ヨーロッパにはキリストの弟子を自分たちの地方の守護聖人として崇める伝統があります。たとえばペテロの兄弟アンデレはスコットランドの守護聖人とされ、それは青地に斜め白十字の国旗にも表されています。それは、彼の殉教後に、彼の骨を乗せた船がスコットランドに流れ着いたと言われているからです。
聖人の骨の上に教会が立つと言えば、カトリックの総本山が聖ペテロ寺院と呼ばれるのはそのためです。ペテロは確かに弟子たちのリーダーで、現在のローマ法王はその後継者と見られています。そのように考えると、ペテロはよほど立派な人間であると思われて当然ですが、聖書では、彼の偽善者、臆病者、嘘つき的な面が赤裸々に記されています。
一方、イエスはペテロの失敗を事前にご存じで、それを通して彼を作り変えてくださいました。そしてイエスは彼を転がる石(ローリング・ストーン)から、「不動の岩」へと変えてくださいました。その彼の信仰告白の上に私たちの教会が建てられています。
ペテロを作り変えた御霊が今、私たちに与えられています。私たちはみなペテロの後継者です。
1.「あなたはペテロ(石または岩)です。」
カトリックのローマ法王がペテロの後継者と呼ばれるのは根拠のないことではありません。イエスがピリポ・カイサリア地方で、弟子たちに「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」と聞いたときに、ペテロはすぐに「あなたは生ける神の子キリストです」と模範的な信仰告白をしました。
そしてそれを聞いたイエスはペテロに向かって、「あなたはペテロ(石または岩)です。わたしはこの岩(ペトラ)の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打つ勝つことはできませ。わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。あなたが地上でつなぐ(縛る、禁じる)ことは天においてもつながれ、あなたが地上で解く(許す)ことは天においても解かれます」(マタイ16:18、19) と、途方もないことを言われたからです。
カトリック・フランシスコ会訳の解説では、ここには「ペテロの首位権」が約束され、「ペテロは家令として天の国の鍵を預かり、善人には天の国に入ることを許し(すなわち『解く』)、悪人には入ることを禁じる(すなわち『つなぐ』)」と記されています。
ローマ法王には、ペテロから代々、この天の国の鍵が受け継がれており、ペテロとその後継者の威光に逆らう者は、だれも天の御国に入れないということになってしまいます。中世ヨーロッパの権力者たちは、法王から破門されると永遠の地獄の苦しみがあると怯えていました。そのように考えると、カトリックとローマ法王の権威に逆らったマルティン・ルターとその後継者たちは、だれも天国に入れてもらえないとも解釈できます。
私たちプロテスタントと呼ばれる群れは、ペテロの信仰告白を導いたのは天の父ご自身であり、イエスはご自身のことばに従う者のことを、「岩(ペトラ)の上に自分の家を建てた賢い人」と呼ばれたということに目を留めます。つまり、イエスを主と告白するすべての人は岩の上に家を建てている人なのです。
しかも、ペテロが預かったのは天国の入り口の「鍵」というよりは、天の御国に入れていただくための福音に他なりません。そして、「つなぐ」とか「解く」とは当時のラビが用いた用語で、具体的な地上の行いが、律法に照らして禁じられているか、許容されているかを判断する権能がペテロとその信仰告白に倣う者たちに与えられているという意味です。
それは現代、キリスト教会全体が、人間の尊厳や生命倫理や家族のあり方などに関して神のみこころをこの地に住む人々に語る責任を委ねられているという大きな視点を示すものとも言えましょう。
ただ、その直後、ペテロはイエスの受難予告を聞いて、イエスを諫めるという愚かな行動を取り、そのとき「下がれ、サタン」と言われながら厳しい叱責を受け (16:23)、「自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい」と命じられます (16:24)。
それから六日目に、イエスはペテロとヤコブとヨハネを連れて高い山に登られます。そこでぺテロは、イエスの「顔は太陽のように輝き、衣は光のように白くなった」という姿を見せていただきます (17:2)。さらに彼は、「光り輝く雲」に覆われながら、天の父なる神からのことばを聞きます。それは「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞け」という語りかけでした (17:5)。
それからもペテロは湖の魚からステタル銀貨を取り出すなどの不思議を体験させてもらい (17:27)、様々な特別の教えを受けます。そしてエルサレムに入城するときには、「ホサナ、ダビデの子に」という群衆の歓呼をともに聞きながら、大喜びしていたことでしょう。
その後の最後の晩餐で、さらにイエスの受難予告と弟子たちがみなご自身に「つまずく」と言われるのを聞きます。そのときペテロは、「たとえ皆があなたにつまずいても、私は決してつまずきません」(26:33) と豪語します。それは他の弟子たちと自分の信仰は違うという傲慢な告白でもありました。
それに対しイエスは、「あなたは今夜、鶏が鳴く前に三度わたしを知らないと言います」(26:34) と予告します。それに対して彼は、「たとえ、あなたと一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません」(26:35) と答えました。
その後のゲツセマネの園では、イエスが彼とヤコブとヨハネに、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいて、わたしと一緒に目を覚ましていなさい」と命じられながら、ひたすら居眠りを続けてしまいました (26:38–45)。
その際、イエスはペテロに「誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです」(26:41) と言われます。そしてイエスが捕らえられる直前には、主から「もう眠って休みなさい」(26:45脚注) という皮肉な叱責を聞くことになります。
そして、イエスが捕らえられる際には、ペテロは「手を伸ばして剣を抜いた。そして大祭司のしもべに切りかかり、その耳を切り落とした」と描かれます。ここでペテロが取った行動は極めて危険なもので、ここで戦いが起こったらイエスの弟子たちの何人かはここで命を失う可能性さえありました。
しかし、イエスは即座に、そのしもべの耳を癒やすことで、ペテロが犯罪者として追及されないように守ってくださいました。しかも、このときイエスはペテロに、ご自分は「父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今すぐわたしの配下に置いていただくこと」が可能であると言っておられました。それはイエスが全能の神のご支配の中でこの不当な裁判を受けようとしているという告白でもありました。
ペテロはその後、「遠くからイエスの後について、大祭司の家の中庭まで行った。そして中に入り、成り行きを見ようと下役たちと一緒に座った」と描かれます (26:58)。一斉に逃げ出した他の弟子たちとは異なり、少なくともペテロとヨハネは大祭司の家の中庭という敵陣のただ中に入って、下役たちと一緒に座った」(58節) と描かれています。そこにペテロの勇気を見ることができましょう。
2.ペテロは誓って、「そんな人は知らない」と再び否定した。
ヨハネ18章12節以降によると、イエスは最初、大祭司カヤパのしゅうとのアンナスの家に連れて行かれました。ペテロもその後をついて、「大祭司の家の中庭に入った」と描かれ、そこでまず、「門番をしていた召使の女」から、「あなたも、あの人の弟子ではないでしょうね」と尋ねられ、「違う」と答えました (同17節)。
その後の情景が、「しもべたちや下役たちは、寒かったので炭火を起こし、立って暖まっていた」と描かれます (18節)。ペテロは「一緒に立って暖まって」いながら、心は寒々としてきたに違いありません。その後イエスはアンナスの尋問を受けた後、大祭司カヤパのところに送られます (同24節)。
そこでも「さて、シモン・ペテロは立ったまま暖まっていた」(25節) と描かれます。これはたぶん、ペテロが同じ大きな大祭司の家の中庭にい続けたという意味でしょう。大祭司の家は大きく、その同じ敷地の中で、イエスだけがアンナスのところからカヤパのところに移動させられたと考えることができます。
マタイ26章69、70節にはその後のことが、「ペテロは外の中庭に座っていた。すると、召使の女が一人近づいてきた、『あなたもガリラヤ人イエスと一緒にいましたね』と言いながら。しかし彼は皆の前でそれを否定した、『何を言っているのか、私には分からない』と言いながら」と描かれます。これはヨハネが描いた門番をしていた女が、ペテロのもとに近づいてきて、「じっと見つめて言った」(マルコ14:67) ことかと思われます。
四つの福音書それぞれでペテロの否認が描かれますが、そこには微妙な違いが見られます。ただそれぞれで、ペテロが三度にわたってイエスを知らないと言ったこととその直後に鶏が鳴いたということは共通しています。
マルコ福音書の背後にはペテロがいると言われますので、先の召使の女が「じっと見つめて言った」ということばに、ペテロの恐怖心を読み取ることもできましょう。彼はとにかくこの女のことばを必死に否定しながら、その話題自体が理解できないと言い張ったのです。
さらに71、72節では、「そして入り口まで出て行くと、別の召使の女が彼を見た。そしてそこにいる人たちに言った、『この人はナザレ人イエスと一緒にいました』と。すると再び彼は、誓いとともに否認した、『そんな人は知らない』と」と描かれます。
マルコによると、このときペテロは大祭司の家の中庭の「下」の部分から「前庭の方に出て行った」ということのようですが (14:66、68)、ペテロがその場の会話から逃げようとしていたことは確かです。
そこで別の召使の女がペテロを見て、追い詰めるかのように、彼がイエスと一緒にいたということを、そこにいる人々皆が聞くことができるように言ったというのです。
それを聞いたペテロは残念なことに「誓い」を立てながら、「そんな人は知らない」と言い張ってしまったというのです。ペテロは先に自分の信仰を誇るようなことを言っていた手前、この危険な場に自分の身を必死に置き続け、自分は無関係だという素知らぬ雰囲気を出しながら、炭火の前で立っていたのですが、心はどんどん寒くなり、召使の女の目撃証言を二度にわたって否認してしまいました。
なお、ヨハネ福音書の流れでは、ペテロは中庭に入ったばかりのときに、これらすべての前に、門番の女から疑いをかけられて否定しています。ですからここでの否認は、とっさの自己防衛ではなく、反省の時間を十分にとることができた上で、断固として、イエスとの関係を否定したということです。
ペテロは自分の心の中では必死に、イエスとともに死ぬ覚悟はできていると自分を鼓舞していたのでしょうが、肉の身体の方は、危険が迫ると、とっさに逃げの姿勢を取らせる本能が働きだします。私たちはそのような本能的な身体の反応に振り回されます。だからこそイエスは、ゲツセマネで眠り続けていた弟子たちに対し、その終わりに、「もう眠って休みなさい」と敢えて言われたのだと思われます。
イエスは26章41節では厳密には、「目を覚ましていなさい。そして、祈っていなさい。それは誘惑に陥ってしまわないためです。霊は熱く望んでいる一方で、肉の方は無力なのだから」と言っていたと解釈できます。
ペテロは霊においてはイエスとともに死ぬ覚悟ができていたのですが、肉においては無力で、そこにある恐怖から衝動的な逃げのモードへと身体が反応してしまいました。ペテロが恐怖心と必死に戦いながら、イエスへの愛のゆえに「大祭司の庭」に留まり続けました。それ自体は賞賛に値しますが彼の心は大きく揺れていました。
ただしペテロは、そこで自分の弱さを見つめ、真剣に神の助けを求めて祈っていたわけではなかったと思われます。私たちは、心が揺れるからこそ真剣に祈る必要があるのですが、彼の心はそうではありませんでした。
マルコ14章68節では、一度目の否認のあとに、「前庭の方に出て行った。すると鶏が鳴いた」と描かれています。それは彼が一度目の鶏の鳴き声を聞いても、イエスのことばを思い越すことなく、逃げのモードに囚われていたということを意味します。
3.「嘘ならのろわれてもよいと誓い始め、『そんな人は知らないと』と言った」
26章73節では、「しばらくすると、立っていた人たちがペテロに近寄って来て言った」と描かれます。ルカ22章59節によると二度目と三度目の否認の間にも一時間もの時間があったことが明らかになります。とにかく、そこにいる何人もの人が、「確かに、あなたもあの人たちの仲間だ。ことばのなまりでわかる」と言ったと記されます。ガリラヤ出身者など珍しくはないと思われますが、彼らはペテロの話し方から彼の嘘を直感的に悟ったのかもしれません。
しかもヨハネ18章26節によると、そこに「大祭司のしもべの一人で、ペテロに耳を切り落とされた人の親類が」そこにいて、「あなたが園であの人と一緒にいるのを見たと思うが」と言ったと描かれています。ペテロは確かに大祭司のしもべの耳を切り落としていますから、その犯人がペテロであると発覚するなら、彼は捕らえられ、厳しいさばきを受ける可能性があります。
そこで彼は、「嘘ならのろわれてもよいと誓い始め、『そんな人は知らないと』と言った」と記されます (26:74)。なお、この文章は厳密には、「彼はのろいをかけ始めた。そして『そんな人は知らない』と誓った」と訳すことができます。
これは本当に救いようのないほどに愚かな「誓い」のことばです。どう考えても、かつてイエスに向かって、「たとえ、あなたと一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません」(26:35) と断言した人と同一人物とは思えないほどです。
それにしてもペテロの態度は、イエスばかりか、父なる神のさばきの権威をも否定するもので、その点では、ユダよりもなお罪深い行為とも言えます。彼には、まったく弁解の余地はありません。ペテロの心の奥底には、救い難いほどの臆病さと不信仰が隠されていたのです。何という絶望でしょう!
イエスは、ペテロを初めとする弟子たち全員に、「からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだをゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい……人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天におられるわたしの父の前で、その人を知らないと言います」(マタイ10:28、33) と警告しておられました。
そのときペテロは、「それは私の問題ではない!」と思ったことでしょうが、それが今、深刻な自分の問題になっているのです。
そしてここでは、「すると、すぐに鶏が鳴いた。ペテロは、『鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います』と言われたイエスのことばを思い出した」と描かれます (26:74、75)。
ペテロは、本当に命懸けでイエスを守るつもりでした。しかし、イエスはペテロ以上に彼の弱さを知っておられ、ご自分のゲツセマネの祈りの様子を見せ、また、正確に彼の失敗を預言しておられました。
ある意味で、これはイエスがペテロをご自身の弟子として訓練したプロセスの総仕上げと言って良いかもしれません。
ペテロはそれらすべてがイエスのおことばどおりとわかった時、「外に出て行って激しく泣いた」(26:75) と描かれます。そこには、イエスに向かっての明確な謝罪を含んだ悔い改めがありました。
ペテロは、自分に何の言い訳の余地もないことを、淡々と自分の書記として働いていたマルコに記録させています。これほど赤裸々に自分の失敗を記録させたこと自体に彼の悔い改めの真実さが現れています。ペテロの弱さを通して、イエスこそが真の王であり、救い主であることが明らかになっています。
私たちはとんでもない失敗や罪を犯すことがあります。しかし、イエスはどんな人をも再び立たせることができます。
後に使徒パウロはコリントの教会に向けて、「神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします」(Ⅱコリント7:10) と記しましたが、「救いに至る悔い改め」の代表はペテロ、「死をもたらす世の悲しみ」の代表はユダと言えましょう。
彼らはふたりとも救い難い罪人でしたが、イエスに向かって悔い改めたか、それともイエスに心を閉ざし続けたかで、一人は最高の教会指導者に、一人は永遠ののろいへと分かれたのです。
私たちの人生の挫折や失敗は、神と人との交わりを豊かにする契機とされます。自分の無力さを知れば知るほど、イエスの十字架の意味が分かり、人への優しい眼差しが養われるからです。
ペテロはこれによって文字通り、「心の貧しい者 (poor in spirit)」とされました。それは謙遜の美徳を指す以前に、「霊的に貧しい人」を意味します。主の救いは、「私は大丈夫」という人ではなく、何よりも自分の救い難さを自覚した人にこそ及ぶのです。
ペテロはこの体験を通して、他の弟子たちの弱さを軽蔑する代わりに、共感できるようになりました。それはダビデに似ています。彼は福音を語るたびに自分の愚かな失敗を証ししました。彼の愚かさと、主のあわれみがセットになって、人を慰め励ましたのです。
しかもそれを聞く者は必ず、ペテロを真の自己認識と悔い改めに導いたイエスの愛を理解します。だからこそ、ペテロの後継者たちは、彼とは反対に、命懸けでイエスへの信頼を貫くことができたのです。
つまり、彼の救い難いほどの弱さを通して、どんな人をも造り変えるイエスの真実が証しされました。あなたがどんなに不信仰でも、イエスはあなたを立たせることができるのです。
そして、イエスがペテロに向かって、「わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます」と言われた「この岩」とは、ペテロであるばかりか、アブラハムでもあります。なぜならイザヤ51章1、2節には、「目を留めよ、あなたがたが切り出された岩に……目を留めよ、あなたがたの父アブラハムに」(私訳)と、私たちの信仰の父アブラハこそが私たちの岩であると記されているからです。
そして私たちキリストに従う者は、「岩の上に家を建てた賢い人」(7:24) とされているからです。それはアブラハムに倣うすべての信仰者を指しています。
ペテロの失敗は私たちが犯す失敗の代表例に過ぎません。主はそんな欠けだらけのペテロを用いて、初代教会の群れを建て上げました。そして今、あなたや私たちを用いてご自身の教会を建てておられます。ペテロを聖人として崇める代わりに、彼の挫折を導いて成長させたイエスに信頼しましょう。