ダビデ王国の地上的な滅亡の過程 年表
ドラマでは善人と悪人の対比が強調されがちですが、どちらとも言えない人が多数ではないでしょうか。今回の箇所には「忠実な人」、「極悪人」、「気の弱い善人そうな悪人」の三種類が出てきます。第三の人の心には「アンビバレント」(両面価値感情)な思いが見られます。それは子どもが親に抱く感情とも言われます。
それと同じく、目の前にある明確な主のことばに、感謝しながら、信頼しきれない自分がいます。しかし、信仰がなければそんな葛藤も生まれないはずですから、その現実を正直に認め、主に祈ってゆくことが必要でしょう。ただし、居直ってはなりません。主のみことばを軽蔑する者には悲劇が待っているからです。
1.「契約を破った者たちを……二つに断ち切ってその二つの間を通った、あの子牛のようにする」
34章1節の「バビロンの王ネブカドネツァルと……彼の支配下にある地のすべての王国……が、エルサレムとそのすべての町々を攻めていたとき」とは、エルサムが滅ぼされる約3年前の紀元前589年頃のことと思われます。そこで主 (ヤハウェ) は、エレミヤを通して「ユダの王ゼデキヤ」に、エルサレムの滅亡とゼデキヤ王のバビロン捕囚が避けがたいことを告げます。
ただ5節の「あなたは平安のうちに死ぬ」という約束の前提には、敗北を速やかに認めるという条件があることはこの書全体を通して明らかです。
このときバビロン軍はエルサレムの南西の二つの町「ラキシュとアゼカ」を攻撃中でした (34:7)。近年、ラキッシュの廃墟跡の土器から21通の当時の手紙が発見され、その第四はエルサレム防衛の前線基地の一つからラキシュの防衛司令官に宛てたもので、そこには「私たちはもうアゼカを見ることができないので、貴官がラキッシュから送ってくださるあらゆるしるしに注目しているということをお知りおきください」と記されていました。それは、アゼカが既に滅ぼされ、ラキシュの状況にエルサレムの前線基地が固唾を呑んで見守っている姿です。
34章8節ではそのような状況下で、「ゼデキヤ王がエルサレムにいる民全体と契約を結んで、彼らに奴隷の解放を宣言した」と記されます。それは同胞であるヘブル人の奴隷を「自由の身」にするというもので (34:9)、律法の原点に立ち返る契約でした。
ただ彼らの心の奥には、土地が奪われたら奴隷も不要になるばかりか重荷になり得るという打算もあったことでしょう。そしてここでは何と「その後で、彼らは心を翻した。そして、いったん自由の身にした奴隷や女奴隷を連れ戻し」、「奴隷の身分に服させた」(34:11) と描かれます。
この心変わりの背景には、エジプト軍が南から攻めて来るとの噂を耳にしたカルデアの軍隊が一時退却したのに安心し (34:21、22、37:11参照)、主のあわれみにすがる代わりに、現実的な打算を優先するという動機が働いたのかと思われます。ここにゼデキヤの信仰のご都合主義、一貫性のなさが明らかにされます。
そこで「イスラエルの神、主 (ヤハウェ) 」は、「わたしが、あなたがたの先祖をエジプトの国、奴隷の家から導き出した日に、わたしは彼らと契約を結んで言った。『七年の終わりには、各自、自分のところに売られて来た同胞のヘブル人を去らせなければならない……』 しかし、あなたがたの先祖は、わたしに聞かず、耳を傾けもしなかった」(34:13、14) と彼らの先祖の歴史を振り返ります。
その上で主は、「ところが、あなたがたは今日、立ち返って、各自が隣人の解放を告げてわたしの目にかなうことを行い、わたしの名がつけられているこの家で、わたしの前に契約を結んだ」(34:15) と、彼らの悔い改めを喜んでいたことを伝えます。しかし、「それなのに、あなたがたは心を翻して、わたしの名を汚した」(34:16) と激しい怒りを表現します。
これは、生き方を百八十度変えたと思ったら、さらに百八十度変えて、もとに戻ったという状況です。これでは最初から何もしなかったほうが良かったことになります。
そこで主は彼らの変節を激しく怒り、皮肉を込めて、「あなたがたは……同胞や隣人に解放を告げなかったので、見よ、わたしは……剣と疫病と飢饉(に向けて)の解放を宣言する」(34:17) と言われます。これはその将来がそのような悲劇の実現に開かれたという意味です。
さらに主は彼らに、「わたしの契約を破った者たちを、彼らが二つに断ち切ってその二つの間を通った、あの子牛のようにする」(34:18) と言われます。当時の契約儀式では、契約当事者は二つに断ち切られ、向かい合わせにされた動物の間を通り、「この契約を破る者は、同じように真っ二つにされる」と確認し合っていたと言われます。
創世記15章9–18節で、主(ヤハウエ)はアブラハムを深い眠りに落とし、ご自身だけが切り裂かれた動物の間を通って契約の確かさを保障されました。しかしここでは、もう彼らの不従順を見過ごされることはないという意味になり、「ユダの首長たち、エルサレムの首長たち、宦官と祭司と民衆すべてが、二つに分けた子牛の間を通った者たちである」(34:19) と彼らがバビロン軍に虐殺されることを示します。
そこで主は、前言を翻したゼデキヤに対し、同じようにご自身の前言を翻すかのように「わたしはユダの王ゼデキヤとその高官たちを……あなたがたのところから引き上げたバビロンの王の軍勢の手に渡す……わたしは……彼らをこの 都に引き返させ……ユダの町々を、住む者もいない荒れ果てた地とする」(34:21、22) と宣言されます。
34章最初のように、彼らがバビロンに服従し続けていたら、いのちは守られたはずでした。しかしその後も、エルサレムの支配者たちはエジプトの救援を当てにして、主(ヤハウェ)とバビロン王の両者に高ぶった態度を取り続けます。それに対し主もバビロン王も、当初の予定よりも厳しいさばきを下すことになります。
残念ながら、人は心変わりをする度に、元に戻るのではなく、より悪い状態を招くことになります。これはもがけばもがくほど深みにはまる底なし沼のようなものです。
主ははるか前から「やめよ。知れ。わたしこそ神(静まれ、そして、知れ。『わたしこそ神』)」(詩篇46:10新改訳2017、カッコ内私訳) と語っておられました。しかし、彼らは人間的な解決を求め、その度に心変わりを繰り返し、壊滅的な滅びを招いてしまうのです。
2.「レカブ人の家の者は……先祖ヨナダブの命令に聞き従い……すべて彼が命じたとおりに行った」
35章1節の「ユダの王、ヨシヤの子エホヤキムの時代」とは紀元前609年から598年の11年間ですが、この記事はエホヤキムが一時的にバビロンの王に屈服し、その後裏切って第二次バビロン捕囚を引き起こすという彼の支配末期の少し前の話だと思われます (Ⅱ列王記24:1–4参照)。
ここに登場する「レカブ人」とは、カナンの原住民の子孫ですが、その後イスラエルの民に加わり、北王国でアハブ家を滅ぼしバアル礼拝を廃止した王エフーに協力した「レカブの子ヨナタブ」の子孫として描かれます (14節、参照Ⅱ列王記10:15)。
彼らは紀元前723年の北王国滅亡後も、アッシリアの民族同化政策に対抗して、主(ヤハウェ)への誠実を守り通していました。このとき、彼らはバビロンの攻撃を避けて、エルサレムに避難してきていました (35:11)。
このとき主(ヤハウェ)はエレミヤに、「レカブ人の家に行って彼らに語り、主 (ヤハウェ) の宮の一室に連れて来て、彼らに酒を飲ませよ」(35:2) という不思議な命令を与えます。
それに対し彼らは、「私たちはぶどう酒を飲みません。というのは、私たちの先祖レカブの子ヨナダブが私たちに命じて、『永久にぶどう酒を飲んではならない……家を建てたり、種を蒔いたり、ぶどう畑を作ったり、また所有したりしてはならない……寄留している地の面に末長く生きるために、一生、天幕に住め』と言ったからです」(35:6、7) と答えます。
聖書には、禁酒も天幕生活も命じられてはいませんが、彼らの先祖ヨナダブは、少数民族のままで他民族に隷属しない自由な生き方を全うするためには、この戒めを子孫に守らせる必要があると判断したのだと思われます。それは極めて特殊な戒めと見られていましたが、二百年余りにわたって守られ続けて来ていました。
これをもとに主(ヤハウェ)は「ユダの人とエルサレムの住民」に向かって、「レカブの子ヨナダブが、酒を飲むなと子らに命じた命令は守られた……ところが、わたしがあなたがたにたびたび語っても……わたしに聞かなかった」(35:14) と、レカブ人の従順さとに比較でユダの民の不従順を責めます。
しかも、彼らへの命令の中心は「ほかの神々を慕ってそれに仕えてはならない」、主が「与えた土地に住め」という簡単なものでしたが、彼らは「耳を傾けず……聞かなかった」と非難されます (35:15)。その上で主は「ユダと、エルサレムの全住民に……彼らについて語ったすべてのわざわいを下す」(35:17) と、警告していたさばきを宣告されます。
一方、主はエレミヤを通して「レカブ人の家の者に」、「あなたがたは、先祖ヨナダブの命令に聞き従い、そのすべての命令を守り、すべて彼が……命じたとおりに行った」(35:18) と賞賛します。そして「レカブの子、ヨナダブには、いつも、わたしの前に立つ人が絶えることはない」(35:19) とレカブ族の永続性を約束されました。
少なくとも、これから約150年余り後のエルサレム城壁の再建に関してのネヘミヤ記3章14節には「レカブの子マルキヤ」という指導者の名が登場します。レカブ人は、バビロン捕囚を潜り抜けたのです。
昔は多くの家に家訓のようなものがあり、それに疑問をはさむことは許されませんでした。それに対する反動なのか、現代は価値観が多様化し、善悪の基準も不明確になっています。
しかしどこかで「悪いものは悪い、お前がこの家の子である限り、これは守らなければならない……」という不動の軸も必要なのかもしれません。たとえば、神のみ教えの核心である「十のことば」は有無を言わさず暗誦し、心に刻むことも必要でしょう。
置かれた状況によって意見が変わる人など、信頼できないのではないでしょうか。
3.「王は書記の小刀でそれを裂いては、暖炉の火に投げ入れ……巻き物全部を焼き尽くした」
36章1節の「ユダの王、ヨシヤの子エホヤキムの第四年」とは、紀元前605年で、少年ダニエルが連行された第一次バビロン捕囚直前の時期だと思われます。
この年、バビロン軍がユーフラテス河畔のカルケミッシュでエジプト軍を打ち破り、カナンの地に攻め上って来ました。当時のエルサレムの指導者たちは、百年前のヒゼキヤ王の時代にエルサレムがアッシリア攻撃から奇跡的に守られたという不思議の再現を短絡的に夢見ていました。
しかし、ヒゼキヤやヨシヤの時代の主(ヤハウェ)の「救い」は、人々が「みことばを読んで、主 (ヤハウェ) に立ち返り、自分の行いを改める」ということから始まったという信仰の基本から始まっていました。
そのような中で主(ヤハウェ)はエレミヤに、「あなたは巻き物を取り……ヨシヤの時代から今日まで、わたしがイスラエルとユダとすべての国々について、あなたに語ったことばをみな、それに書き記せ」(36:2) と命じます。これはヨシヤの第13年からの23年間の啓示を文書化することでした (25:3参照)。
その目的を主は「ユダの家は、わたしが彼らに下そうと思っているすべてのわざわいを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。そうすれば、わたしも、彼らの咎と罪とを赦すことができる」(36:3) と言われました。ここには主(ヤハウェ)が彼らへのさばきを回避し、「彼らの咎と罪を赦す」ことを望む燃えるような思いが見られます。
それで、「ネリヤの子バルク」が、「エレミヤの口述に従って……主 (ヤハウェ) のことばを、ことごとく巻き物に書き記し」ました (36:4)。このときエレミヤは「閉じ込められていて、主の宮に行くことができない」(36:5) 状況下であったので、バルクに「主 (ヤハウェ) のことばを、断食の日に主 (ヤハウェ) の宮で民の耳に……町々から来るユダ全体の耳にもそれを読み聞かせよ」(36:6) と命じます。
そして、「エホヤキムの第五年、第九の月……エルサレムに来ているすべての民に、主 (ヤハウェ) の前での断食が布告され」ました (36:9)。これは紀元前604年の12月のことだと思われます。バビロン軍はこのとき地中海岸の町アシュケロンを滅ぼしていました。エルサレムの指導者は、主(ヤハウェ)の奇跡的な救いを求めて断食を布告していたのだと思われます。
そのような中でバルクは、主(ヤハウェ)の宮の門の入り口の部屋から、「すべての民に聞こえるように……エレミヤのことばを読」みます (36:10)。その後、彼はエルサレムに住む高級官僚たちの前でそれを語るように導かれます (36:14)。
それを聞いて「彼らはみな互いに恐れおののき」、これらのことばを王に告げる必要を確認します (36:16)。彼らは改めて巻物が記された経緯を聞いた後、バルクに「行って、あなたもエレミヤも身を隠しなさい……どこにいるか、だれにも知られないようにしなさい」(36:19) と言います。なぜなら、これらのことばは王の政策に反していたばかりか、王は反対者を容赦しないとわかっていたからです。
その後、王は、エレミヤ預言を聞くことになります。その間、「王は冬の家の座に着いて……彼の前には暖炉の火が燃えていた」のですが、「ユディが三、四段を読むごとに、王は書記の小刀でそれを裂いては、暖炉の火に投げ入れ、ついに、暖炉の火で巻き物全部を焼き尽くした」と描かれます (36:22、23)。
これによってエホヤキムは主のみことばを燃やした極悪人として歴史に名を残します。彼は自分の命がけの外交政策が真っ向から批判されたことに、怒り心頭に達したのでしょう。
一部の首長たちが「巻き物を焼かないように王に懇願しても、王は聞き入れなかった」(36:25) と描かれます。エレミヤのことばは、この少し前の偉大な王ヨシヤの政策とは基本的に矛盾していませんでしたが、王は王子と重臣たちに「書記バルクと預言者エレミヤを捕らえるよう命じた。しかし、主 (ヤハウェ) は二人を隠された」(36:26) とその後が描かれます。
36章29節によると、このときエホヤキムは「あなたはなぜ、バビロンの王は必ず来てこの国を滅ぼし、ここから人も家畜も絶えさせる、書いたのか」と、その内容を批判したとのことです。
それに対し主(ヤハウェ)は、「彼の屍は捨てられて、昼は暑さに、夜は寒さにさらされる」(36:30) と、彼の悲惨な死を予告します。ただこれはエレミヤの預言に既に記されていたことで (22:18–19)、王はそれに腹を立てたのかもしれません。警告を侮った者は、かえって警告どおりの悲惨を招くことになります。
同時に主(ヤハウェ)は、「エルサレムの住民とユダの人々に対して、わたしが告げたが彼らが聞かなかった、あのすべてのわざわいをもたらす」と言われます (36:31)。主(ヤハウェ)は彼らのすべての罪を赦したいと心から願って、最後の回心の機会を与えようと、エレミヤに巻物を記させました。
しかしそれさえも王に焼かれて、回心の機会が閉ざされたことに主ご自身が耐え難い悲しみを味わっておられるという心の痛みが、ここに示唆されます。
しかも、一般民衆はこの巻物を燃やしたエホヤキムの最悪の罪の巻き添えとして滅びることになります。彼らが最後に「主 (ヤハウェ) に立ち返る」ための契機としての書物さえ奪われたからです。しかし私たちにこの巻物が残されています。
36章32節には、書記バルクは、「エレミヤの口述により、ユダの王エホヤキムが火で焼いたあの書物のことばを残らず書き記した。さらに同じような多くのことばもそれに書き加えた」と記されますが、これが現在のエレミヤ書につながります。
神のことばは、この後、何度も迫害の火を潜り抜けて残されてゆきます。ただ、人々からみことばを奪うような者は、最悪の神の敵となってしまうことを忘れてはなりません。
4.「ゼデキヤ王は人を遣わして彼を召し寄せ、ひそかに尋ねた『主 (ヤハウェ) から、おことばがあったか』と」
37章1節の「ヨシヤの子ゼデキヤは、エホヤキムの子エコンヤに代わって王となった。バビロンの王ネブカドネツァルが彼をユダの国の王にしたのである」とは、紀元前597年のことです。
36章に記されたエホヤキムが死に、その子のエコンヤが18歳で王に即位しましたが、三ヵ月後にバビロンに捕囚とされ、彼の叔父のゼデキヤがネブカドネツァルの傀儡政権の王として立てられます。
ところが、その後も「彼も、その家来たちも、民衆も、預言者エレミヤによって語られた主 (ヤハウェ) のことばに聞き従わなかった」(37:2) という状態が続きます。そのような中でエジプトの勢力回復の兆しが見えます。これは34章の記事と同じときです。
ゼデキヤ王は使者を預言者エレミヤのもとに遣わし、「どうか、私たちのために、私たちの神、主 (ヤハウェ) に、祈ってください」(37:3) と願います。
それは、「ファラオの軍勢がエジプトから出て来たので、エルサレムを包囲中のカルデア人は、そのうわさを聞いて、エルサレムから引き上げたときであった」(37:5) と描かれるように、バビロンの支配から脱する絶好の機会と思えたからです。
ところが主は、「見よ。あなたがたを助けに出て来たファラオの軍勢は……エジプトへ帰り、カルデア人が引き返して来て、この町を攻め取り、これを火で焼く」(37:7、8) と言います。
さらに主は、彼らの幻想を打ち砕くために、「あなたがたは、カルデア人は必ず私たちのところから去る、と言って、自らを欺くな。彼らが去ることはないからだ」(37:9) と言われたばかりか、「たとえ、あなたがたが……カルデアの全軍勢を討ち……重傷を負った兵士たちだけが残ったとしても、彼らは……この町を火で焼くようになる」(36:10) と、エルサレムの滅亡は避けがたいと言われます。
ゼデキヤはエホヤキムとは違った柔軟性と用心深さがあり、主のみことばに心を開こうという姿勢がありました。現代的には、ふだん聖書をあまり開かなくても、人生の危機や大きな岐路に立たされたとき、急に、「主のみこころを知りたい」と言うようになることに似ています。
あわれみ深い主は、「困ったときの神頼み」のような姿勢にも優しくお答えくださることでしょう。しかし、そこで聞かれるのは「それは昔、聞きました。何か明るい目新しい教えはないのですか……」と応答したくなるような啓示の可能性が高いと言えましょう。
37章11、12節に、「カルデアの軍勢がファラオの軍勢のゆえにエルサレムから引き上げたとき、エレミヤは、エルサレムから出て行き、ベニヤミンの地に行った。民の間で割り当ての地を決めるためであった」と記されますが、これは32章6–9節の「アナトテにある畑」の購入の後の必然的な働きかと思われます。
ただ、この行動が、エレミヤが「カルデア人のところへ落ちのびる」ことと誤解され、「首長たちはエレミヤに向かって激しく怒り、彼を打ちたたき、書記ヨナタンの家にある牢屋に入れ」、「エレミヤは丸天井の地下牢に入れられ、長い間そこに」いるということになってしまいます (37:14–16)。
そのような中で、不思議に、「ゼデキヤ王は人を遣わして彼を召し寄せ」、「主 (ヤハウェ) から、おことばがあったか」と尋ねます (37:17)。それはゼデキヤが不安のあまり、主から今までとは別のみこころが示されることを期待したためだと思われます。ただこれは正月に神社に行って、大吉が出るまでおみくじを引きたくなる心理と似ています。
それに対しエレミヤは、「あなたはバビロンの王の手に渡されます」(37:17) と、それまでと同じことを宣言します。ゼデキヤは、神に意図的に反抗しようとする人間ではありません。しかし、彼は、主のみこころを求めると言いながら、自分にとって都合の良いことを聞きたいだけなのです。
私たちの中にも同じような心理がないでしょうか。そしてエレミヤはゼデキヤ王に、「私にどんな罪があったというので、私を獄屋に入れたのですか。あなたがたに対して『バビロンの王は……この地を攻めに来ない』と言って預言していた……預言者たちは、どこにいますか」(37:18、19) と問いかけます。
このときまで、二度にわたってエルサレムはバビロン軍に包囲され、王侯貴族は捕囚とされ、神殿の宝物も略奪されていたからです。この時点で、勇ましいことを預言していた偽預言者の多くは、主のさばきを受けて死んでいました。私たちの周りに、耳障りの良い楽観的なことを断言する人がいたとしても、その末路を冷静に見る必要がありましょう。
その上でエレミヤは、自分を丸天井の地下牢から解放することを願います。王は、彼の願いを一部聞き入れ、「エレミヤを監視の庭に入れさせ、都からすべてのパンが絶えるまで……毎日パン一つを彼に与えさせた」という配慮を見せます (37:20)。
そして32章の記事はこの直後かと思われます。ゼデキヤは自分の意図に反することを告げられても、エホヤキムのように預言者を殺しはしませんでした。これは一時的に信仰から離れる決心をしながらも、聖書だけは大切に保管しようとする心理に似ていることでしょう。
エホヤキムとゼデキヤの態度は、対照的に見えますが、どちらも真心から主を恐れてはいませんでした。そして両者とも、主(ヤハウェ)のことばを軽蔑した罪で自滅します。
それにしても、ゼデキヤのように一見、優しく柔軟な人のようでありながら、今までの行動の変化を促すような回心の招きには心を閉ざすという人は意外に多いのではないでしょうか。それは「信じたい。でも、信じるのが怖い」という思いとも言えましょう。
人は残念ながら、とことん行き詰まるまで自分の行動を変えたくないものです。だからこそ根本的な問題の解決に関しては決断をすることをせずに、すべてを先送りにします。ただし、それでも、聖書を読み、信仰者の証しを聞きながら「信じたい」という思いが強くなってくることがあるかもしれません。
そのとき私たちは、「信じます。不信仰な私をお助けください」(マルコ9:24) と祈ることができるなら、そこから新たな展開が生まれます。
私たちの心はゼデキヤのように揺れますが、どこかで決断しなければなりません。そのとき、自分の恐れや不信仰を否定するのではなく、その弱い心を支え導かれるようにと祈るべきです。主は、あなたの心を作り変えるために、聖霊を遣わしてくださるからです。