2018年8月19日
聖書に記される悪王の代表はアハブですが、彼が今の日本にいたら尊敬を集めたかもしれません。明らかな罪に関しても、「奥さんのせいで……」と言われ同情を集めたことでしょう。彼は北王国七代目の王で、王家が頻繁に代わり混乱していた王国に安定と繁栄をもたらしました。
彼の生涯をまとめた22章39節の「彼が建てた象牙の家、彼が建てたすべての町」という表現は他の王たちには記録の仕方です。
そればかりか、アッシリア王国の記録にも彼の名が登場し、紀元前853年には、アラムの北のハマテのさらに北にあるカルカルの戦いでのアッシリア帝国の南下を阻止する中心勢力として活躍しています。ただ、それは神が特別にアハブをあわれみ、北のアラムとの二度の戦いに勝利させてくださったおかげでした。
彼はシドンの王女イゼベルを娶って地中海沿いの都市国家と同盟関係を強め、また南のユダ王国の模範的な王ヨシャパテの家とも縁を結びました。彼は周辺の国々との宗教的融和をはかり、その場の状況に柔軟に対応し続けていました。
しかし、彼の記録の最初の16章33節では、「こうしてアハブは、彼以前の、イスラエルのすべての王たちにもまして、ますます、イスラエルの神、主(ヤハウェ)の怒りを引き起こすようなことを行った」と描かれています。
実は、彼こそが南王国滅亡の道を開いた張本人とも言えます。アハブとイゼベルの娘アタルヤが南王国ユダの王家に嫁いでそこに偶像礼拝を持ち込むことになるからです。
1.「わたしが聖絶しようとした者をあなたが逃がしたから……」
アハブは王都サマリアにバアルの宮と祭壇を築き、女神アシュラの像も造りました。それが「イスラエルの神、主(ヤハウェ)の怒りを引き起こ」します(16:31-33)。その結果、イスラエルの地に三年間の飢饉が訪れました。
その飢饉を終わらせたきっかけは、エリヤがカルメル山でバアルの預言者450人に劇的な勝利を修めたことにありましたが、エリヤのことばに従って彼らを集め、その舞台を設定したのはアハブ王自身でもありました。アハブはこのとき誰よりも、主(ヤハウェ)の御力に圧倒されたことでしょう。
しかし、彼がバアルの敗北を妻イゼベルに伝え、彼女がエリヤの命を狙ったとき、アハブは黙って妻に従ったように思われます。
その頃、彼は北のアラムからの攻撃に悩んでいました(15:20)。アラムはその北のアッシリアの圧力に対抗するために、イスラエルを完全な属国にしようとしていました。そしてついに王ベン・ハダテはサマリアを包囲するまでに迫りました。
このときアハブは自分の劣勢を素直に認め、無益な戦いを避けようと、「この私、および、私に属するものはすべてあなたのものです」(20:4)と服従を誓います。何と柔軟なことでしょう。
しかしアラムの王は、家来を遣わして好き放題に略奪すると通告します(20:6)。これでは国が立ち行きません。アハブは切羽詰り、国の長老たちを集め、アラムとの戦いを決意します(20:7、8)。アラムの王はサマリアを跡形もなくすると警告します(20:10)。
それに対しアハブは、「武装しようとする者は、武装を解く者のように誇ってはならない」と、戦いは終わってみないと分らないという趣旨の賢い言葉で応じます(20:11)。アハブは愚かではありませんでした。一方、アラムの王は酒を飲みながら戦いの開始を告げるほど傲慢でした。
そこに「一人の預言者」がアハブに遣わされます(20:13)。エリヤはかつて、「イスラエルの子らは……預言者たちを剣で殺し……ただ私だけが残りました」と大げさに主に訴えていましたが(19:10,14)、主は別の預言者を確かに残しておられました。
そして主は彼を通してアハブに、「あなたは、この大いなる軍勢を見たか。見よ。わたしは今日、これをあなたの手に引き渡す。こうしてあなたは、わたしこそ主(ヤハウェ)であることを知る」と言われ、彼が、「それはだれによってでしょうか」と尋ねると、「諸州の首長に属する若い者たちによって」という答えがありました(20:13、14)。
「若い者」とは「未熟な者」というニュアンスがあります。彼らの総数は232人で、その他の民の総数も七千人しかいませんでした。一方、アラムの軍は「32人の王」による大軍勢でしたが、王は酔っ払いながら、イスラエル人をみな「生け捕りにせよ」という無理な要求を部下たちにするほど、彼らの戦力を侮っていました(20:16,18)。
一方、イスラエルの若い者たちは「それぞれその相手に打ち勝った」とあるように勇敢に戦い、その結果、「アラム人は逃げ……ベン・ハダドは馬に乗り、騎兵たちと一緒に逃れた」という大勝利になりました(20:19、20)。これはもちろん、主がもたらした勝利でしたが、アハブが素直に預言者のことばに従った結果とも言えましょう。彼の柔軟さは、何とも感心するほどです。
その後、「あの預言者」がアハブに、「来年の今ごろ、アラムの王が……攻めに上って来る」と告げます(20:22)。一方、「アラムの王の家来たち」は、サマリアの町が山の上にあったことから、「彼らの神々は山の神です」と言いつつ、平地で戦うなら勝利できると言います。そしてアラムの王は、王たちの代わりに総督を立てるという指導体制を敷いて、ガリラヤ湖の東側のアフェクにまで陣を進めてきました(20:22-26)。
これに対抗してイスラエルも陣を敷きますが、そこに「一人の神の人が近づいてきて」、アハブに「アラム人が、主(ヤハウェ)は山の神であって低地の神ではない、と言っているので、わたしはこの大いなる軍勢をすべてあなたの手に渡す。そうしてあなたがたは、わたしこそ主(ヤハウェ)であることを知る」(20:28)と告げます。
この最後の文は13節とほぼ同じで、ここに主(ヤハウェ)が、アハブとイスラエルを助けることの目的が記されています。
両軍が向かい合って七日目になって、戦いが始まり、イスラエルは「一日のうちにアラムの歩兵十万人を打ち殺した」ばかりか、生き残った27,000人の上にアフェクの「城壁が崩れ落ち」ました(20:29,30)。これはかつてのエリコの戦いの再現のような大勝利でした。
そこで、アラムの王の家来たちは、「イスラエルの家の王たちは恵み深い王である、と聞いています」とベン・ハダドに告げ、自分たちの首に縄をかけるという姿で、アハブに命乞いをします(20:31)。このときアハブはこれが主(ヤハウェ)の戦い、主の勝利であったことを忘れ、相手の低姿勢に気をよくし、主のみこころを伺うことなく、勝手に和議を結びます(20:34)。
それは奪われていた町々が帰ってくることと、ダマスコでイスラエルが市場を設けることができるという条件が魅力的に思えたからです。しかも、王を殺してしまってはアラムの国に混乱が起き、市場で利益を得るということの障害になります。アハブは戦いの本来の意味などよりは、目の前の経済的な利益を優先して考えました。
そこに「預言者の仲間の一人が、主(ヤハウェ)のことばにしたがって」登場し、自分の仲間に「私を打ってくれ」と願いますが、彼がそれを拒絶すると「あなたは主(ヤハウェ)の御声に聞き従わなかったので……すぐ獅子があなたを殺す」と警告し、その通りになります(20:35、36)。
その後、この預言者は別の仲間に、敢えて傷を負わせてもらい、目の上に包帯をし、通りかかった王に向って、戦争捕虜を逃がした罪がどのように裁かれるべきかを問います。アハブは問いの意味を理解しないまま、それが死刑に価すると断言します。
するとこの預言者は、主(ヤハウェ)のことばとして、「わたしが聖絶しようとした者をあなたが逃がしたので、あなたのいのちは彼のいのちの代わりとなり、あなたの民は彼の民の代わりとなる」と伝えます(20:42)。
すると「王は不機嫌になり、激しく怒って、自分の宮殿に戻って行き」(20:43)と描かれます。彼の反応は極めて幼児的です。これだけ明確に過ちが指摘され、また彼自身もそれを認めざるを得ないはずなのに、主の御前に遜ろうとはしません。ダビデが預言者ナタンから罪を指摘されたときとは正反対です。
アハブは、かつてカルメル山で、恐るべき主からの火を見ても、またこれほど圧倒的な主の救いを見ても、イスラエルの真の王が主(ヤハウェ)であることを認めようとはしませんでした。
彼は自分の損得勘定ばかりを見ています。彼は身の危険が迫ると驚くほど柔軟に現実に対処します。しかし、主から与えられたものは、自分で獲得したと思ってしまいます。脅しには敏感に反応し、受けた恵みはすぐに忘れる。それこそがアハブでした。
2.「アハブのように、裏切って主(ヤハウェ)の目の前に悪を行なった者はだれもいなかった。」
「これらのことがあった後のことである」(21:1)とは、アハブがアラムに対する二度の大勝利によって権力の絶頂期にあったときです。これらの戦いはそれぞれ紀元前855年、854年で、その翌年の853年に冒頭に記した、アッシリアの王をカルカルでアハブが12の王国の連合軍として迎え撃った、という戦いがあったと思われます。
そのときアハブは連合軍の戦車隊の半分の2,000の戦車を率いていたとアッシリアの記録に残されています。それが記録されないのは、聖書の物語が神と人との関係に焦点を合わせるからです。
ところでこのとき、アハブはイズレエルにある冬の宮殿のそばにあるナボテのぶどう畑が欲しくなり、取引を申し出ます。これは当時のカナンの王国の常識では聞き届けられるはずのことですが、ナボテは、「私の先祖のゆずりの地をあなたに譲るなど、主(ヤハウェ)にかけてありえないことです」(21:3)と拒絶しました。イスラエルの真の土地の所有者は主(ヤハウェ)であり、管理を任されているに過ぎない土地を商品のように扱うことは律法に反したからです。
アハブは民衆の手前、何も言えなくなり、先と同じ幼児的な反応を示し、「不機嫌になり、激しく怒って、自分の宮殿に入った」ばかりか「寝台に横になり、顔を背けて食事もしようとしなかった」ほどになります(21:4)。
それを見た妻のイゼベルは、母親のように振る舞い、「今、あなたはイスラエルの王権を得ています……この私が……手に入れてあげましょう」(21:7)と即座に答えます。シドンの王女の感覚では、王が家臣の拒絶に黙って引き下がるなど、あってはならないことと思えたのでしょう。
それにしても彼女は、ナボテを死刑にするためには、イスラエルの律法を巧妙に利用します。アハブの名でその町の長老たちに手紙を書き、ナボテを民の前に引き出し、偽証者をふたり立てさせ、彼に向かって「おまえは神と王を呪った」と証言させ、彼を石打にして殺すように謀ります(21:8-14)。
これが実行された後、「アハブはナボテが死んだと聞いてすぐ、立って……ナボデのぶどう畑を取り上げようと下って行った」と記されます(21:16)。そこに彼の狡さが見られます。彼が最初、ナボデに反論しなかったのは、自分の評判を気にしたからです。イゼベルはその気持ちを忖度して、悪役を買って出たのでしょう。
この構造は、ダビデがウリヤを死に至らしめたときのことに似ています。彼はバテ・シェバが欲しくなり、彼女を自分のものにしました。しかし民衆の手前、律法に公然と違反するわけにいきません。それで偽装工作を謀りますが、失敗すると汚い計略を思い付き、それを将軍ヨアブ実行させ、その実だけは自分で受け取りました。
罪の構造はすべて似ています。「隣人のものを欲しがってはならない」という教えに逆らい、「盗んではならない」という教えを軽蔑し、策略を謀ります。しかし、十の教えの趣旨は、権力者が社会的弱者の権利を平気で侵すことを戒めるものでした。
しかも彼らはイスラエルの長老たちをこの罪に招き込み、「偽りの証言をしてはならない」という教えを破らせてナボテを罪に定め、「殺してはならない」という教えを破りました。王が自分の権力を使って人に罪を犯させるなどというのは主(ヤハウェ)が最も忌み嫌われることです。
そのとき主のことばがエリヤにくだり、アハブに、「あなたは人殺しをしたうえに、奪い取ったのか……犬たちがナボテの血をなめた、その場所で、その犬たちがあなたの血をなめる」(21:19)と告げるように命じられます。
このときアハブはエリヤに会うと、「おまえは私を見つけたのか。わが敵よ」(21:20)と言います。彼は自分を見つけ出される側に置いています。それはエリヤの力を恐れていたしるしです。アハブの心はいつも恐れにとらわれていましたが、最も恐れるべき方、主(ヤハウェ)を忘れていました。
エリヤはそれに対し、「私はあなたを見つけた。それはあなたが主(ヤハウェ)の目に悪を行なうことに身を任せた(自分を売った)から」(21:20私訳)と答えます。
21章21節以降は、主ご自身がエリヤの口を通して語ったことです。そこにはアハブの家の滅亡と、妻イゼベルの肉がイズレエルで犬の餌となると預言されます(Ⅱ列9:36で成就)。
そして「アハブのようなものは誰もいなかった、主(ヤハウェ)の目に悪を行うことに自分を売ったものは。彼の妻イゼベルが彼をそそのかしたからである」(21:25私訳)と記されます。この夫婦はイスラエルでは悪人の代名詞のようになっていますが、罪の主導権は妻の方にあったというのが示唆に富んでいます。
しかも、20、25節で、悪を行うことに自分の身を任せたことを、サタンに自分を売ったかのように描かれています。
それに対し、「アハブはこれらのことばを聞くとすぐ、自分の外套を裂き、身に粗布をまとって断食した。彼は粗布をまとって伏し、打ちひしがれて歩いた」(21:27)というのです。彼は無節操な人間の典型でしょうが、目の前の危機を敏感に嗅ぎ分け、それに柔軟に反応する能力が際立っています。
しかし、自分が何のために生かされているかという使命感に関してはまったく無頓着です。日本人に極めて多いパターンかも知れません。
ところが、それを見た主はエリヤに、「彼がわたしの前にへりくだっているので、彼の生きている間はわざわいを下さない」(21:29)と、アハブ家の滅亡を遅らせると告げます。それは「実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい」(哀歌3:22,23)とある通りです。
しかし、アハブはこの恵みを理解できたのでしょうか。ダビデの悔い改めとは対照的に、彼の基本的な態度はその後も変わりません。彼は驚くほど主の恵みをたくさん受けますが、いつもそれを無駄にします。
3.「彼のすべての預言者の口で偽りを言う霊となります」
イスラエルがアラムと契約を結んで三年間、両国の戦いはありませんでしたが、アラムは二度の敗北にも関わらずヨルダン川東側にある国境の町ラモテ・ギルアデを返還してはいませんでした。それでアハブはユダの王ヨシャファテの助けを受けてアラムに戦いを挑もうとします。
なおヨシャファテは敬虔な王アサの息子で、父の「道に歩み……主(ヤハウェ)の目にかなうことを行った」(22:43)と記される王でした。ただし、彼はアハブの第四年に王となり、同時代を生きながら、安全保障上の理由から北王国との友好関係を保つことに気を配りすぎ、アハブの娘を自分の息子のために娶るなどということをしてしまいます(Ⅱ歴代18:1)。
オネエはイスラエルを訪問しアハブの提案を聞きますが、その際、「まず主(ヤハウェ)のことばを伺ってください」(22:5)と頼みます。するとアハブは、約四百人の預言者を召し集めますが、これはカルメル山の戦いに出なかったアシェラの預言者である可能性もあります(18:19参照)。
それに気づいたヨシャファテは「ここには……主(ヤハウェ)の預言者が、ほかにいないのですか」と尋ねます(22:7)。するとアハブは、「ほかにもう一人、主(ヤハウェ)に伺うことができる者がいます」と言いながら、「私は彼を憎んでいます。彼は私について良いことは預言せず、悪いことばかりを預言するからです」とも言います。
ヨシャファテがその言い方を窘めると、アハブはイムラの子ミカヤを召し出します(22:7-9)。まさにエリヤのような預言者が残っていたのです。
そのとき「ケナアナの子ゼデキヤは、王のために鉄の角を作って」、「主(ヤハウェ)はこう言われます」「これらの角で……アラムを突いて、絶ち滅ぼさなければならない」と告げます(22:11)。そして他の預言者も同じように預言し、「主(ヤハウェ)は王の手にこれを渡されます」と告げました(22:12)。
しかも、ミカヤを呼びに行った使いの者でさえ、「あなたも……良いことを述べてください」と依頼するほどでした(22:13)。彼らは預言のことば自体に将来を開く力があると思っているかのようです。
これは日本人にも馴染みのある「言霊(ことだま)思想」に似ているのかも知れません。語られたことばに力が宿って、その言葉通りのことが実現するという考え方です。
しかし、それは預言者の使命は未来を拓くことよりも、神のことばを伝えることにあります。預言は人間的な発想を正すためにこそ必要なのです。ところがアハブはそれを聞く耳がありませんでした。
ミカヤは王の前に出るとまず、他の預言者を真似た調子で、「攻め上って勝利を得なさい。主(ヤハウェ)は王の手にこれを渡されます」と言います(22:14,15)。アハブはそこに彼の皮肉があるのをすぐに理解し、「私が何度おまえに誓わせたら……主(ヤハウェ)の名によって真実だけを私に告げるようになるのか」と言います。
それでミカヤが、「全イスラエルが……羊飼いのいない羊の群れのよう……」と言うと、アハブはヨシャファテに向って、「彼は私について……悪いことばかりを預言する」と不満を分かちます(22:16-18)。まさに、「私は真実を聴きたい……」などと迫る人に限って、真実を聞く耳を持っていないということの見本です。
それにしてもミカヤは続けて、天の御座で起きたことを述べます。それは、主(ヤハウェ)ご自身が、「アハブを惑わして攻め上らせ、ラモテ・ギルアデで倒れさせるのはだれか」と問いかけ、それにしたがって、「ひとりの霊」が、「彼のすべての預言者の口で偽りを言う霊となります」と答えたというのです(22:20-22)。つまり、ミカヤの先の行動は、偽りを言う預言者として振舞って見せたということだったのです。
これを聞いたゼデキヤはミカヤの頬を殴りつけます。彼が怒ったのも当然のことでしょう。神は偽りを敢えて言わせるというのでしょうか?
ただ、かつてサウルに関して、「主(ヤハウェ)の霊はサウルを離れ、主(ヤハウェ)からの、わざわいの霊が彼をおびえさせた」(Ⅰサムエル16:14)という不思議な記述がありました。それと同じことがここで起こっています。しかし、彼らは何よりも、自分の方から主の語りかけに耳を塞いだということを忘れてはなりません。
その後、アハブはヨシャファテに、「私は変装して戦いに行きます。しかし、あなたは、自分の王服を着ていてください」(22:30)という卑怯な提案をします。ヨシャファテはそれに従い、一度はイスラエルの王と間違われて攻撃を受けてしまいますが、主にあって逃げ切ることができました。
一方、アハブには何気なく放たれた矢が鎧の隙間を突き抜け、致命傷となります。しかも彼の血は戦車の中に流れ、それをサマリアの池で洗うことで、彼の血を犬がなめることになるというエリヤの預言が成就します(22:34,38)。
アハブはミカヤの預言を偽物と断じながらも、それを恐れていたのではないでしょうか。それなら、主にきちんと向き合ってみこころを求めるべきなのに、中途半端な偽装工作で主のことばから逃げようとしただけでした。
アハブはこの世的には成功者に見えましたが、いつもその場かぎりの危機対応に柔軟であったばかりで、長期的なヴィジョンを持ってはいませんでした。アハブの心は私たちの中にも生きています。
この世との融和ばかりを計って、「主(ヤハウェ)の怒りを引き起こす」生き方では、「のろい」の源となってしまいます。
私たちの主イエスは、その公生涯の初めに四十日間の悪魔の誘惑を受けられました。それは創造主である神を忘れてパンを求めること、悪魔を拝むことと引き換えにこの世の権力と栄光を手にすること、また奇跡によって人々の称賛を得ようと、主人であるはずの神を、思い通りに動かそうとすることでした。
そして、アハブの行動の根本が「悪を行うことに自分を売った(身を任せた、自らを裏切った)」(21:20,25)と描かれていますが、それは経済的繁栄、この世の権力、人々の称賛の三つのためにサタンに身を売った生き方でした。
一方、私たちの主イエスは、自らすべてを失う十字架の苦しみを忍びました。しかし、神はイエスを三日目に死人の中からよみがえらせ、すべての名にまさる名を与え、彼を「王の王」、「主の主」として立ててくださいました。
私たちの内側には、アハブの心とキリストの心との戦いがないでしょうか?私たちの真の敵は、この心の内側に住んでいますが、アハブの歩みを見ると、敵の実体が良く見えてきます。私たちの勝利は、「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さない」(ヘブル12:2)ことから生まれるのです。