1904年の日露戦争で日本がロシアに勝ったことは、当時の世界では奇跡と見られました。なにしろロシア陸軍はその約100年前にヨーロッパを支配したナポレオンを打ち負かした世界最強の軍隊でした。当時の国内総生産比較ではロシアは日本の八倍の国力がありました。 “Ⅱ歴代誌31章1節~34章7節「右往左往せずに神を求める」” の続きを読む
Ⅰペテロ2章13〜25節「職場と信仰―不当な苦しみ?受けつつ生きる」
技術的トラブルでメッセージの最後の10分ほどが録音できていません
私が学生のとき何回か集った聖書研究の交わりで、「就職して、明らかに神のみこころに反すると思われる仕事を命じられた時、どう行動すべきか……」ということが話し合われていました。私はそれを聞いて、違和感を覚え、そこに集うのをやめました。 “Ⅰペテロ2章13〜25節「職場と信仰―不当な苦しみ?受けつつ生きる」” の続きを読む
マタイ9章27節~10章4節「真の羊飼いとしてのダビデの子」
イエスの時代のイスラエルの民は、自分たちを苦しめているのはローマ帝国だと教えられてきました。しかし、一般民衆を苦しめていたのは誰よりも、当時の宗教指導者であったという見方があります。
土地を持たないはずのレビ人たちが大地主になり、民の十分の一献金ばかりか小作料によって肥え太っていました。それはエゼキエル34章に描かれていた「自分を養っているイスラエルの牧者たち」の再来でした。 “マタイ9章27節~10章4節「真の羊飼いとしてのダビデの子」” の続きを読む
Ⅱ歴代誌27〜30章「恵みを与えようと待っておられる主」
前回は、神殿で幼児期を守られていたヨアシュ、謙遜に「神の人」に聞いてエドムに勝利したアマツヤ、ダビデ時代の栄光の一部を回復したウジヤという三人の王の生涯を見ました (24-26章)。みな最初は模範的な王でしたが、最初の二人は隣国と戦いに負けた後、家来たちに殺され、最後のウジヤは神の怒りでツァラアトに冒され、隔離生活のまま寂しく生涯を閉じました。 “Ⅱ歴代誌27〜30章「恵みを与えようと待っておられる主」” の続きを読む
ヨエル書「主 (ヤハウェ) の大いなる恐るべき日が来る前に」
コロナ対策でのニューヨークのクオモ知事の毎日の会見が多くの人に感動を与えています。人の感情に寄り添ったすばらしい発言が多いのですが、4月13日のCNNのインタビューで、「我々の行動がウィルスの広がりを止めたのだ。神がウィルスの広がりを止めたのではない。我々が何をしてどのように行動するかが、ウィルスがどのように広がるかを定めるのだ」と発言しました。 “ヨエル書「主 (ヤハウェ) の大いなる恐るべき日が来る前に」” の続きを読む
詩篇91篇「疫病と伝染病からあなたを守ることができる神」
感染爆発と戦っているニューヨークのクオモ州知事が最近の会見で自分が恐れた二つの悪夢を語りました。それは1900万の州民に史上初めての自宅待機命令を出したときに、その強権発動で感染者数が減らなかったら何が起こるかという恐怖、もう一つは、それでも生活を維持するための流通関係者、医療関係者、警察と消防、電力関係者等が、今度は逆に自分たちの身の安全のために仕事に出てこなかったらどうなるかという恐怖でした。 “詩篇91篇「疫病と伝染病からあなたを守ることができる神」” の続きを読む
マタイ9章14〜26節「はちきれるいのちを与えるイエス」
三千数百年前に記された聖書には驚くほど詳細な感染症対策が記されています。その代表としてハンセン病との類比性が見られるツァラアトがありましたが、当時に、死体に触れることや出血性疾患との分離規定がありました。そして社会的には、ローマ帝国の支配を正当化する取税人のような人間との分離が強く勧められました。 “マタイ9章14〜26節「はちきれるいのちを与えるイエス」” の続きを読む
Ⅱ歴代誌24〜26章「主のさばきを受けた三人の王」
現在のイランの最高権力者は宗教上の最高指導者でもあります。そのような制度が生まれた頃、証券会社の先輩から「聖書にそのような仕組みが書いてあるのか?」と尋ねられ、答えに窮したことがあります。イランの現状を見ると、嫌な感じがしますが、その原点こそ今日の箇所とも言えましょう。三人の王とも、神が遣わした預言者や祭司に逆らって、神の怒りを受け、二人は家来に殺され、一人は不治の病にかかり、みじめな最期を遂げました。 “Ⅱ歴代誌24〜26章「主のさばきを受けた三人の王」” の続きを読む
ヨハネ20章19〜29節「イエスに遣わされて恐れの中に生きる」
ニューヨークの病院の集中治療室で自主的に看護師として援助に就かれた信仰者の先週のお証しです。
「その日、30床の病棟で、私の12時間勤務内で7人の方が亡くなりました。そのうち2人は私の患者さんでした。彼らはみな重篤で、助かる見込みが無く、責任者の指示のもと自らの手で2人の人工呼吸器のスイッチを切らざるを得ませんでした。2週間前にも、人工呼吸器のスイッチを切ったことがあったのですが、その時は家族と離れて一人ぼっちで孤独に死を迎える患者さんの手を握って患者さんの息が途切れるまで一緒にいて、お見送りをしました。 “ヨハネ20章19〜29節「イエスに遣わされて恐れの中に生きる」” の続きを読む
マタイ9章1〜13節「わたしが喜びとするのは真実の愛」
現代のコロナウィルスの悲劇の中で私たちは、「さあ、主 (ヤハウェ) に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる (After two days he will revive us; on the third day he will raise us up, that we may live before him)」(ホセア6:1) と告白することができます。 “マタイ9章1〜13節「わたしが喜びとするのは真実の愛」” の続きを読む