星野富弘さんの召天〜詩篇109篇21、22節

 昨日、「花の詩画集」で有名な星野富弘さんが天に召されたとのお知らせが届いておりましたが、何と、テレビ朝日の報道ステーションでもそのことが報道されたことには驚きました。まさに未信者の方々にとっても大きな存在であったのかと改めて感心をしました。

 しかも、その報道で映った詩画の一つが、僕が何度も引用させていただいているものでした。

わたしは傷を持っている
でも その 傷のところから
あなたのやさしさが しみてくる
1976年 れんぎょう

 この詩画は彼が1970年に体操の指導中に手足の自由を失いその後、信仰に導かれ、1972年から口にくわえた筆で詩と花の絵を描き始めて間もなくの作品です。

 これを見るときに僕は以下の詩篇109篇21、22節を思い起こします(私訳)

御名にしたがって私を優しく取り扱ってください。
……なぜなら、私は苦しみ、また乏しく
この心は、内側で、傷ついているからです。

 私たちは自分が深く傷つく体験を通して、私たちのために傷を負ってくださったイエス様の優しさが迫ってきます。

 彼が、お母様の愛に満ちた介護を受けて、希望を見出すことができた時の詩が菊の花とともに以下のように描かれています。

母の手は 菊の花に 似ている
固く握りしめ それでいて やわらかな
母の手は 菊の花に 似ている
1977年 きく

 富弘さんのお母様はいつも農作業に忙しくしておられました。そのごつごつとした手にあるぬくもりが迫ってきます。
 ちなみに 今年97歳になった僕の母の名前は「キク」です。また母の日の直後に北海道に会いに行こうと昨日、飛行機を予約しました。

 富弘さんが、その後もすばらしい働きを続けられたのは、彼の感性と優しさに惹かれて妻になられた方がいたからに他なりません。

 富弘さんが、同時、その奥様の優しさを描いた詩が何とも感動的です。

結婚ゆび輪はいらないといった
朝 顔を洗うとき
私の顔を
きずつけないように 
体を持ち上げるとき
私が痛くないように
結婚ゆび輪は
いらないといった

今レースの
カーテンをつきぬけてくる
朝日の中で
私の許にきたあなたが
洗面器から冷たい水をすくっている
その十本の指先から
金よりも銀よりも 美しい雫が落ちている
1981年 がくあじさい

 富弘さんとは僕は個人的な交わりがありませんが、ごくごく近しくしておられる方々が、私たちの教会の仲間であることは感謝なことです。

 とってもとっても寂しいですが、彼の詩画集は永遠に残ることを喜びたいと思います。