信仰はすべて創造主ご自身の「選び」から始まり、私たちには既に「永遠のいのち」が与えられています。これは、来たるべき「新しい天と新しい地」の「いのち」であって、失われることがないはずです。しかし、今回の箇所では、「あなたがたが主 (ヤハウェ) を捨てるなら、主もあなたがたを捨てる」という趣旨のことばが繰り返されます (12:5、13:10、11、15:2)。 “Ⅱ歴代誌11章18節〜15章「私が主 (ヤハウェ) を求めると、主は答えてくださった」” の続きを読む
マタイ7章13〜29節「いのちを生み、教会を建てた教え」
イエスの山上の説教は世界を変えた教えです。これほど人々の心を動かした教えはありません。ただ同時に、様々な誤解もあります。
イエスの教えは、旧約の律法を否定したものではなく、そこに新しいいのちを与え、イスラエル民族のための律法を、全世界の民のための愛の教えへと変えました。しかも、イエスの教えはイエスご自身の聖霊の働きなしには全うできません。そこにキリストの教会の誕生もあります。 “マタイ7章13〜29節「いのちを生み、教会を建てた教え」” の続きを読む
Ⅱ歴代誌8章〜11章17節「ソロモンに現れた神の国の栄光とその限界」
多くの日本人はソロモンの栄華の記事を読みながら、平家物語の有名な始まり、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂には滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」を思い起こすかもしれません。 “Ⅱ歴代誌8章〜11章17節「ソロモンに現れた神の国の栄光とその限界」” の続きを読む
Ⅱコリント5章11〜21節「見よ。全てが新しくなった」(早矢仕宗伯先生)
マタイ7章1〜12節「愛への渇きから愛の連鎖へ」
私たちはみな心の底に、「愛への渇き」を持っています。そこから、人々の愛になさに失望して互いに非難し合うという連鎖になるのか、反対に、アダムの罪の原点に立ち返ってイエスの生き方に倣い、主の御父に「お父様!」とすがることができる自由を味わい、愛の交わりを広げることもできます。 “マタイ7章1〜12節「愛への渇きから愛の連鎖へ」” の続きを読む
Ⅱ歴代誌5〜7章「主 (ヤハウェ) の栄光が主 (ヤハウェ) の宮に満ちるために」
あなたの心の願いは何でしょう。ダビデの何よりの願いは、「いのちの日の限り、主 (ヤハウェ) の家に住み。主 (ヤハウェ) の麗しさを見つめ、その宮で、深く静まること」でした (詩篇27:4私訳)。彼はそのために神殿を建てようとしたのではないでしょうか。 “Ⅱ歴代誌5〜7章「主 (ヤハウェ) の栄光が主 (ヤハウェ) の宮に満ちるために」” の続きを読む
Ⅱ歴代誌1〜4章「あらゆる民の祈りの家となるべき神殿建設」
私たちは何のために、三千年前のエルサレム神殿のことを学ぶ必要があるのでしょう。モーセが建てた幕屋も、ソロモンが建てた神殿も、「天にあるものの写しと影」(ヘブル8:5) であると記されていますが、私たちは「本物の模型」(同9:24) を知って初めて天の本物を思い浮かべることができます。 “Ⅱ歴代誌1〜4章「あらゆる民の祈りの家となるべき神殿建設」” の続きを読む
マルコ10章23〜31節「わたしのために、また福音のために」(吉田真太郎神学生)
マタイ6章19〜34節「神と富とに仕えることはできません」
以前、「お金と信仰」という題名の本を書き、キリスト教世界で話題になりました。ただその際、「あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません」(マタイ6:24新改訳第三版) というイエスのおことばは、いつも心の底に響き続けていました。 “マタイ6章19〜34節「神と富とに仕えることはできません」” の続きを読む
イザヤ43章1〜4、10〜21節「見よ、新しいことをわたしは行う」
In to the unknown(未知の旅に踏み出そう)という「アナと雪の女王」Ⅱの主題歌が紅白歌合戦で、19歳の新人によって歌われていました。彼女はつい数か月前までスーパーでアルバイトをしながらアナ雪日本語版のオーディションで認められました。まさに未知の旅への「新しいこと」が始まったとも言えましょう。 “イザヤ43章1〜4、10〜21節「見よ、新しいことをわたしは行う」” の続きを読む