2018年7月1日
私たちの心の奥底には、「自分の人生を思い通りに生きていたい」という願望があります。ところが人生はそのようにはなりません。そこで私たちは災いの原因となる人を恨んだり、自分の非力さを悲しんだりします。
確かにこの世界では、力を持っていることが、様々な災いを避け、幸せを味わうために大いに役立つように思われます。しかし、「主(ヤハウェ)に帰せよ、栄光と力を。主(ヤハウェ)に帰せよ。御名の栄光を……主(ヤハウェ)こそが王である」(詩篇96:10私訳)という原点を忘れると、力は麻薬のように、人の心を蝕んでしまいます。
1.イスラエルの真の王はどなたか
ソロモンの生涯をひと言で表わすと、「ソロモンは主(ヤハウェ)を愛し、父ダビデの掟に歩んでいた」(3:3)という生活から、「ソロモン王は、ファラオの娘のほかに多くの異国人の女を愛した……彼には、七百人の王妃としての妻と、三百人の側女がいた。その妻たちが彼の心を転じた」(11:1,3)という状態への堕落です。彼はそれぞれの妻たちのためにエルサレム神殿の東のオリーブ山に別々の「高き所」を築きました(11:7)。
それに対する主の反応が、「主(ヤハウェ)はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主(ヤハウェ)から離れたからである」と描かれます(11:9)。そればかりか主は、「わたしは王国をあなたから引き裂いて、あなたの家来に与える」(11:11)と言われました。
そして主は、ヨセフの子エフライム族のヤロブアムを立てます。彼は、皮肉にも、ソロモンが「ダビデの町の破れ口をふさぐ」際に用いた指導者で「手腕家であり……ヨセフの家のすべての役務を管理する」者に引き立てられました(11:27,28)。
そして、主は預言者アヒヤをヤロブアムのもとに遣わし、「ソロモンの手から王国を引き裂き、十部族をあなたに与える」と約束されます(11:31)。そして、彼はソロモンが死ぬまでエジプトの王シシャクのもとに身を寄せました。
ソロモンの子レハブアムは、ヨセフの家の中心地シェケムで全イスラエルの前で王として即位します。その際、亡命中のヤロブアムがイスラエルの人々によって呼び寄せられ、民の代表者として立てられます。彼はレハブアムに対し、「過酷な労働と重いくびきを軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたに仕えます」(12:4)と訴えます。
それを聞いて、ソロモンに仕えていた長老たちはその要求を受け入れるように勧め、「今日、もしあなたがこの民のしもべとなって彼らに仕え、彼らに答えて親切なことばをかけてやるなら、彼らはいつまでもあなたのしもべとなるでしょう」と言います(12:7)。これは聖書が命じる王の道で、民の従順を望むなら、まず支配者の側が「しもべ」として仕える道の模範を示すべきという意味です。
ただ、王に向かって「しもべ」となるようにということばはレハブアムの心には届きませんでした。人は、自分が進んで「しもべ」となることができるためには、自分自身が創造主または肉の父から特別に愛されているという確信が必要なのです。
しかし、ソロモンには1,000人の妻たちがいたと記されていますから、レハブアムには驚くほど多くの兄弟がいて、父の愛を十分に受けることができなかったに違いありません。
一方、レハブアムに仕えている若者たちは、「くびきをもっと重くし……」、鞭の代わりに「さそりで懲らしめよう」と言うように勧めます(12:10,11)。そして王は三日目にイスラエルの民に向って若者たちの助言通り、「民に厳しく答え」てしまいます(12:13)。
それはかつてエジプトの王ファラオが、苦役に悩むイスラエルに答えたのと同じように、力によって民を抑えることでヤロブアムの指導力を削ぎ、反抗する気力をなくそうとする政策でした。それは当時の王国の常識とも言える支配の方法でした。
しかし、イスラエルの王制は神が立てたもので、諸国の常識とは違い、王の責任は何よりも民に「仕える」というものでした。そこにレハブアムの信仰の未熟さが見られます。
ただし、ここではその理由が彼の愚かさの故というより、「かつて主(ヤハウェ)がシロ人アヒヤを通して……ヤロブアムにお告げになった約束を実現しようと、主(ヤハウェ)がそうしむけられたからである」(12:15)と記されます。
そして、「全イスラエルは、王が自分たちに耳を貸さないのを見て取って」、王に向かい、「ダビデのうちには、われわれのためのどんな割り当て地があろうか」と言って、「自分たちの天幕に帰って行った」(12:16)と記されます。これはかつて、ダビデがアブサロムの反乱を鎮めたのち、イスラエルの民が彼に言ったことばと同じで、ユダとイスラエルの分裂の根の深さを象徴した表現です。
そして彼らは、「ヤロブアム……を全イスラエルの王」とします(12:20)。その後、レハブアムは王位を自分のもとに回復しようと、ユダ全家とベニヤミン両部族の精鋭18万人を召集して北に攻め入ろうとします。しかし、主が神の人シェマヤを遣わし、「あなたがたの兄弟であるイスラエルの人々と戦ってはならない……わたしが、こうなるようにしむけたのだから」(12:24)と語ります。そしてその際、彼らは主のことばに聞き従い、軍隊を引っ込めます。
なおその後、レハブアムのことが記されるのは14章21節です。彼が王になったのは41歳で、その失敗は「若気の至り」とは言えません。また彼の母はアンモン人でソロモンが偶像礼拝を助けた外国人の妻の一人でした。
そして続けて、「ユダの人々は主(ヤハウェ)の目に悪であることを行い……主のねたみを引き起こした」(14:22)と、王ばかりか、民全体がカナンの風習をまねたことが記されます。
そしてレホブアム王の第五年にエジプトの王シシャクがエルサレムに攻め上って来て、「主(ヤハウェ)の宮の財宝と王宮の財宝を奪い取った。彼は何もかも奪い取った。ソロモンが作った金の盾もすべて奪い取った」(14:26)と記されます。
ソロモンの時代には、まるで世界中の金がエルサレムに流れ込んでくるように描かれていました。しかし、それらの財宝も金の武具もすべて、エジプトの王に奪われてしまったというのです。
皮肉にも、かつてソロモンが友好を保とうとしたエジプトの王は、その陰でヤロブアムを匿い(11:40)、反乱を援助していたのです。レハブアムが主のことばにすなおに従って、北に向かおうとした軍隊を引き上げたのも、南のエジプトからの攻撃の可能性が見えていたからでしょう。
なお、このシシャクとは紀元前945-924年にエジプトを支配した王で、エジプトではシェションク1世と呼ばれ、衰退していた王国に繁栄を取り戻し、紀元前925年にイスラエル北部の肥沃なイズレエル平原に攻め入って、その中心都市メギドに自分の記念碑を建てたという記録がエジプトに残っています。
そこにエルサレム攻撃の記録がないのは、レハブアムが、ソロモンが大量に貯め込んでいた黄金を貢物として徹底的に納めることで独立を保ったということだと思われます。シシャクの前の王朝はエジプトの南部の祭祀都市テーベを中心とした祭祀政権で、軍事力は極めて弱かったと思われ、歴史的にはそのような権力の空白の中でソロモンが繁栄を謳歌できたと言えます。
彼らは、神に操られているのではなく、自分の利益のために主体的に行動しており、分裂と争いを招いているのは人間の罪です。イスラエルの二大勢力ヨセフの家とユダ族は主導権争いを続けてきました。またエジプトがパレスチナに分裂を引き起こしつつ、この地への支配権を確保しようとする構造は現代にも見られます。しかし、聖書はそれらの背後に、神のご支配があることを繰り返し語ります。
あくまでもイスラエル王国の分裂の根本的な原因は、王と民の偶像礼拝に対する神のさばきとして描かれているのです。そして私たちもこの世界を、力と力の衝突としてしか見ない傾向があります。
そのとき、私たちの「王」は、この世の権力であって、神とはなっていません。しかし私たちは、いつでもどこでも、「主(ヤハウェ)こそが王である」と宣言することが求められています(96:10)。王である主こそが真の平和をもたらしてくださるからです。
2.変わることのない神のみこころ
一方、ヤロブアムは自分が主ご自身によって王として立てられたという経緯を忘れて、サウルと同じように民の心を自分に向けるのに必死になります。彼は、「この民が、エルサレムにある主(ヤハウェ)の宮でいけにえを献げるために上ることになっているなら、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し……」(12:27)と想像を膨らませてしまいます。
「そして王は相談して金の子牛を二つ造り」、民に向って、「もうエルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上った、あなたの神々がおられる」(12:38)と宣言しました。その際、この「イスラエルよ……」以降のことばは、モーセの兄アロンが金の子牛を作ったときに言ったことばとほとんど同じです(出32:4,8)。違いは、かつて一つだったものを二つ造り、南のベテルと北のダンにそれぞれ置いたことです。
そしてヤロブアムは「自分で勝手に考え出した月」(12:33)に、エルサレムでの仮庵の祭りに匹敵する祭りを祝いました。しかし、主への礼拝は人が勝手に考え出すものではなく、主ご自身が定められるものです。彼は、主がかつて、金の子牛を礼拝した民を滅ぼそうとしたこと、また首謀者の三千人が一日のうちに殺されることで御怒りがようやく収まったことなどを忘れています。彼は、神がかつてその罪を赦されたという結果だけを見たのではないでしょうか。
ヤロブアムは自分が反乱の首謀者である前に、神ご自身によって立てられた十部族の王であることを思い起こすべきでした。主ご自身が彼に、「わたしのしもべダビデが行ったように、わたしの目にかなうことを行うなら、わたしはあなたとともにいて、わたしがダビデのために建てたように、確かな家をあなたのために建て、イスラエルをあなたに与える」(11:38)と言われたことを思い起こすべきでした。
ヤロブアムは、ダビデの家に対する反乱者であるよりは、霊的な意味でダビデの真の後継者になるように期待されていたのです。神はヤロブアムを立てることによって、ダビデの肉の子孫を謙遜にさせ、ある意味で二つに分かれた国が、主に仕えることにおいて良い意味での模範を競って示し合うことを期待したのかもしれません。ヤロブアムはそのような神のご期待に心を向けることなく、人心を捕らえることばかりに必死になりました。
その後、「一人の神の人が、主(ヤハウェ)の命令によってユダからベテルにやって来た」(13:1)と描かれます。そこで「ヤロブアムは香をたくために祭壇のそばに立って」いましたが、「神の人」は、「祭壇よ、祭壇よ、主(ヤハウエ)はこう言われる。『見よ、一人の男の子がダビデの家に生まれる。その名はヨシヤ。彼はおまえの上で香をたく高き所の祭司たちを、いけにえとしておまえの上に献げ、人の骨がおまえの上で焼かれる』」と途方もないことを預言します(13:3)。
それはダビデの子孫がこの地を支配することを意味し、約三百年後に成就します(Ⅱ列王記23:15,16,20)。ヤロブアムはその人を捕らえるように命じますが、「彼に向けて伸ばしていた手はしなび、戻すことができなくなった」ばかりか、「祭壇は裂け、灰は祭壇からこぼれ出た」というのです(13:4,5)。
それで王はあわてて、「あなたの神、主(ヤハウェ)にお願いして、私のために祈ってください」(13:6)と言います。主はこの願いを聞かれたので、王はこの人をもてなそうとします。しかし、彼は「主(ヤハウェ)の命令によって」(13:9)、ここではパンも食べず、水も飲まず、もと来た道を戻ることもしないと答えます。
ただ、ベテルの「一人の年老いた預言者」(13:11)が、この人を追いかけ、主が別の命令を下さったと騙し、彼を戻させて家に迎え、パンと水でもてなします。そのとき「主のことば」がこの老預言者に下り、「神の人」へのさばきが宣告されます。それは、この「神の人」が「主(ヤハウェ)のことばに背き……パンを食べ、水を飲んだので、あなたの亡骸は、あなたの先祖の墓には入らない」というものでした(13:21,22)。
彼を騙した老預言者が、騙された「神の人」にさばきを宣告するというのは途方もない不条理です。騙された人よりも騙した方がさばきを受けるべきだと思いますが、「神の人」にはそれだけ重い責任が問われていたのです。
そしてこの「神の人」は、帰り道で獅子に襲われて死にます。ただ獅子は死体のそばに立ったまま、その死体を食べてはいませんでした(13:24,28)。しかも、獅子はろばを襲うことはなく、ろばは、そこに立ったままでした。
老預言者は、その遺体を持ち帰り、彼の死を悼み悲しみ、丁重に葬ります。それによって、この「神の人」が語ったベテルの祭壇の滅亡の預言は「必ず成就する」ということが確認されました(13:32)。これらの不思議が起きたにも関わらず、ヤロブアムは悔い改めようとしませんでした(13:33)。
なおその際、老預言者は自分の息子に、「私が死んだら、あの神の人を葬った墓に私を葬り、あの人のそばに私の骨を納めてくれ」(13:31)と命じました。このような経緯からこの「神の人」の墓は石碑とともに後代まで大切に守られ続けました。そして、ヤロブアムが建てた北王国イスラエルはこれから約200年余り後にアッシリヤ帝国によって滅ぼされます。
その際エルサレムはヒゼキヤ王のもとで奇跡的に独立を保ちますが、その曾孫のヨシヤがべテルに入り、この石碑を発見します。つまり、「神の人」の死はあまりにも不条理であるように見えますが、その事実とともに彼の預言の内容がのちの時代まで残され、べテルに対する預言が文字通り成就したということが明らかにされたのです。彼の死は無駄にはなりませんでした。
多くの人はこの悲劇に戸惑いを感じますが、物語の中心は、「主(ヤハウェ)の命令」または「主(ヤハウェ)のことば」です(13章には「主の……」という表現が12回登場)。老預言者と同様にヤロブアムも新たな「主(ヤハウェ)の命令」が与えられたと言ったことでしょう。しかし、それは彼にとっては、「北の十部族がダビデ王国から独立し続けるためには、新しい礼拝の場を設けることは、『しょうがない』こと」と思えたからに過ぎません。
しかし、「しょうがない」で原則を変えてはなりません。聖書では、イスラエルにおける神の聖所は一箇所だけであり、どのような遠隔地からもそこに来ることを命じられています(申命記12章)。また、「金の子牛」のような偶像を作って拝むことを固く禁じられています。この老預言者は、ヤロブアムが始めた礼拝にとまどいながら、「主のことば」の真実性を確かめたかったのかもしれません。
しかしイエスは後に、「天地が消え去る(過ぎ去る)まで、律法の中の一点一画も決して消え去る(過ぎ去る)ことはありません。すべてが実現します」(マタイ5:18)と言われたように、新たな神のことばが先のことばを否定することなくすべてが成就します。
3.未来のことを知ろうとして、神のさばきを聞くことになるという悲劇
その後、ヤロブアムは、自分の息子が重い病に罹ったとき、妻を変装させて、預言者アヒヤを訪ねさせます(14:1,2)。アヒヤはかつて、ヤロブアムが北の十部族の王となること、また彼がダビデの道に歩むなら、主が彼とともにいて、彼の王家をダビデのように長く続かせる(11:38)という神の約束を告げていました。
そして今、ヤロブアムは自分が神の怒りを買っていることを知っており、それが息子の病として表れたと思ったのでしょう。ただ、それにも関わらず、現実の政治情勢を見ると、エルサレム神殿での礼拝を民に許容することは決してできないと思われたことでしょう。
切羽詰った彼は、かつて、サウルが霊媒師を通してでも死んだサムエルのことばを聞きたいと願ったように、預言者アヒヤのことばを聞くことを切望します。彼は自分がアヒヤの失望を買っていることを知っていますから、敢えて妻に変装させて訪ねさせます。
そのとき、主は、目が見えなくなっていたアヒヤに、ヤロブアムの妻の来訪のことと、彼女に語るべきことばを伝えます。そして、アヒヤは彼女にヤロブアムへの神のことばを授けます。それは、神ご自身が彼を「高く上げ」、「イスラエルを治める君主とし、ダビデの家から王国を引き裂いて……与えた」ということを思い起こさせ、それにも関わらず彼が主の恵みと主からの使命を忘れて、主を「うしろに捨て去った」ことを非難したものです(14:7-9)。
これはかつてサムエルがサウルを責めたことばに似ています(Ⅰサムエル15:17-19)。そしてサウルがかつて死んだサムエルを呼び寄せて自分の家の滅亡を聞いたように(同28:17,19)、ここでもヤロブアムは悔い改めないまま将来のことだけ知ろうと願った結果、「ヤロブアムに属する者は、町で死ぬなら犬がこれを食らい、野で死ぬなら空の鳥がこれを食らう」(14:11)という悲惨な預言のことばを聞く羽目になります。
しかも、彼の息子のことに関しては、母である彼女に向って、「あなたの足が町に入るとき、その子は死にます」(14:13)と驚くほど非情な宣告がなされます。ただ、その死は彼の家の中で最も幸いなものとも告げられます。
そして、最後に、「主(ヤハウェ)はご自分のためにイスラエルの上に一人の王を起こされ……彼はその日、いや今にも、ヤロブアムの家を断ち滅ぼします」(14:14)と告げさせます。事実、これからまもなくイッサカル族出身のバアシャがヤロブアムの息子の家を断ち滅ぼしイスラエルの王となります(15:27-29)。
なお、「ヤロブアムが王であった期間は二十二年であった」(14:20)と記されていますが、これは紀元前930年~910年の時期だと思われます。
Ⅱ歴代誌13章にはヤロブアム王の第十八年にレハブアムの子のアヒヤがエルサレムで王となって、北王国に攻め込んできたと描かれています。その際ヤロブアムは大敗北を喫します。そして、「主(ヤハウェ)が彼を打たれたので、彼は死んだ」(20節)と簡潔に記されます。
サウルもヤロブアムも将来が不安になり、主のみこころを求めました。しかし、主のみこころは既に十分に明らかでした。彼らは、主の御前にへりくだり、罪を悔い改めるべきだったのです。残念ながら今も、将来への不安を抱いて占いにも似たような形で主のみこころを求める人がいます。しかし彼らは、既に明らかなみこころに従おうとはしていません。
今ここで、神と隣人を愛することを第一にしようとしないで、未来のことを知ろうとしても無駄です。それどころか、未来を知ろうともがくことが、かえって神のさばきを近づけるという自滅への道となることがあります。それは、「神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります……失望せずに善を行いましょう」(ガラテヤ6:7,9)と記されているとおりです。
ダビデは、神の契約の箱をエルサレムに運び入れるとき、喜びの声を上げ、踊りながら、「国々の中で語れ。『主(ヤハウェ)は王である』。それゆえ世界は堅く建てられ、揺るぐことはない。やがて主は、公正をもって、人々をさばかれる」(詩篇96:10)と歌いました(Ⅰ歴代誌16章参照)。
ダビデが祝福された源はこの告白にあります。それを忘れたイスラエルの世界は揺らぎ、自分たちが神のさばきの対象となってしまいました。私たちの回りには、いろいろな気遣うべき課題が山ほどありますが、イエスは私たちに、「あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。しかし、必要なことは、一つだけです」(ルカ10:42)と言われます。
神のみことばに真剣に耳を傾ける者こそが、人生の様々な嵐の中で、平安を保つことができるのです。