ローマ人への手紙4章13〜25節「創造主との対話に生きる幸い」

2024年4月14日

人はときに、立派な信仰を、「何の疑いもなく、信じ通す」ことと誤解します。そして、今日の箇所でも、アブラハムの「信仰は弱まりませんでした。不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく」ということばを、そのように、アブラハムは目の前の不安な状況に動じることもなく、神への信頼の姿勢を貫いたと誤解されがちです。

しかし、創世記のアブラハムの歩みを見ると、決してそのようには見えません。アブラハムは何度も、目の前の不安に動かされて愚かな失敗をしています。それは神の約束を信じ切っていたら、生まれないような過ちでした。それは多くの神への賛美の歌を記したダビデの場合も同じです。

前回学んだ4章5節に、「不敬虔な者を義とされる方を信じる人には、その人の信仰が義と認められ(みなされ)ます」と記されていました。私自身、自分の信仰の弱さに悩み続けてきましたが、このみことばの意味を理解したとき、「もう自分の不信仰を嘆くことはやめよう」と思いました。

神が私をユニークに創造してくださった中に、不信仰に流れやすい自分の気質も含まれます。神は、信じることができない私に、信仰を生み出し、その信仰を義と認めてくださるということが分かったからです。

信仰は、神の創造のみわざを思い起こし、また、聖書に記された神とイスラエルの関係の歴史を見ることから、結果的に生み出されるものです。

その核心とは、神との対話に生きることです。その中に、自分の疑問や不安な気持ちを主にそのまま打ち明けるというプロセスがあります。不信仰とは、神に対して心を閉ざすことに他なりません。

1.「恵みにしたがって約束が確かなものとされる(保証される)」

4章11、12節は、「彼は割礼というしるしを受けました。それは信仰によって義とされたことの証印であり、それは無割礼(割礼を受けていない)のときのものでした。 それは彼がすべての無割礼の者の父となるためであり、それによって彼らも義とみなされるためです。

またそれは彼が割礼の父となるためでもあります。それは割礼を受けている者ばかりか、私たちの父アブラハムが無割礼であった(割礼を受けていない)ときの信仰の足跡に従って歩む者たちのためでもあります」と記されていました。

4章13、14節は、「なぜなら、約束は律法を通してではなかったからです、アブラハムあるいはその子孫が世界の相続人となるということですが。それは信仰の義を通してのことでした。

それは、もし律法による者たちが相続人であるなら、信仰は空しくなり、約束は無効になってしまうからです」と記されています。

この背後にはまず創世記15章があります。先に4章3節で創世記15章6節が引用されながら、「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」と記されていましたが、それに続いて創世記15章18節では、「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。エジプトの川から、あの大河ユーフラテスまで」と、カナンの地の占領が約束されていました。それがダビデ、ソロモンの時代にその約束が成就されました。

ただ、創世記17章では「割礼」が命じられる際に、アブラムに対して、「あなたの名はアブラハムとなる。わたしがあなたを多くの国民(くにたみ)の父とするからである。わたしは、あなたをますます子孫に富ませ、あなたをいくつもの国民とする。王たちが、あなたから出て来るだろう」(5、6節) と記されていました。

そこではアブラハムの子孫から多くの「王たち」を生まれさせ、世界を治めさせると約束されていました。それをもとにローマ人への手紙では、アブラハムの子孫が「世界の相続人となる」という「約束」として描かれ、その約束はモーセに律法が与えられるはるか前の時代であったことが記されます。

「割礼」が命じられたのは、このアブラハムに対する「約束」をその子孫に繰り返し思い起こさせるためであったと言えます。さらに、モーセの時代に律法が与えられたのは、「約束の地」を神の教えによって治めさせるために他なりませんでした。

つまり、アブラハムに対する神の約束を信じるということが、すべての出発点であり、その約束への「信頼または「信仰」がアブラハムの子孫となるための条件だったのです。

そこでの「律法」とは、アブラハムの子孫とされた者たちに神の民とされた恵みを表す生き方を命じるものでした。もし「律法を守る」ことによって「相続人」とされるとしたら、それはその人が自分の行いで獲得した権利ということになり、そこに神への信頼も、神の約束も「不要(無意味)」になってしまいます。

さらに4章15節では、「なぜなら、律法は御怒りを生み出すものだからです。律法のないところには違反もありません」と記されます。

それは、律法は神の求める生き方を指し示すものであるからこそ、それを無視する者への神の怒りを生み出します。律法という基準がなければ「違反」という概念も生まれません。

16、17節ではその結論として、「そのようなわけで、それは信仰によるのです。それは恵みにしたがって約束が確かなものとされる(保証される)のです、すべての子孫に対して、それは、律法による者ばかりか、アブラハムの信仰による者に対してもです、彼は私たちすべての者の父なのです。それは、『わたしはあなたを多くの国民の父とした』と記されているとおりです」と記されています。

これは単純に、アブラハムよりは約500年も後のモーセの律法を守る者がアブラハムの子孫となるという考えの矛盾を正すもので、彼の信仰に倣うことで、ユダヤ人ばかりかすべての民が、信仰によってアブラハムの子孫とされることを示しています。

しかも信仰」とは、私たちが誇ることができるものではなく、神の恵みへの応答に他なりません。すべてはアブラハムに対する神の一方的な約束に基づいているからです。その約束とは、先の創世記17章5節に記されていたことで、神が一方的にアブラハムを多くの国民の父としたからです。

17節の後半では、「このことは、彼が信じた神の御前で起こりました。その神は、死者を生かし、無いものをあるものとして召される方です」と記されています。アブラハムが信じた神は、何もないところから、ことば一つで世界を創造された方です。

そして、それは神が、死者を生かすように、信仰を失った者に信仰を与え、また、契約の外にいるないもの」としての異邦人を神の民として召すということに現されています。

なお、ここにはアブラハム自身の中に信仰を生み出してくださったのが神であることをも含んでいます。アブラハムは、自分の中に信仰を生み出してくださる神を信じたのです。

それは4章5節で「働きがない人であっても、不敬虔な者を義とされる方を信じる人には、その人の信仰が義と認められ(みなされ)ます」と記されていたことを思い起こさせます。私たちは信仰の創造者に信頼することで救われるのです。

2.「彼は望みに反して望みに基づいて信じました」

4章18、19節は、「彼は望みに反して望みに基づいて(NRS訳 Hoping against hope、新改訳「望み得ない時に望みを抱いて)、信じました。それによって彼は多くの国民(くにたみ)の父となりました、それは『あなたの子孫は、このようになる』と言われたことにしたがってのことでした。

彼は信仰が弱められずに、事実を認めました。それは自分のからだがすでに死んだも同然であることー何しろおよそ百歳でしたからーまた、サラの胎が死んでいることでした」と記されています。

最初のことばは Hoping against hope(望みに逆らって望む)という英語訳が原文の意味を端的に現わしているように思えます。彼は目の前の現実が絶望的に見える中で、神の約束に信頼したのですが、「信仰は弱まりませんでした」という結論的な訳し方は誤解を生むかもしれません。

これは「信仰が弱められずに」という分詞であって、この文章の主動詞は「認めました」だからです。NIVの英語訳では、Without weakening in his faith、 he faced the fact that(彼の信仰において弱くなることなく、彼は……のような事実に直面した)と訳されるように原文での中心動詞は、「直面した(認めた)」という点にあります。

つまり、人間の常識としては自分に後継ぎが与えられることはもう無理なはずという現実を正直に認めながら、人間的な「望みに反して」、創造主にある「望みに基づいて」「信じました」ということがアブラハムの信仰として評価されているのです。

しかし、彼の歩みは明らかに「信仰が弱くなった」と見えるプロセスがあったのですが、大枠において、神への望み」を持ち続けていたということです。

創世記21章5節には、「アブラハムはその子イサクが彼に生まれたとき、百歳であった」と記されています。アブラハムが神の祝福の約束を信じてカナンに向かったとき、彼は既に75歳になっていました。

アブラハムが飢饉を避けてエジプトに下り、さらに豊かになってカナンの地に戻ったとき、神は彼に「わたしは、あなたの子孫をちりのように増やす」(13:16) と約束されましたが、彼に子は与えられませんでした。

そのような中で彼が「私の家のしもべが私の跡取りになるでしょう」と不満を述べたとき、神は彼を外に連れ出して星を見させ、「あなたの子孫はこのようになる」と約束されました (創世記15:3、5)。

そこで、「アブラムは主 (ヤハウェ) を信じた。それで、それが彼の義と認められた」と記されています (同15:6)。つまり、義と認められる信仰とは、神への不満をまっすぐに述べるところから生まれたのです。

ただ、それでもアブラハムは愚かにも、妻サラの助言を聞いて、彼女の女奴隷ハガルを通してイシュマエルを生みます。そのとき彼は86歳になっていました。神はこのアブラハムの行動を喜んではおられなかったと思われ、13年間の神の沈黙が描かれます。

そして、彼が99歳になったときに改めて、神が再び現れ「わたしは全能の神である」と言って、彼の正式な後継ぎの誕生を告げます。しかし、このとき彼はそれを素直に感謝する代わりに、「アブラハムはひれ伏して、笑った。そして、心の中で言った。『百歳の者に子が生まれるだろうか。サラにしても、九十歳の女が子を産めるだろうか』」(同17:17) と記されています。

しかも、創世記20章1、2節では、アブラハムは自分の妻サラのことをゲラルの王アビメレクに、「これは私の妹です」と偽ったことで、この王が「サラを召しいれた」と記されています。神が夢の中でこの王に現れてくださらなければ、アブラハムは自分の偽りで、妻ばかりか後継ぎの可能性を閉じてしまっていたのです。

どう考えても、「信仰は弱まりませんでした」という解釈とは矛盾するアブラハムの歩みが創世記には赤裸々に描かれています。

しかし、このアブラハムの失敗や神に自分の気持ちを素直に述べる姿は、1章21–23節に描かれた神の怒りを受けたこの世の不信仰な生き方とはまったく違います。

そこでは、「彼らは神を知っていながら、その方に神としての栄光を帰しませんでした、また感謝もしませんでした。かえってその思いはむなしくなりました。また、その鈍い心は暗くなりました。彼らは、自分たちは知者であると主張しながら愚かになりました。そして、朽ちない神の栄光を替えてしまいました、朽ちるものに似たかたちとへと、人間や、鳥、獣、這うもののような」(1:21–23) と描かれていました。

確かにアブラハムは感情に流されて愚かな行動を取ってしまうことがあったとしても、決して、神に背を向けてはいません。また自分の知恵を誇って、自分の願望を神にするようなこともありませんでした。彼は神との対話の中に生きていたのです。

そして、「彼は信仰が弱められずに、事実を認めました」という姿は、アブラハムもサラも、自分たちの身体が、子を生めるような状態ではないことを認めながらも、全能の神に信頼して、夫婦の関係を結んだということに現されています。

それは、死者を生かし、無いものをあるものとして召される創造主への信頼と言えます。

私たちの人間関係においても同じではないでしょうか。目の前に人に不満や意見を述べることができるのは、その人への信頼や期待があることのしるしとも言えます。関係が切れるのは、目の前の人に自分の方から勝手に失望して、心を閉ざし、その人に背を向けてしまうことです。

同じように、アブラハムのすばらしさは、率直に神に自分の気持ちを訴え、失敗しても神の約束に立ち返り続けたことに現されています。それは、基本的にアブラハムが、神は何もないところから世界を創造し、死んだ人さえ生かすことができる全能の創造主であることを認めていたことに基づきます。

実際に、彼は神に立ち返り続けました。

3.「私たちも(義と)認められる……イエスを死者の中からよみがえらせたと信じることにおいて」

4章20、21節は、「神の約束に向かって、彼は不信仰に揺れ動くことはありませんでした。かえって信仰が強められました。それは、神に栄光を帰しながら、また、神には約束したことを実行する力があるという確信させられながらのことです」と訳すことができます。

ここでは「神の約束」に対してのアブラハムの姿勢がまず描かれています。彼は最初から、「そんなのは不可能です」と言って、神の約束に背を向けるようなことはしませんでした。そして、この中心動詞は「信仰が強められました」という受動態にあります。

彼は率直に、自分の後継ぎは自分の奴隷になるのですか、また、後継ぎをイシュマエルにしてくださるようにと自分の気持ちを表現しながら、同時に「神には約束されたことを実行する力がある」と「確信させられた」のです。

私たちも神に率直に気持ちを訴えることで、神の約束を信じられるように変えられます。

それはたとえば、詩篇22篇の冒頭で、「わが神 わが神 どうして私をお見捨てになったのですか。私を救わず、遠く離れておられるのですか。私のうめきのことばにも関わらず。わが神 昼に私はあなたを呼びます。しかし、あなたは答えてくださいませんと祈られていますが、その21節後半では、「あなたは 私に答えてくださいました」という告白に導かれています。

さらにその後、「主は 貧しい人の苦しみを蔑まず いとわず 御顔を彼から隠すことなく 助けを叫び求めたとき 聞いてくださった」(24節) という最初と真逆の感謝のことばへと変えられることと同じです。

神への正直な訴えが、信仰の確信を生み出す契機とされているのです。その他の多くの詩篇においてもこの基本的な流れは変わりません。

さらに、4章22-24節では、「だからこそ、『彼には、それが義と認められたのです』 しかし、そのように書かれたのは彼のためだけではなく、『彼には、それが義と認められた』ということばは、私たちのためでもあります。すなわち、私たちも(義と)認められるのです、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせたと信じることにおいてです」と記されています。

アブラハムは、長い間、自分の子が与えられない中で、あなたの子孫は無数の星のように増えるという約束を信じることで、その信仰が「義と認められた」のですが、私たちも同じように、神が主イエスを死者の中からよみがえらせたと信じることで、その信仰が神の前に「義と認められる」ことになるのです。

つまり、私たちもアブラハムの信仰に倣うことによって義と認められるのですが、その信仰とは、神が不可能を可能に、死人をよみがえらせることができると信じることによるのです。私たちはアブラハムと同じように、神との対話に生きることで義と認められるのです。

25節では、先の「私たちの主イエス」という言葉を受けて、「この方は私たちの背きの罪のゆえに死に渡されました。そして、私たちが義とされるために(私たちを義としたゆえに)、よみがえらされました」と説明されます。

厳密な並行関係では「私たちを義とした結果として」と理解できますが、「義とする目的を果たす結果として」と考えても良いのかと思われます。

先に、私たちは、神がイエスを死者の中からよみがえらせたことを信じることで、その信仰が義と認められると記されましたが、少なくともイエスの弟子たちは、イエスの復活の預言を最初から信じられなかったばかりか、イエスがご自身の復活の姿を女たち現わしても、彼女たちの証言も信じることができませんでした。

ペテロも復活のイエスに出会って初めて、神がイエスを復活させたという事実を信じられました。パウロも、クリスチャンを迫害している旅行のただ中で、復活のイエスが彼に現れ、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」(使徒9:4) という声を聞き、肉の眼が閉ざされることによって初めて、自分に復活のイエスが現れてくださったことを信じられるようになりました。

つまり、イエスが復活しなければ、私たちを義とする信仰は生まれなかったのです。ですから、イエスは私たちの罪の結果として死に渡されたのですが、同時に、私たちを義とした結果というよりも私たちを義とする目的を果たそうとする結果として復活されたと理解できます。主の復活が信仰を生み出すのです。

この背後には、イザヤ53章10、11節の預言の成就があります。そこでは、「彼を砕き、病とする(弱くする)ことは、 (ヤハウェ) のみこころであった。もし、彼がそのいのちを代償のささげ物(罪過のためのいけにえ)とするなら、末長く、子孫を見ることになる。主 (ヤハウェ) のみこころは彼によって成し遂げられる。そのいのちの苦しみから、彼は見て、満足するわたしの義(ただ)しいしもべは、その知識によって多くの人を義とする。彼らの咎を彼自身が担う」と記されていました。

この「主 (ヤハウェ) のしもべ」が「いのちの苦しみ」から、「彼は見て、満足する」と描かれることは、イエスの復活がなければ起きないことでした。そして、彼が「その知識によって多くの人を義とする」とは、神がご自分を死者の中からよみがえらせることができるという「知識」をもって、自分のいのちを「代償のささげもの」とできて初めて実現できたことでした。

つまり、イエスはイザヤの預言を自ら生きて、死に、復活することで私たちを義としてくださったのです。ここでも、私たちを義とする信仰は、神ご自身が私たちのために生み出してくださったということが明らかにされます。

「アブラハムは、私たちすべての者の父です」(4:16) ということばは、ユダヤ教にも、イスラム教にも適用できる教えです。しかし、アブラハムの最終的な信仰は、模範的に見えても、それに至る彼の歩みは決してそのような立派なものではありません。

しかも、イエスの福音を知らせたペテロを始めとする弟子たちの信仰は、あまりにも模範から遠いもので、彼らを聖人と呼ぶカトリック信者の気持ちが分からなくなるほどです。

神は信仰のない者に信仰を生み出し、その信仰を義と認めてくださる方です。天地創造から、死者の復活にいたるまで、不可能を可能にする神のみわざが記されていますが、その神がアブラハムの信仰を導いたのです。

アブラハムにしてもダビデにしても、その歩みの核心には、常に神との対話の中で一歩一歩を踏み出すという姿勢がみられます。そこには不安や疑いを告白することも含まれているのです。