私たちは自業自得でとんでもない苦しみに会うことがあるかもしれません。そこで、「もう、私の人生は終わってしまった……」と落胆しながら、後悔の思いで一杯になることがあります。しかし、そこで神に立ち返るとき、どんな悲惨な中からも、不思議な道が開かれてきます。
その時たとえば、「何で、こんな仕事をするはめになってしまったのか……」と後悔する代わりに、現在の自分の境遇も、神の御手にあることを受け止めるのが神のみこころにかなった生き方です。なぜなら、主は、「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている……それは平安 (シャローム) を与える計画であって、わざわいではない。それは、将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ29:11) と語りかけてくださるからです。
事実、ユダヤ人の信仰はバビロン捕囚を通して堅くされ、聖書も整えられ、私たちの信仰への道備えとなりました。生ける神の宮がバビロン帝国に滅ぼされたということを抜きに、キリストの福音を語ることは不可能です。
なお、ヘブル語聖書ではダニエル、エズラ、ネヘミヤ、歴代誌という順で聖書が閉じられています。昔、エズラ記とネヘミヤ記は一つの巻物に収められていました。エズラ7章にはエズラ自身の記録がありますが、彼の少し後の人が、ネヘミヤ記とともに当人の記録を編集し、そこに描かれた最後の出来事が起きた紀元前432年以降にまとめたと想定するのが保守的な聖書学者の中でも一般的です。
なお、歴代誌はその少し後に、これらを引用しつつまとめられたと思われます。また預言書の最後のマラキ書には、これらの書と重なる描写があり、時代が重なっています。
これらの書には、すべてを失った神の民に自分たちのアイデンティティーを思い起こさせ、救い主キリストを待ち望むように、道を備えさせるという意味があります。その中で、エズラ記には、神の民としての礼拝とその舞台である神殿の復興が描かれています。
1.「主 (ヤハウェ) はペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせた」
エズラ記の冒頭のことばは感動的で、「ペルシアの王キュロスの第一年に、エレミヤによって告げられた主 (ヤハウェ) のことばが成就するために、主 (ヤハウェ) はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた。王は王国中に通達を出し、また文書にもした」(1:1) と記されます。
それは、紀元前538年のバビロン帝国滅亡の年でもあります。そしてキュロスの名は、既に紀元前700年頃の預言者イザヤの書にイスラエルの民を解放し、神殿再建を導く「油注がれた者」(45:1) として記されています。つまり異教徒のペルシア王が、神の民にとっての「救い主(キリスト)」となるというのです。
しかも、ここに述べられたエレミヤは、エルサレムを滅ぼしたバビロン帝国の滅亡とユダヤ人の最終的な救いの希望を語り続けました。それは25章11、12節、32章37、38節にも記されますが、29章10、11節こそは暗唱すべきみことばです。
そこには、「バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみ(善)の約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている。―主 (ヤハウェ) のことばーそれは平安 (シャローム) を与える計画であって、わざわいではない。それは、将来と希望を与えるためのものだ」と記されています。
ダニエルがバビロンに捕囚とされたのは紀元前605年、エルサレムの神殿の崩壊は紀元前586年ですから、どちらにしても七十年以内に、エレミヤの預言は成就しています。
エレミヤはここで何よりも、イスラエルの民にとっての最大の「わざわい」でさえ、「将来と希望を与えるための」「平安 (シャローム) の計画」であると言ったのです。つまり、私たちにとっての想像を絶する「わざわい」でさえも、神の民としての完成につながる第一歩となり得るというのです。
ルカ15章に記された放蕩息子のたとえは、このイスラエルの物語をもとに記されています。放蕩息子は父に逆らって旅に出て、放蕩三昧で財産を失った挙句、飢え死にの寸前まで身を落としますが、そこで父の愛に目覚め、父の家へと帰ります。
そのとき、父のほうから駆け寄り、彼を抱擁し、祝宴を開き、息子としての立場を永遠に回復させます。自業自得での苦しみでさえ、神にあっては「平安 (シャローム) の計画」の一部と変えられたのです。
そして、イスラエル民のバビロン捕囚からの解放の際は、主ご自身が異教徒の「キュロスの霊を奮い立たせ」ることで、エルサレム神殿再建の勅令を出させるというのです。神はあなたを苦しみから救い出すために、神を知らない権力者を用いることができる方です。
その際の危険は、あなたがその目に見える権力者の精神的な奴隷になってしまうことです。イスラエルの民は、イザヤの時代から「キュロス」という名が預言されていたおかげで、彼を救い主としてあがめる代わりに、主 (ヤハウェ) をあがめることができました。
私の人生で最も苦しかったのは野村證券札幌支店での三年間の個人営業でした。あの時ほど自分の決断を後悔したことはありません。「最大手の銀行や損保の内定も取れていたのに、騙された……」と恨みもしました。ただそれでも、主のあわれみによってノルマを達成し続けましたが、あるときに支店の営業責任者に、「クリスチャンとしてこの仕事に誇りを感じることがまったくできない……」という趣旨のことを臆面もなく話すことができました。
その方は、本社の人事部に影響力のある、後に副社長になった実力者でした。そして、まもなく、お堅いキリスト教国?ドイツへの派遣へと話が進んでゆきました。営業成績も英語力も中途半端だった自分に留学の道が開けたのは、神のあわれみ以外の何物でもありません。私は、その方にずっと感謝していましたが、何よりも、神ご自身がその方を動かしてくださったと確信しています。
神はあなたの明日を開くために異教徒の権力者を用いられます。でも、その人の顔色を伺い、ご機嫌をとる必要はありません。必要なのは、神から示された思いを正直に、恥じることなく語ることです。
あなたにも、人生で最も苦しかったときに助けてくれた異教徒の権力者がいるのではないでしょうか。いなければこれから現れることでしょう。「神様はまったく願いをかなえてくださらない!」と言いたくなっても、失望する必要はありません。
神は決定的なところで不思議な助けの御手を差し伸べてくださいます。主は、道の見えないところに新しい道を開くばかりか、日々、あなたの前に道を作ってくださいます。
2.「すべて主の民に属する者は……エルサレムに上り……主 (ヤハウェ) の宮を建てるようにせよ」
「ペルシヤの王キュロス」は、「天の神、主 (ヤハウェ) は、地のすべての王国を私にお与えくださった。この方が、ユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てるよう私を任命された」(1:2) と言ったと記されます。
これはキュロスがヤハウェを礼拝する者となったという意味なのでしょうか?しかし、彼はほとんど同じ文書をベル、ネボ、マルドゥク神を礼拝する民にも送っているということが考古学の調査でも明らかです。
ここにはユダヤ人の信仰を尊重する外交儀礼的な表現が見られます。少なくともキュロスはユダヤ人に向かい「神はただあなたのところだけにおられ、ほかにはなく、ほかに神々はいない」(45:14) と告白するような信仰を持ってはいませんでした。彼は、自分の支配地の住民たちがそれぞれ自分たちの神々を拝むことを奨励することによって、民心をつかみ、あとは強力な官僚機構で国を束ねて行こうとしたに過ぎません。
しかも彼はこの文書を、「だれでも主の民に属する者」(1:3) というユダヤ人に向けてエルサレム神殿の再建を命じており、またその際、「あとに残る者たちはみな」(1:4) ということばで、エルサレムに帰還しない多くのユダヤ人に対しては、帰国して神殿を建てようとする者たちを全面的に援助するようにと命じました。
なお、イザヤ書の中で主はキュロスに、「あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに肩書きを与える」(45:4) と語りかけています。つまり、彼は本当の意味でヤハウェを知っていたわけではありません。
ただ一方で、イエスの時代の直後の歴史家ヨセフスはこのような勅令が出された理由を、「キュロスは、イザヤが210年前に残した預言の書」に自分の名と働きがすでに記されていることを発見し、「イザヤの預言を読んだキュロスは、神の力に驚嘆し、そこに書かれたことをぜひ自分の力で実現したいという思いに駆られた。そこで王は、バビロンに在住するもっとも著名なユダヤ人たちを召集し、彼らに、祖国への帰還と、エルサレムの都や神の神殿の再建を許可すると伝えた」と記録しています (ユダヤ古代誌11:5、6)。
つまり、ユダヤ人ばかりかキュロスもイザヤの預言を読んで、その成就のために行動したというのです。なお、このヨセフスの記録を文字通り信じる学者は多くはいませんが、少なくともイエスの時代のユダヤ人にはイザヤの預言が歴史を動かしたということを心から信じていた者が多くいたことが示唆されます。
どちらにしても、キュロスを動かし、エルサレム神殿の再建へと導いたのは、主ご自身の一方的な働きなのです。
ペルシア王キュロスの勅令に応じて、「そこで、ユダとベニヤミンの一族のかしらたち、祭司たち、レビ人たちは立ち上がった。エルサレムにある主 (ヤハウェ) の宮を建てるために上って行くように、神が彼ら全員の霊を奮い立たせたのである」(1:5) と記されます。
ここにユダ族とベニヤミン族しか登場しないのは、かつての北王国イスラエルの十部族はアッシリア帝国のもとで各地に散らされてヤハウェの民としてのアイデンティティーを失っていたからだと思われます。しかも、彼らはその血筋のゆえにエルサレムに向かったというよりは、「神が……霊を奮い立たせた」結果であると、これらが神ご自身の主導であったことが強調されています。
神はキュロスの霊ばかりか、ご自身の民の「霊を奮い立た」せ、歴史を動かしておられます。
また、「彼らの周りの人々はみな、銀の器、金、財貨、家畜、選りすぐりの品々、そのほか進んで献げるあらゆる物をもって彼らを力づけた」(1:6) とは、様々な理由で帰還を果たせなかったユダヤ人たちが帰還する者たちを支えたという意味だと思われます。
このときエルサレムに向かうことができた人々の数は、42、360名に過ぎません (2:64)。エズラやネヘミヤの先祖たちはこのときはペルシアに残っており、エズラやネヘミヤという中心人物はこの約80年後にエルサレムにペルシア王の許可を得て帰還しているに過ぎません。
一つの共同体が何かに取り組むとき、皆が同じ行動をとるということは不可能です。それぞれ今なすべき課題があるからです。大切なのは、そのとき身動きができない人も引け目を感じたりすることなく、今行動できる人を積極的に応援するということです。人には責任を果たす異なったタイミングがあります。
3.「エルサレムにある……神の宮のために自分から進んでささげ物をした」
「キュロス王は、ネブカドネツァルがエルサレムから持ち出して、自分の神々の宮に置いていた主 (ヤハウェ) の宮の器を運び出させた。ペルシアの王キュロスは宝庫係ミテレダテに命じてこれを取り出し、その数を確かめさせ、ユダの首長シェシュバツァルに渡した」(1:7、8) とあるのは、バビロンの王ネブカドネツァルがこの約50年前にエルサレム神殿を破壊して持ち出したものを、ペルシア王キュロスが返還させたということです。
つまり、主はご自身の神殿の宝物を、異教の神々の宮に保管させ、それをまた異教の王を用いてご自身で再建しようとする神殿に戻そうとしておられます。つまり、バビロンの神々の宮も、イスラエルの神ヤハウェの支配のもとにあったというのです。
なお、8、11節に記される「シェシュバツァル」は、「ユダの首長」と呼ばれますが、「ユダ総督」とも呼ばれています (5:14)。もとの新改訳の脚注では2章2節のユダヤ人のリーダーのゼルバベルの別名であると記されていましたが、異論もあり、よく分からない人物です。
1章9節から11節にはエルサレムに戻された宝物の数が、また、2章1–67節では、エルサレムに帰還した者たちの一族の名と人数が記されています。イスラエルの民にとっては、主から与えられた地を子々孫々に受け継がせるということが何よりも大切なことでしたから、家系図は決定的な意味を持っていました。
ユダヤ人たちは、自分たちの先祖の具体的な名が記されていることに誇りを感じていたことでしょう。
なお2章2節に「彼らは、ゼルバベル、ヨシュア……と一緒に帰って来た」と記されるように、ゼルバベルこそは、このとき帰還したユダヤ人のリーダーであり、ダビデ家系の者でした (マタイ1:12)。
また「ヨシュア」は祭司のリーダーですが、ここに記されるネヘミヤとかモルデカイは聖書でよく知られている人とは別人です。
また3–35節にはエルサレムに帰還した一般のイスラエル人の家系が描かれますが、20節までは血筋、21節からは町の名で記され、それらの町々はエルサレムの近郊のユダとベニヤミンの相続地です。
36–39節には祭司たちが記されますが、合計は4、289人で帰還した者たちの約一割に相当します。それは帰還の目的が神殿再建にあったからです。
なおダビデは祭司の家系を24組に分けていましたが、ここでは4組しか残っていません。イスラエル王国の歴史で信仰の堕落とともに祭司の家系が消滅して行ったことを示しています。
それにしても、バビロンの地に捕囚とされ、礼拝の場も失った中でこれほど多くの祭司たちが残っていてエルサレムに帰還できたということを、驚きをもって見ることもできます。エゼキエルの例にも見られるように、彼らは捕囚の民の中にあって、聖書の教えに真剣に立ち返り、バビロン捕囚の中に神のさばきとともに希望を見出し、神の民としてのアイデンティティーを保つ要となっていました。
その上で40–42節では、「レビ人は、ホダウヤ族のヨシュアとカデミエルの二族、七十四名。歌い手は、アサフ族、百二十八名。門衛の人々は……合計百三十九名」と記され、レビ人の数が異常に少なくなっています。
彼らは神殿でいけにえや賛美を献げたりするための実働部隊で、祭司よりもはるかに多くいたはずですが、神殿礼拝を行うことができない中でその数が減って行ったのではないでしょうか。
興味深いのは2章43–54節には、「宮のしもべたち」、55–58節では「ソロモンのしもべたち」の部族の名が具体的に記されていることです。彼らは在留異国人の子孫だと思われます。
神は、隣人愛を、血筋を越えて在留異国人にまで広げるように命じていましたが、その表れをここに見ることができます。
さらに59–62節には、「先祖の家系と血統」を明確に「証明できなかった」人々のことが記されています。それは特に、祭司職を果たすためには重要な基準でした。なぜなら、「アロンの子孫以外の資格のない者が、主 (ヤハウェ) の前に進み出て香をたく」ことは、神のさばきの対象になると警告されていたからです (民数16:40)。
それにしても、彼らの名が在留異国人の後に記されていることは興味深いことです。彼らは、信仰の継承を怠っていました。私たちはここで、家系図を守ることの大切さよりは、自分たちが主から受けた恵みの契約を、子孫たちに伝えることにおいて、その責任が問われていると言えましょう。
ただ、それでも同時に、家系図を失っていた人たちがエルサレムに帰還する者の仲間から外されたというわけでも、また、系図の見つからない祭司が、永遠に排除されたというわけでもないことも覚える必要があります。
その上で2章64、65節では、「全集団の合計は 42、360名であった」と記されながら、それに加えて、「このほかに、彼らの男女の奴隷が 7、337名いた。また彼らには男女の歌い手が 200名いた」と記されますが、これはこの集団の豊かさを表します。
「男女の歌い手」とは、神殿で女性が歌うことはありませんから、葬式や結婚式、余興のための要員と言えます。この集団は50年前には奴隷に近い状態でバビロンに強制移住させられたのですが、エルサレムへの帰還に際しては既に、7、337名もの奴隷や合計8、136頭もの家畜を携え、余興のための歌い手たちまでを伴って帰ることができたのです。
これは出エジプトのときと似ています。神は、寄留の地で、ご自身の残りの民を祝福し、増やし、豊かにしていてくださいました。
それに応答するように、「一族のかしらの中のある者たちは、エルサレムにある主 (ヤハウェ) の宮に着いたとき、神の宮をもとの場所に建てるために、自分から進んでささげ物をした。彼らは自分たちの財力に応じて、工事資金として金 61、000ダリク、銀 5、000ミナ、祭司の長服百着をささげた」(2:68、69) と記されます。
ちなみに、金61、000ダリクとは約518kgで、現在の金相場1g=6、800円からすると約35億円に、また銀5、000ミナとは約2、850kgで現在の銀価格1g=90円とすると2.6億円に相当します。
これらはエルサレムに戻るに当たって多くの人々の贈り物を受けて来たのだと思われますが、彼らは着の身着のままでバビロンに連行されながら、50年後には捕囚の地で豊かになって帰ってきたということだけは明らかです。
最後に、「こうして、祭司、レビ人、民のある者たち、歌い手、門衛、宮のしもべたち、すなわち全イスラエルは、自分の元の町々に住んだ」(2:70) と記されますが、これはまさにイザヤやエレミヤの預言が文字通り成就したことを示します。
預言者エレミヤは、自分の意に反してバビロンに連行されたユダヤ人に向かっての主のことばを、「家を建てて住み、果樹園を造って、その実を食べよ。妻を迎えて、息子、娘を生み……そこで増えよ。減ってはならない。わたしがあなたがたを引いて行かせた、その町の平安(繁栄::シャローム)を求め、その町のために主 (ヤハウェ) に祈れ。その町の平安(繁栄::シャローム)によって、あなたがたは平安(繁栄::シャローム)を得ることになるのだから」(29:5–7) と伝えています(元の訳では「繁栄」と訳されていた)。
彼らはダニエルの例に見られるように、自分たちを滅ぼしたバビロンの平安(繁栄:シャローム) を祈り、そこで増え広がり、豊かにされました。またその後は自分たちを新たに支配したペルシアの平安(繁栄:シャローム)を祈りました。
私たちも自分が置かれている町、職場、学校の「シャローム(繁栄)」を祈るように召されています。ただ、それは永遠の住まいではありません。捕囚のユダヤ人が多くの財産を携えてエルサレムへの帰還を果たしたように、私たちは天のエルサレムへの旅路の途上にいます。
私たちはその途上で、神に向かって賛美と献金のいけにえを献げることが許されています。私たちは今、置かれている場に神の「召し」を見出しながら、同時に、そこを永遠の住まいと考えてはなりません。
私たちはときに、自分の職場や生まれ育った環境に、激しい不満を抱きます。しかし、そこも主 (ヤハウェ) のご支配の中にあります。そこのシャローム(繁栄)をあなたが祈るときに、主ご自身がその場であなたにシャロームをお与えくださいます。