会者としての歩みを始めた頃、上司の牧師は、盛んに「訓練」と言いつつ、様々な仕事を与えてくださいました。何か「これは君の成長のため役立つから……」と恩着せがましく言われているような気がして嫌でしたが、今はその一つひとつの意味が分かります。 “ヘブル12章1〜11節「義という平安の実を結ぶために」” の続きを読む
詩篇147篇「エデンの東の町(東京)から新しいエルサレムへ」
世界で最初の都市を建てたのは、弟殺しのカインでした。彼は「さすらい人」となると神の宣告を受け、同時に、「主 (ヤハウェ) は、彼を見つけた人が、だれも彼を殺すことのないように、カインに一つのしるしをつけられ」、守ろとされました (創世記4:14、15)。しかし、彼は「エデンの東」に「町を建て」、定住します。それは神の宣告と神の守りを拒絶したことを意味します。 “詩篇147篇「エデンの東の町(東京)から新しいエルサレムへ」” の続きを読む
ヘブル11章23〜40節「もっとすぐれたものを待ち望んで生きる」
信仰者の不思議は、どんな苦難の中にも、そこに神の恵みの種を見出すことができるということにあります。第二次大戦のとき米国に住むすべての日系人は、決められた収容所に閉じ込められました。それによって、彼らはそれまで米国で築き上げてきた富や立場を一挙に失いました。 “ヘブル11章23〜40節「もっとすぐれたものを待ち望んで生きる」” の続きを読む
ガラテヤ5章1〜4節、13〜15節「あこがれをもって生きよう」(下村明矢東京都心ミニストリー宣教師)
ヘブル11章7〜22節「神の都を待ち望む信仰」
この世界の歴史は「園 (garden)」から始まって「都 (city)」で終わると言われます。都市の建設には人間の知恵と力と富が費やされ、そこには貧富の格差が生まれ、うらぶれた場も生まれますが、神はそのような人間の営みを軽蔑することなく、私たちに聖霊を与え、内側から造り変えてくださいます。 “ヘブル11章7〜22節「神の都を待ち望む信仰」” の続きを読む
詩篇145篇「神のご支配を感謝しつつ生きる」
「主 (ヤハウェ) は王である」、「主 (ヤハウェ) は王座に着いておられる」という賛美のことばが詩篇には多数登場します。
この世界には多くの自然災害などがありますが、たとえば火山活動で生まれた日本列島にこれほど多くの人々が安心して暮らしていられるのは、主がこの地を守られているからです。この宇宙にこの不思議な地球が存在し、様々な生命体が存在していること自体が、宇宙の中での奇跡と言えましょう。 “詩篇145篇「神のご支配を感謝しつつ生きる」” の続きを読む