マタイ14章22〜36節「それでも、湖の上を歩いてイエスに近づいてみたい」 

2021年2月7日

国連難民高等弁務官として活躍し、日本のマザーテレサとも呼ばれた緒方貞子さんは外務大臣に推薦されたことに関して、「外務省の仕事っていうのは、細かくきちっとあげないと成り立たない。冒険ダン吉の世界じゃない。私には向いてないということは知っていましたよ」と言ったとのことです。

彼女は決断を下す際、大事にしていたのは、知識や情報を踏まえた上で、それを超越した直感力だったとのことです。それはクリスチャンの彼女にとっては、神から与えられる超自然的な決断力であったのかもしれません。

日本では何かをするときの調整力が尊重されますが、今日のペテロのように、湖の上を歩いてイエスに近づいてみたいという冒険心も、信仰者にとっては大切なのかもしれません。日本文化の中では、失敗をすることは恐ろしいことですが、失敗を恐れない冒険心こそが、変革の力となります。

1.イエスは祈るために一人で山に登られた

イエスの弟子たちは、ヨルダン川の東のベツサイダの近くの「人里離れたところ」(15節) で、「時刻ももう遅くなっている」という中で、群衆を解散させてください。それは彼らが村々に行って自分たちで食べ物を買うためです」と言いました。

しかしイエスは、「彼らが行く必要はありません。あなたがたがあの人たちに食べる物をあげなさい」(16節) と不思議なことを言いました。

そこでイエスは、「五つのパンと二匹の魚」を用いて群衆を「満腹」させました。まさに弟子たちが、男だけで五千人の大群衆にパンを配ったのです。イエスが弟子たちに命じた途方もない命令を、イエスご自身が実現してくださいました。

それからすぐに、イエスは弟子たちを強いられた、舟に乗りご自分より先に向こう岸に向かうようにと。その間に群衆を解散させておられた。そして、群衆を解散させてから、イエスは一人で山に登られた、それは祈るためであった」(22、23節a) と記されています。

イエスは弟子たちに達成感のある仕事をさせた上で、彼らだけで向こう岸に先に渡るように強いました。そこでは彼らがイエスだけを残して舟に乗ることに抵抗したことが示唆されます。しかもイエスは「その間に、群衆を解散させた」というのです。

これは、パンの給食の前に、弟子たちが既に望んでいたことを、イエスご自身が実行されたということです。イエスは群衆の必要を、弟子を用いて満たした後で、弟子を舟に乗りこませ、ご自分で群衆を解散させました。それは、イエスがその場をすべて支配していることを意味します。

しかも、そこには「祈るために一人で山に登る」という目的がありました。それはもともと、イエスがバプテスマのヨハネのあまりにも無惨な死を聞いたときに、自分だけで寂しいところに行かれた」(13節) ことが、群衆がイエスの後をついてきたことで実行できなかったからでした。

この日のイエスにとって、一番になさりたかったことは、「一人で祈る」ことでした。それが、群衆によって邪魔されたのですが、イエスはそのようには受け止めず、彼らの必要を満たしてくださいました。

しかも、弟子たちが群衆を厄介払いしようとしたことを差し止めながら、弟子たちを用いて彼らを満腹させ、その上で、弟子を舟に乗せ、群衆を解散させたというのです。

なお、マルコ6章7-13節では、イエスが十二人の弟子を神の国の福音を広げるために村々に派遣した後、喜んで帰ってきた彼らに、「さあ、あなたがただけで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさいと言われ、「そこで彼らは、舟に乗って、自分たちだけで寂しい所へ行った」(6:32) とも記されていました。

とにかくイエスは弟子たちをも休ませたかったのですが、多くの群集がついて来たためにできませんでした。それでここでは、イエスが強いて弟子たちを舟に乗り込ませたということになったのだと思われます。

一方、「祈るために一人で山に登られた」イエスは、「夕方になっても、たった一人でそこにおられた」と描かれます (23節)。マルコ1章35節でも、イエスがカペナウムで夜遅くまで人々の必要に答えておられた翌朝のことが、「さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出て行き、そこで祈っておられた」と描かれていました。

この世では、自分で判断し自分の力で行動できる人が尊敬されますが、イエスは父なる神との交わりなしには何もできないかのように、祈りの時間を大切にしておられました。私たちも忙しければ忙しいほど、祈りの時間を大切にする必要があります。

ヨハネの福音書の並行箇所では、「イエスは、人々がやってきて、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、再びただ一人で山に退かれた」(6:15) と記されます。人の期待から自由になるためにも祈りが大切なのです。

続けてここでは 「舟はすでに陸から多くのスタディオンも離れていた、波に悩まされながら、それは向かい風であった」(24節) と記されます。一スタディオンは約185mですが、それが「多くの」という単位で描かれ、舟が陸から遠く離れていたようすが描かれます(マルコでは「舟は湖の真ん中に出ており、イエスだけが陸地におられた」(6:47) と描かれる)。

弟子たちは湖の北岸沿いを舟で移動するつもりが、湖の真ん中にまで流されたのだと思われます。なぜなら、夜になると風は山側から湖面に向かって吹いてくるからです。

そこで続けて25節は、「第四の夜回りのとき、イエスは弟子たちのところに来られた、湖の上を歩きながら」と記されます。原文の「第四の夜回り」とは午前3時から6時を指しますので、新改訳第三版では「夜中の三時ごろ」、今回の訳では「夜明けが近づいたころ」と訳されています。

なお、マルコの並行記事では「イエスは、弟子たちが向かい風のために漕ぎあぐねているのを見てと敢えて記され、主が暗い中で遠くから弟子たちをご覧になっていたようすが描かれています。

弟子たちはイエスが見えなくて不安でしたが、この暗闇での嵐の状況も、主は見ておられ、これも主の御支配の中に起きていたのです。

2.「主よ、あなたでしたら……」、「信仰の薄い者よ。なぜ疑いに向かうのか」

そしてさらにここでは、「弟子たちはイエスが湖の上を歩いているのを見て怯えた(取り乱した)、『あれは幽霊だ』と言いながら。そして、恐ろしさのあまり叫んだ」(45節) と記されます。「幽霊」とは「亡霊」とも訳される言葉ですが、当時はそれが悪霊の大きな働きと考えられていました。

それに対して「イエスはすぐに彼らに話しかけた、『しっかりしなさい(安心しなさい)。わたしだ、恐れることはない』と言いながら」と記されます。

わたしだ」ということばは、ギリシャ語で、「エゴー・エイミー」と記され、「わたしはある」と訳すことができます。かつて主はモーセに対してご自身の名を「わたしは、『わたしはある』という者である」と紹介されながら、わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた」(出エジ3:14) と話すようにと告げるようにと命じられました。これは英語訳 (ESV) では次のように訳されます。God said to Moses, “I AM WHO I AM.” And he said, “Say this to the people of Israel, ‘I AM has sent me to you.’”

ここでイエスが、「わたしはある(エゴー・エイミー)」と言われたことは、イエスがご自分は父なる神と一体の方であることを表現したとも解釈できますし、「わたしはあなたとともにいる」という思いを込められたとも思われます。

ですからイエスはここで、「このわたしが今、目の前にいるではないか」と、優しく語りかけてくださったのではないでしょうか。

かつてイエスと弟子たちの乗った舟が、大荒れの湖の中で沈みそうになって、弟子たちが「主よ、助けてください。私たちは死んでしまいます」と慌てたとき (8:25)、イエスは舟の中で眠っておられました。しかしそこでは、イエスが起き上がって「風と湖を𠮟りつけられた。すると、すっかり凪(なぎ)になった」(8:26) と描かれていました。

つまり、たった一言で嵐を鎮められたイエスが弟子たちの傍らに来ているのですから、もう何の心配もないという思いが、主のことばに込められています。

イエスが全世界の王であるならば、彼にとって制御不可能なことはありません。イエスが真の救い主であるなら、かつてモーセがイスラエルの民を導いたときと同じように、神はイエスを通して目の前の海を二つに分け、また天からパンを降らせて人々を養うことができます。

そしてイエスはここで、天からパンを降らす代わりに「五つのパンと二匹の魚」を用いて、男だけで五千人の群集を養いました。またイエスは湖を二つに分ける代わりに、水の上を歩いて弟子たちに近づき、「強風」を鎮め、舟を目的地に向けてくださいました。

神の不思議なみわざは毎回、ユニークで同じ繰り返しはないように思われますが、そこに生きている原則はいつも同じです。

神の御子イエスにとって弟子とご自分の間に、強い風に荒れ狂う海があることは何の障害にもなりません。主の行く手を阻むものはなにもないのです。そして、主が遠く離れておられると感じられることがあっても、主はすぐに私たちのすぐそばに来ることができるのです。

ところで28節では、ペテロはこのとき、「主よ。もしあなたでしたら私に命じてください、水の上を歩いてあなたのところに行くようにと」と大胆なことを願いました。

そこで、イエスは「来なさい」と言われたので、「ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスの方に行った」と、ペテロも水の上を歩いた様子が描かれます。

ここでペテロは、イエスの命令に現わされた主のご意思が、また嵐を鎮める主のことばが、自分にも湖の上を歩くことを可能にすると信じられたのです。

ただ次の情景が、「ところが強風(「風」とのみ記す写本が多い)を見ることで、(彼は)怖くなってしまいました。さらに沈み始めたので、叫びました、『主よ。助けてください』と」と描かれます (30節)。

ペテロはイエスだけを見ていたとき、水の上を歩くことができました。しかし、風を見てしまったときに恐怖に襲われ、恐怖の結果として、沈んだと描かれていることです。

私たちはここで、「沈み始めた」ので「怖くなった」のではなく、「怖くなった」ので「沈み始め」、そこで「叫んだ」という論理に心を向けるべきです。イエスから目をそらした結果として恐怖感情に圧倒されたのです。

後にヘブル書では、「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい」と記し、それこそが、「あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないようにする」ための秘訣であると記されています (12:2、3)。

ただそれにしても、恐怖に圧倒されて沈み始めたペテロも、「主よ。助けてください」と叫ぶことで、イエスに助けてもらえます。「恐怖」を、「祈り」に変えたことで救われたのです。

その情景がここで、「すぐに、イエスは手を伸ばし、彼をつかんだ」と描かれます (31節)。強調点は「すぐに」、「彼をつかんだ」という点にあります。私たちはここで一呼吸おいて、イエスがすぐにペテロを助けたという事実を深く味わうべきです。

ただ、イエスはその上で、「信仰の薄い者よ。それで、なぜ疑うのか」と言われました。これは8章26節で、イエスが嵐の中でパニックを起こしている弟子たちに「どうして怖がるのか、信仰の薄い者たち」と言われたことと語順も論理も違います。

ペテロはここで叱責を受けたというよりは、その心の動きの方向の問題の指摘を受けたのです。ここでの「信仰が薄い」という意味は、信念を貫くとか揺るがない心を持つとかいう以前に、目の前の現象に心が奪われて、イエスを見失ってしまうことに他なりません。それが、疑いを増幅させる方向に向かうことが問題なのです。

ペテロはイエスから目を離して、風を見てしまって恐れに圧倒され、それがさらなる疑いを生むという悪循環に陥っていました。それは私たちにも起きることです。信仰の薄さを測る代わりに、イエスを見ることが大切です。

事実、ペテロは、最初はイエスを見て、イエスの命令に従って、湖の上を歩くという冒険にチャレンジすることができていたのです。彼は不信仰な者ではなく、イエスへの信頼感を保てなかったことが問題でした。

ペテロは、湖の上を歩くイエスを見て、かなり衝動的に、自分もイエスの真似をしてみたいと思いました。それは大変微笑ましい記事ではないでしょうか。しかも、イエスはそのペテロの願いに応じて、彼に水の上を歩かせました。

そして、実際にペテロは、少しだけもイエスに向かって水の上を歩いたのです。イエスを見続けているうちは、それができました。私たちにも同じ冒険の可能性が開かれています。

3.「舟の中にいた者たちはイエスを礼拝した、『まことに、あなたは神の子です』と言いながら」

その後の情景が、「そして二人が舟に乗り込むと、風はやんだ。舟の中にいた者たちはイエスを礼拝した、『まことに、あなたは神の子です』と言いながら」と描かれます (32、33節)。

湖の上を歩いて自分たちに近づくイエスを見て、「幽霊だ」と怯えていた弟子たちが、イエスを「神の子」として、私たちが礼拝すべき神として認めたのです。

それはイエスが「わたしはある」と言われ、ペテロまでも湖の上を歩かせ、沈みそうになったときにすぐに彼を支えたということを通して、ご自身が風も水も支配し、人にとって不可能なことを可能にしてくださることを明らかにされたのです。

イエスは今も、私たちとともにいてくださる全世界の創造主であられます。仕事もコロナ感染も支配しておられる方です。その方との交わりの中ですべての営みがなされるべきです。礼拝すべき方を礼拝する中で、すべての働きがなされるべきです。

そして、「それから彼らは湖を渡り、ゲネサレの地に着いた」(34節) と記されます。「ゲネサレの地」とはカペナウムより少し西南にあるガリラヤ湖畔で、これは舟が当初の予定よりもずっと南に流されたことを示しています。

そのとき、「その地の人々はイエスだと気がついて、周辺の地域にくまなく知らせた。そこで人々は病人をみなイエスのもとに連れて来た。そして懇願した、せめてイエスの衣の房にでもさわらせてもらえるようにと。そして、さわった人たちはみな癒された」という不思議が記されます (35、36節)。

イエスの名はこのあたり一帯に知れ渡っており、多くの人々がイエスによって目の前の問題、特に不治の病を癒してもらいたいと願っていました。

ここでの「イエスの衣の房にでもさわらせてもらえるように……さわった人々はみな、癒された」ということばに、12年間長血をわずらっていた女性のいやしの出来事が (9:20-22)、みんなに言い広められ、人々がそのまねをしている様子が示唆されています。

この「衣の房」とはタリスと呼ばれる祈りの装束の四隅の「」で、そこに「青いひも」がついていました (民数記15:38、39)。それは「 (ヤハウェ) のすべての命令を思い起こし」て、自分の心と身体を誘惑から守るシンボルでもあり、イエスの衣の房の場合は「聖さ」の象徴のようなものと見られたのでしょう。

ここにはイエスが群集の切実な心の叫びに応答してくださることが強調されています。ここにいる一人ひとりが、自分自身の必要または身近な病人の必要しか見えていません。彼らはある意味で、「ご利益」だけを求めているような人々です。

しかしイエスは彼らの心の姿勢を問うこともないまま、すべての人を癒してくださいました。

多くの人々は、神はとっても忙しいので、こんな自分の小さな願いには関心がないに違いないと勝手に思い込んで、主に叫ぶことを忘れています。また主に祈っても、七十億人の中のたった一人の声など、届きはしないなどと思っている人がいます。

しかし、神は宇宙の果てまでを支配しておられるとともに、私たちの身体の隅々の細胞の動きも知っておられます。神には「忙しすぎる」ということはありません。そのことがここに明らかにされています。

ただそれでも残念なのは、ここでは何の教えをする間もなかったかのように描かれていることです。病は癒されても、再びどんな人もまた病になり、やがて死んでゆきます。病の癒しよりも大切なことがあるということを、彼らは悟ろうとはしていなかったのかもしれません。

イエスはこの世の嵐の中で怯えている私たちに近づき、ご自身の栄光を垣間見せてくださいます。そこでイエスは天地万物の創造主として、「わたしだ。恐れることはない」と言ってくださいます。

飢えた者にはパンを与え、病を癒し、嵐を静め、気力のない者には気力を与えてくださいます。そして、そのイエスの神としての力は、私たちが自分の無力さに打ちひしがれているときにこそわかることでもあります。

マザーテレサがカルカッタの孤児院の壁に書き留めたと言われる次のことばを味わってみましょう。すべては、「わたしはある」と言われる方の御前で起こっていることです。

  1. 人は、しばしば、不合理で、わからず屋で、わがままなものだ。それでもなお、人を赦しなさい。
  2. 人に親切にすると、隠された利己的な動機を疑われることがある。それでもなお、親切でありなさい。
  3. あなたが成功するなら、偽の友達と本物の敵を得るかもしれない。それでもなお、成功しなさい。
  4. 正直で誠実に生きようとすると、人に騙されるかもしれない。それでもなお正直で誠実でありなさい。
  5. 何年もかけて創造してきたものが、一夜にして崩れさるかもしれない。それでもなお、創造しなさい。
  6. あなたが平安と幸せを見つけると、人の妬みを買うかもしれない。それでもなお、幸せでありなさい。
  7. あなたが今日した良い行いは、すぐに忘れられることでしょう。それでもなお、良いことをしなさい。
  8. あなたが持つ最高のものを与えても、それでも足りないでしょう。それでも最高のものを与えなさい。
  9. 結局はすべてあなたと神との間のことで、他の人との関係だったことは一度もないのです。

ペテロがただイエスを見ていたとき、水の上を歩くことができました。しかし、風を見たとたん、恐くなって沈みだしました。私たちも、目に見える結果や状況によって恐怖心にとらわれ、自分のなすべきことを簡単に変えるような者であってはなりません。私たちの働きはすべて、キリスト・イエスに向けて、神の栄光のためになされるべきものだからです。

そして、イエスはあなたの労苦を喜び、あなたが困難を覚えているとき、その身近に来て助け、その労苦を無駄にせず、その実を見させてくださいます。

それは、「あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから」(Ⅰコリント15:58) と断言されているとおりです。私たちの目の前にどんな障害や邪魔があっても、イエスが近づいて来られることを阻むものは何もありません。