ウクライナの船越先生からの久しぶりのメールですが、現地の切羽詰まった気持ちが伝わってきます。
政治的にはいろんな見解があり得ますが、一つはっきりしているのは、船越宣教師のご家族は、敢えて、矛盾のただ中に身を置き続けているということです。
現地で苦しんでおられる方とともにいること自体が、そこに神の民を生み出し、草の根ベースで世界を変える一粒の麦となっています。
いつもウクライナのために、また私たちのためにお祈りくださっていることに心から感謝しています。(しばらく連絡が途絶え、ご心配をおかけしたことをお赦しください。)この2週間で私たちの教会からも二名の男性たちが軍事訓練に行くことになりました。
また、ウクライナの戦況に関しても明るいニュースは少なく、また、来月のアメリカ大統領選挙を前にトランプ氏の発言がウクライナを揶揄したり批判したりする内容が増えており、さらには、北朝鮮からロシアに応援の派兵が行われているというニュースが流れたりしています。
また、私たちの教会内でもさすがにみんなの心の状態がかなり疲弊していることを感じさせる状況もあり、気が滅入ってしまいそうになる状態が続いていました。
しかし、ただ主の恵みに支えられて、福音と希望の種をまき続けたいと願っています。みなさまの尊いお祈りと支えに心より感謝しています。
私(真人)は木曜日から3日間の予定でクルスク方面での作戦に参加している兵士たちが駐屯しているスームィにチャプレン仲間とともに兵士たちを訪問しに行きます。安全が守られ、この訪問が祝福され、用いられるようにどうかお祈りください。
みなさまの尊いお祈りと支えに本当に心から感謝しています。みなさまの上に主の祝福が豊かにありますように、祈っています。
以下は先日のローマ人への手紙のメッセージの一部です
ローマ8章35-37節は、「だれが、私たちをキリストの愛から引き離すことになるというのですか。患難(苦難)ですか、苦境(行き詰まり、苦悩)ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。それはこう書かれているとおりです。
『あなたのゆえに私たちは一日中、死に渡されています。まるで屠られる羊と見なされています。』
しかし、これらすべてにおいても、私たちは圧倒的な勝利者です(勝利者を超えた者となっています)、私たちを愛してくださった方をとおしてのことです」と訳すことができます。
私たちは「苦難から救い出される」ことを求めがちですが、それよりも大切なのは、「苦難の結果から救い出される」ことです。
それは、サタンが苦しみをとおして、「神に従っても、何の良いこともない……」と語りかけ、私たちをイエスの愛から引き離そうとするからです。
そこで私たちを引き離す材料が七つ描かれます。最初の「患難」と「苦境」は似ていますが、前者は肉体的な苦しみ、後者は精神的な絶望感のようなものと言えましょう。
どちらにしても、これらは神に従うという誠実さの結果として、殉教の死を遂げるような苦しみを指しています。
パウロ自身、死ぬ一歩手前の「四十に一つ足りないむちを受けたことが五度」もあり、「一昼夜、海上を漂ったことも」「労し苦しみ、たびたび眠られず過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さの中で裸でいたこともありました」と自分の苦難を描いています(Ⅱコリント11:24–27)。
詩篇44篇22,23節では、そのように神に誠実を尽くすことによる苦難が、神に向かって、「あなたのために、一日中(休みなく)、私たちは殺され、屠られる羊のように見なされています」と表現しながら、その直後に、「起きてください。なぜ眠っておられるのですか、主よ。 目を覚ましてください。いつまでも拒まないでください」という訴えに変えられます。
パウロは、この詩篇のことばを引用しながら、自分が神に向かって「起きてください……目を覚ましてください」と、泣きながら祈っていたことを示唆しています。
しかしそのような苦難の中で、パウロは自分がキリストの苦しみにあずかっていることを自覚し、そこで復活の主にある勝利を体験し、「これらすべてにおいても、私たちは圧倒的な勝利者です(勝利者を超えた者となっている)」と告白したのです。
それは、「キリストとともに苦しむことで、キリストとともに栄光を受ける」という霊的な事実を心の底から体験していたからです。
これは決して強がりではありません。それは、「起きてください。なぜ眠っておられるのですか、主よ。目を覚ましてください。いつまでも拒まないでください」という正直な、神に苦難を訴えた結果として、神ご自身から与えられた勝利の感覚だからです。