大川隆法氏の死去 —— 「神である主の霊がわたしの上にある」〜イザヤ61章1節

「幸福の科学」の総裁 大川隆法氏が昨日3月2日に66歳で亡くなられたと報じられました。1986年に設立された宗教団体が数十年のうちに数十万人の信徒を獲得していますが、彼の霊言と言われるものを何らかの形で見聞きした人の数は一千万人を超えていると、この教団は言っているようです。確かに、一般の書店でも、彼の本は目立つところに数多く置かれていることがありました。一方、伝統的なキリスト教は日本では信者数を減らし続けているのが現実で、ひょっとしたら、活動的な信者数は、「幸福の科学」と大差ないのかもしれません。

大川氏は、次のように人々を招いています「迷ったら、最後は私の言葉を聞いてください。これが人類を率いていたものの言葉だからです」。

そのように言えるのは、幸福の科学が信奉するエル・カンターレという神はイエス・キリストやブッダ、マホメッドなどを導き、その本体意識が、大川氏自身に宿っているという教えがあるからです。簡単に言うと、大川氏のうちに宿る霊は、イエスをも導いた霊であるということになります。それで、彼は、様々な本で、現代の様々な問題や課題にイエス・キリストはこのように語っている……と霊媒師のように発言します。

私たちにとっての経典である聖書は三千年前から二千年前に、当時の人々が理解できることばで書かれています。当時の人々は、地球が丸くて太陽の周りを動いている、太陽系を含む銀河系が大宇宙の一部であるということも知りません。そのような常識を持つ人々に向けて書かれた書物が、現代の人々に時代遅れに見えてしまうのは避けがたいことです。

しかも、新約聖書には女性蔑視とも見られることばが所々に見られます。その代表は、使徒パウロが、「私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。むしろ静かにしていなさい」(Iテモテ2:12) ということばです。ここでの女は妻と、男は夫と訳すこともできますが、どちらにしても、これだけを見ると、女性が礼拝でメッセージを取り次ぐなど、あり得ないという解釈になります。ところが私たち福音自由教会は、女性の説教者や牧師を認めるようになっています。それは、二千年前のパウロが手紙を書いた文脈や、聖書全体から、神が女性の霊的な指導力をとっても大切に見ておられることが分かるからです。

聖書を読むには、数千年前の時代背景と聖書全体の文脈を知る必要があります。残念ながら、それはなかなか大変なことです。それで、大川隆法さんのような方が現れて、イエスは今のコロナ危機に対して、またロシアのウクライナ侵攻に関して、LGBTの問題に関して、このように語っている……という断定的なことばに惹かれてしまいます。

イザヤ61章1節には次のように記されています

神である主の霊がわたしの上にある
貧しい人に良い知らせを伝えるため、
心の傷ついた人を癒やすため
主はわたしに油を注ぎ、
わたしを遣わされた

そして、ルカの福音書4章16節以降によると、イエス様はバプテスマのヨハネからバプテスマを受けた直後に、ナザレの会堂に入り、このイザヤ書のみことばを読み上げて、「今日、この聖書のことばが実現しました」と宣言されました。

ある意味で、大川氏は1981年に、イエス様の真似をするように、自分の上に、父なる神の霊が下った……と言ったと解釈できましょう。

しかし、私たちクリスチャンは、イエス様の上に下った神の霊は、今、私たちクリスチャンすべての上に下っていると解釈しています。そして、私たちに与えられた知性を用いて、三千年前の聖書を、文脈全体から読むことができるように訓練されています。

しかもその際、聖書には、現代の私たちに必要な知識がすべて記されていると理解しますから、新しい啓示はもう必要ないと信じています。現代の諸問題に対する解釈は、私たちが互いに遜って、互いの意見を聞き、祈りながら主のみこころを求めるようにと招かれています。そしてそこでの真理は単純です。真心から主を愛することと、真心から隣人を愛することです。日々の生活に必要なことは十分に啓示されています。

歴史を見るとそれ以上に危ないのは、自分にだけ特別な神の知恵が与えられたと、現代の問題を断定的に解釈する人が権力を握ることです。残念ながら、多くの人は迷いながら考え、また迷いながら祈るよりは、断定的に白黒明確に言ってくれる解釈を求めがちです。そしてそれこそが、現代の独裁国家を生み出し、許しています。

私たち信仰者一人一人の上に、主の霊が下っています。そして、私たちは罪人の身代わりになって十字架にかかられたイエスの生き方に倣うように召されています。真の神からの霊は、イエスの栄光を現します (ヨハネ16:14)。

分かりやすい話には、気を付ける必要があります。神は信仰者一人一人に、聖霊と同時に知性を与えてくださっているからです。