昨日1968年に流行ったフォーククルセダーズの「何のために」という曲を紹介しました。その作詞者の北山修はその後、日本の精神医学会をリードするような存在へと成長しますから、その詩の意味の深さも格別だったのかと思います。
実は、この曲は、1966年にリリースされたビートルズの名曲エリナー・リグビーに刺激を受けて書かれたものだと言われています。
以下で、日本語の翻訳付きの歌詞でお聞きいただけます
実は、この曲も、それを聞いて以来、僕の頭をぐるぐる回っている曲です。今朝も、自転車で教会に向かいながら、この歌詞を思い巡らしていました
マッケンジー神父は、だれも聞こうともしない説教を書いていた……
結局、誰も救われなかったんだ……
昔から、説教の準備に行き詰まるたびに、この歌詞が思い浮かんできました。説教の準備には、そのように見られる現実があることを受け止めながら……
明日のエレミヤ書1章7–9節には次のような神のことばが記されています
わたしがあなたを遣わす すべてのところへ行き、
わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ。
彼らの顔を恐れるな。
わたしがあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。
……見よ、わたしは、わたしのことばを
あなたの口に与えた。
預言者イザヤも、預言者エレミヤも、誰も聞こうともしない神のことばを語るように命じられ、当時のほとんどの人々から無視され、迫害され、最後には人間的な意味での悲惨な最後を迎えました。
ですから、誰も聞こうとしない説教を語るというのは、神に召された者の使命なのかとも思います。
もちろん、それでも僕は、より多くの人に聞いてもらえるような工夫は頑張ってしてはいます。
それ以上に、当教会に集う、ほとんどの方々は、真剣にみことばの解き明かしに耳を傾けてくださいますから、マッケンジー神父のような孤独を味わうことなく済んでいます。本当に感謝です。
ただ、ビートルズのエリナー・リグビーの何よりのテーマは、「孤独」な人々です。この曲はポールが書いた言われますが、ジョン・レノンによると八割がたの歌詞はジョンが書いたとのことです。
ジョンの孤独感と皮肉がとってもうまく現れているような気がしますね。
今日の午後2時から当教会で中高生を中心としたユースの交わり会が開かれます。ナタナエル神学生が引き続き、会を楽しくリードしてくれることでしょう。誰もエリナー・リグビーのような孤独を味わうことがないように……
ところで先週金曜日に紹介しましたビクトール・フランクルの話し、前回見逃し方かも今日の午後1時からご覧いただくことができます。
出演:勝田茅生(南ドイツフランクル研究所公認ロゴセラピスト)、小野正嗣(作家・早稲田大学文学学術院教授)
▼ 放送予定 ※ 暫定情報ですので、変更となる可能性があります。
第1回:「日曜生まれの子」その光と影
4/21(日)5:00~ ※ 再:4/27(土)13:00~ <Eテレ・60分>
第2回:苦悩を生き抜く
5/19(日)5:00~ ※ 再:5/25(土)13:00~
6回シリーズです
人生は、その瞬間瞬間の神からの問いかけに応答して生きるものであり、そこに人生の意味が生まれるというものです。
ですから、僕も、説教がどれだけ聞かれたかよりも、どのように神の召しに忠実に語ったかをいつも考えて行きたいと思っています。
引き続きお祈りいただければ幸いです。