イエスの時代のユダヤ人にとっての神の「救い」とは、ローマ帝国の支配から解放されて、ダビデ王国の栄光が回復されることでした。それは「バビロン捕囚からの帰還」、「新しい出エジプト」と呼ぶことができます。
バビロン帝国によってエルサレム神殿が破壊された70年後に、バビロンはペルシャによって滅ぼされ、ユダヤ人のエルサレム帰還が許され、神殿が再建されましたが、それは捕囚の終わりとは言えません。彼らはなおペルシャ帝国の支配下にあったからです。
事実、神殿再建から70年後、ネヘミヤのもとでエルサレムの城壁が再建された喜びの時になお、祭司たちは主に向かい、「ご覧ください。私たちは今、奴隷です。私たちが実りと良い物を食べられるようにと、あなたが先祖に与えてくださった、この地で、ご覧ください。私たちは奴隷です」と告白しています(ネヘミヤ9:36)。彼らはペルシャ王の奴隷として平穏に暮らしていたに過ぎません。
彼らは、主(ヤハウェ)こそが真の王であることが明らかになることを望み続けていました。
一方、現代の世界の人々は、グーローバル市場経済のもとで、「大バビロン」という富の支配の奴隷となってはいないでしょうか。
黙示録17章3-6節には、「一人の女が緋色に獣に乗って……紫と緋色の衣をまとい、金と宝石と真珠で身を飾り、忌まわしいものと、自らの淫行の汚れで満ちた金の杯を手に持っていた。その額には、意味の秘められた名、『大バビロン、淫婦たちと地上の忌まわしいものの母』という名が記されていた。私は、この女が聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た」と記されており、お金の奴隷になることを拒否した信仰者が殉教の血を流すようすが示唆されます。
現在、確かにグローバル市場のおかげで、最貧国と呼ばれていたバングラデッシュやエチオピアが目覚ましい経済発展を遂げることができました。しかし今や、人間の価値がその生産性というお金の基準によってはかられ、ITの進歩が人々を競争に駆り立て、お金に振り回されるか、落伍する人々が増え続けています。
私たちは、そのような社会の中で「神の約束に従って、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望」みながら(Ⅱペテロ3:13)、この「地上では旅人であり、寄留者であることを告白」し続ける必要があるのです(ヘブル11:13)。お金の大切さを自覚しながらも、お金に囚われない生き方を、私たちは世界に証しする必要があります。
1.「どうして私たちが異国の地で、主(ヤハウェ)の歌を歌えるだろうか」
「バビロンの川のほとり そこに私たちは座り シオンを思い出して泣いた」とありますが、これはエルサレムがバビロン帝国によって破壊され、その住民が捕囚としてバビロンの地に強制移住させられながら、エルサレム神殿のあったシオンの丘を思い出して、泣いていたという著者自身の体験を語ったものです。
「バビロンの川」の「川」とは複数形で、大河ユーフラテス川の支流や運河を含む多数の「流れ」を指すことばで、高地にあるエルサレムとの環境の違いが際立つ表現です。原文の語順では、「バベルの諸々の流れ(複数)のほとりに、私たちは座って、そして、嘆いた。シオンを思い出したときに」と記されています。短い文章に、当時の神の民の嘆きの情景が読者の心に迫ってきます。
深い悲しみの原因は、シオンに立つエルサレム神殿を思い起こさせることがあったからですが、その理由が2-4節に描かれています。
「街中の柳の木々に 私たちは竪琴をかけた」(2節)とは、新しい聖書協会共同訳では、「そこにあるポプラの木々に琴を掛けた」と訳されています。厳密には「(諸々の流れの)ただ中の木々に」で、流れの間には当然「街」があったとイメージされて訳されたのでしょう。
なお木の種類も、「柳」と訳される場合も多いのですが、実際はユーフラテス・ポプラという当地の有名な木々を指すと思われます。それは中規模の落葉樹で樹高は最大15mほど、幹まわりは約2.5mほどになり、幹は曲線的に分枝しています。その日本語名が「琴掛け柳」と呼ばれるのは、この詩篇で「琴をかけた」と記されていることに由来するとのことです。
「竪琴」はたとえばネットでKing David’s Lyreと入れると想像して復元された演奏が見られますが、共鳴室の先にU字型の枠と十本の弦がついた形だったと思われます。
イスラエル王国初代の王サウルが、主(ヤハウェ)からの「わざわいの霊」によって怯えたとき、「ダビデが竪琴を手に取って弾いた。するとサウルは元気を回復して、良くなり、わざわいの霊は彼を離れ去った」(Ⅰサムエル16:23)という記述があります。
なお、このヘブル語はKinnorでこれがギターの語源だとも言われますが、現代ヘブル語ではヴァイオリンを指します。弓のようなもので音を出すこともあったからかもしれません。神殿礼拝では最も頻繁に用いられた楽器です(Ⅱサムエル6:5)。彼らはバビロンに連行されながら、この楽器だけは大切に運んで行ったのだと思われます。それで彼らは、故郷のエルサレムを思い起こし、ダビデの詩篇をこの伴奏で歌ったことでしょう。
なお、彼らがそれほど大切な楽器を柳の木に掛けたのは、「私たちを捕えて来た者たちが そこで私たちに歌を求め 私たちを苦しめる者たちが 余興に『シオンの歌を一つ歌え』と言ったからだ」というのです。
それに対し彼らは「どうして私たちが異国の地で 主(ヤハウェ)の歌を歌えるだろうか」と思ったと描かれます。そればかりかそれに抗議するような意味で、竪琴の演奏を止めるという意思の表現として、竪琴を背の高い柳の木の枝にかけてしまったのだと思われます。
ここで問題なのは、「異国の地」で主をたたえる歌を奏でること自体ではありません。バビロンの支配者の余興のために、主への賛美の歌を用いることなどできないということです。支配者たちは余興の一環として、心を喜ばせ、踊ることができるような歌を求めていたことでしょう。
確かに、ダビデは神の箱をエルサレムに運び入れたとき、「イスラエルの全家は、竪琴、琴、タンバリン、カスタネット、シンバルを鳴らし、主(ヤハウェ)の前で、すべての杉の木の枝をもって、喜び踊った」(Ⅱサムエル6:5)と描かれ、また「ダビデは、主(ヤハウェ)の前で力の限り跳ね回った」(同6:14)と記されており、そのように跳ねたり踊ったりすることに用いられる歌が、竪琴で奏でられていたからです。
ここでは「シオンの歌」が「主(ヤハウェ)の歌」と言い換えられていますが、それは、先の詩篇132篇にあったように、シオンをご自身の「安息の場所」とされた主の歌だと思われます(8,14節)。
たとえば、詩篇46篇では、「神はそのただ中におられ その都は揺るがない」(5節)と歌われていましたが、その都がバビロン軍によって跡形もなく崩されました。それをこのバビロンの地で歌うことは主への賛美となるどころか、皮肉としか聞こえません。
また詩篇122篇では「エルサレム それは 一つによくまとまった都として建てられている。そこには 多くの部族 主(ヤハウェ)の部族が上ってくる……あなたの城壁の内に 平和があるように」(3,4,7節)と歌われます。しかし今、イスラエルの民はエルサレム神殿に上ることもできませんし、その跡地に見られるのは「平和(シャローム)」と対極にある悲惨です。
ただし、それらの歌の前提には、「主がシオンに住んでおられる」という神の臨在がありました。しかし、彼らが主の宮に偶像の神々を置いてしまったときに、主はそこを「安息の場所」とすることができなくなりました。エゼキエル10,11章には、「主(ヤハウェ)の栄光」が神殿とシオンの丘から去ったようすが描かれています。エルサレムの滅亡はその結果でした。
著者たちは、主のさばきを心から理解しつつ、自分たちの罪を告白し、神のあわれみを求めるような歌を、竪琴を奏でながら、歌っていたことと思われます。詩篇の中にはそのような歌が満ち溢れています。
しかし、余興のための歌を求められたとき、「もう竪琴を弾くことなどできない……」という思いになり、竪琴を柳の木に掛けざるを得ませんでした。それは異国の地の人々の期待に沿う歌など奏でることができないという断固たる意志の表明でもありました。主は預言者エレミヤを通して、バビロンに捕囚とされた民に、「家を建てて住み…妻を迎え……そこで増えよ……わたしがあなたがたを引いて行かせた、その町の平安を求め、その町のために主(ヤハウェ)に祈れ。その町の平安によって、あなたがたは平安を得ることになるのだから」(29:4-7)と命じていました。
しかし、それはバビロンの支配者の期待に沿って生きることではありません。私たちも、自分の周りの異教徒の繁栄を祈るべきですが、その期待に沿う必要はありません。
2.「もしも、私がエルサレムを最上の喜びとしないなら」
5節と6節前半には交差構造が用いられており、原文の語順では、「もしも 私があなたを忘れてしまうなら エルサレムよ この右の手も忘れるがよい 私の舌は上あごについてしまえばよい もしも 私があなたを思い出さないなら」と記されています。
「右の手」が「忘れる」内容は、竪琴を弾く「巧みさ」にあるので、新改訳はそのことばを付加して訳しています。先に記したように主は預言者エレミヤを通して、バビロンの町の繁栄を祈り、そこで子孫を増やすことを命じましたが、それは決して、エルサレムを忘れさせることを意味はしませんでした。
著者は、主が自分をエルサレムに戻してくださる日を待ち望みながら、右の手で竪琴を弾く練習を繰り返し、また、自分の「舌」を用いて、主をほめたたえる歌を歌う練習を重ねていたのではないでしょうか。だからこそ、著者は、「エルサレムを忘れ……思い出さない」ようになるぐらいなら、「右の手」が竪琴の演奏を忘れ、舌が動かなくなって主への賛美が歌えなくなることを願ったのです。
その上で、「もしも 私がエルサレムを最上の喜びとしないなら」と追加されます。それはエルサレムを忘れないどころか、「最上の喜び」とし続けないならば、琴の演奏も主への賛美も歌うこともできなくなっても構わないという断固たる意志を示すことばです。それは自分の人生の喜びの基本が、エルサレムにあるという意味になります。それは、私たちが天のエルサレムを最高の喜びとして生きることと同じです。
ヘブル11章10~16節ではアブラハムとその子孫の信仰が、「堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです……はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました……彼らが憧れていたのは……天の故郷でした……神が彼らのために都を用意されたのです」と記されています。これこそが私たちにとって、「エルサレムを最上の喜びとする」ことの意味と言えましょう。
使徒パウロはピリピ人への手紙3章18-21節において、「今も涙ながらに言うのですが、多くの人がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。その人たちの最後は滅びです。彼らは欲望を神とし、恥ずべきものを栄光として、地上のことだけを考える者たちです。しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自分に従わせることができる御力によって、私たちの卑しい身体を、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます」と記されています。
ここで「私たちの国籍が天にある」とは、死んで天国に入ることに憧れながら生きるというよりは、黙示録21章1,2節に、「私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降ってくるのを見た」と記されているように、天上のエルサレムが地に下ってくることに心の焦点を合わせて生きることに他なりません。
つまり、私たちは、たましいが肉体から解放されて天国に憩うというよりも、この目に見える世界が栄光に輝く世界に根本的に造り変えられ、それを迎えるためにこの卑しい身体も、「栄光に輝く姿と同じ姿に変えられる」ことを待ち望んで生きているのです。
それは、バビロン捕囚とされた民が、その地の祝福を願いながら、同時に、心はいつも「エルサレムを最上の喜びとする」ことに向かっていたことと同じです。
彼らもアブラハムと同じように「天の故郷」、神が用意された「都」に憧れていたのですが、それは地上のエルサレムに主の栄光が戻ってきて、そこから世界が変えられることでした。人生のゴールは、天国というより、「新しい天と新しい地」にありました。それは私たちの場合も同じです。
残念ながら、キリスト教は西洋ではストア哲学の、また東洋では仏教的な厭世思想の影響を受けています。その結果「救い」が、たましいがこの世の汚れから解放され、自由な平安に満たされるという霊肉二元論的な発想で描かれがちです。
しかし私たちの希望は、「新しいエルサレムが……天から降ってくる」ことにあります。私たちはこの世界を、より住みよい世界に変えたいと願って様々な努力をしていますが、それが報われることこそが世界のゴールです。一方、この世からの分離や逃避の思想はその努力をあざ笑うことになりかねません。
3.「幸いなことよ……仕返しする人は?」
7節は、「思い出してください 主(ヤハウェ)よ エドムの子らを」ということばの流れで記されます。それは、エドム人に対して、主のさばきが下されることを願う祈りです。
その原因は、彼らがヤコブの双子の兄のエサウの子孫でありながら、「エルサレムの日」、つまりエルサレムの滅亡の日に、「破壊せよ 破壊せよ その基までも」と、バビロン帝国がエルサレムを破壊することを応援するようなことを言っていたからです。
オバデア書では、エドム人の傍観者的で嘲笑的な態度が非難されています。私たちの場合も、自分の仲間だと思っていた人がそのような態度を取ることがあるかもしれません。そのような者たちに対する主のさばきが、「おまえは 自分がしたように、自分にもされる。おまえの報いは、おまえの頭上に帰る」(15節)と記されます。
興味深いことにそこでは、「しかし、シオンの山には、逃れの者がいるようになる。そこは聖となり、ヤコブの家は自分の領地を所有するようになる」(17節)と、エドムに対するさばきと、エルサレムの回復が同時に記されています。神の民の敵へのさばきと、神の民の救いは、コインの裏表なのです。
8節は「娘バビロンよ 荒らされるべき者よ」というバビロン帝国に対するさばきが描かれます。イザヤ47章では、「おとめ、娘バビロンよ。下って行って、土の上に座れ……あなたはもう、優しく上品な女と呼ばれることはないからだ」ということばから始まり、自分を「国々の女王」と誇っていた民に対するさばきが宣告されます。
興味深いのは、その文脈の中で48章20節では、「バビロンから出よ。カルデアから逃れよ。喜びの声を上げて、これを告げ、聞かせよ……『主(ヤハウェ)が、そのしもべヤコブを贖われた』と言え」と記されていることです。
エレミヤを通して、バビロンに定住することを命じたかのように思われた主は、一転して、ペルシャ帝国を用いてバビロンを滅ぼそうとしておられます。その際、イスラエルの民に「バビロンから逃げ出す」ことを命じ、それを彼らが、「奴隷状態から贖い出される」こととして描いています。
つまり、バビロン帝国の滅亡が、イスラエルの救いとセットに描かれているのです。これはエドムの場合と同じです。
そのような中で、8節後半と9節で、二回に渡って「幸いなことよ」から始まり、かつてのバビロン帝国の暴虐に「仕返しをする人」また、バビロンの「幼子たちを捕え 岩に打ちつける人」が称賛されています。これはキリストにある救いを知っている人には受け入れがたく思えますが、2600年前の世界では極めて自然な感覚でした。
なお、「仕返しをする」という動詞は、シャローム(平和)と同じ語根のことばです。それは、ある人が一方的にわざわいを受けるという不条理が正されることです。つまり、平和の実現には、加害者に対する仕返しが完了する必要があるのです。
ですから、使徒パウロも、「自分に関することについては、できる限り、すべての人と平和を保ちなさい」と命じながら同時に、「愛する人たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい(神の怒りに場所を空けなさい)」と命じています(ローマ12:18,19)。
神がアブラハムを召し出したときに、彼とその子孫に向かって、「わたしはあなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう」と約束され、アブラハムの子孫を呪ったバビロンの民は、神ののろいを受けるのが当然でした。
それでここでは、その神のさばきを執行する器として選ばれている者は「幸い」であると描かれています。当時、それはペルシャ帝国が神のさばきの執行者として選ばれ、バビロン帝国を滅ぼし、イスラエルの民のエルサレムへの帰還と、神殿建設を応援したことに現わされていました。
しかし、このペルシャ帝国も傲慢になったときに、ギリシャのアレクサンダー大王によって滅ぼされ、さらにギリシャ帝国も分裂して互いを滅ぼし合ったあげく、最後はローマ帝国によって滅ぼされます。
ですから、あなたのために仕返しをしてくれる人も、すぐに傲慢になって、別の権力者に滅ぼされるというのが歴史の常なのです。しかし、神はそれらすべての王国の興隆と滅亡を支配しておられます。だからこそ、私たちはこの世の権力者ではなく、この世の権力者を動かし、仕返しを執行する神をこそ恐れるべきなのです。
無教会運動の指導者で戦後に東京大学の総長に抜擢された矢内原忠雄は、太平洋戦争の時代に天皇が現人神とされ、神社参拝が強要されていたときに、黙示録からその時代の意味を解き明かしました。
その13章では、偶像礼拝の命令に従って獣の刻印を額に受けた者以外は経済活動から締め出されるような時代が「一年と二年と半年の間」に過ぎなかったことを振り返り、それは一場の悪夢であったと記しています。
ただ同時に、「七つのラッパは終わったけれども、やがてまた新しき審判の連環として、七つの鉢」が始まるであろうと預言的に記しています。日本は軍国主義の悪夢から解放されはしましたが、なお、富の支配である「大バビロン」の支配下にあります。
そのような中で私たちは、心の目を常に「新しいエルサレム」が天から地に下って来ることに向けつつ、「エルサレムを至上の喜び」としながら、この世の富の支配に屈せずに、主に仕え続けるのです。
私たちは既に、今この時から「かけがえのない神の子」とされていますが、なお、この世界がサタンの支配下にあることを嘆きながら、その贖いを待ち望みます。
主がエレミヤを通して、異教徒の国バビロンの平安を祈るように命じたように、私たちは今置かれている場の祝福を祈ります。同時に「私たちの国籍は天にあります」から、この地上での成功を第一に、「目的のためには手段を選ばない」ような生き方をしてはなりません。
私たちはこの世の富の支配の奴隷として苦しんでいる人とともに、ともに嘆き、ともにうめきながら、新しいエルサレムの実現を待ち望むのです。