恐れを祈りに——平和を作る者は幸いです。

イスラエルとガザ地区での戦闘に心を痛めます。またロシアのウクライナに対する激しい攻撃に心が痛みます。

友人から感動的なスピーチを紹介されました。パレスチナ系イスラエル人による和解の です。たった18分間です。
簡単な英語で、字幕もついていますので、分かりやすいかと思います。

 話されていることの中心は、人と人とを和解させ、平和を作ろうとする者は、孤立し、命の危険にさらされるということです。
 実際、中東の和平のために努力した政治指導者は次々と殺されています。暗殺された七人の中東の政治指導者のうち六人が和平協議のために命をかけた人です。
 なぜなら、争いが起こっているただ中では、常に、「復讐」を叫ぶ者が主導権を取るからです。残念ながら、短期的には「憎しみ」こそが、人々を団結させる力になるようです。

 戦いが激しくなるほど、戦いを叫ぶ過激な指導者の方が支持を集めます。反対に、民族の和解、憎しみの中に和解をもたらそうとする者は、両方の勢力から嫌われ、時には、利敵主義者として命の危険にさらされます。

 この運動を展開している Nuseir Yassin さんもパレスチナ人とユダヤ人の双方から攻撃を受けているとのことです。それは特に昨年の10月7日から激しくなっているようです。
 彼は恐怖を感じながら、この運動を展開していると語っています。

僕はクリスチャン新聞福音版3月号に以下のようなことばを書きました

ある有名な神学者は、「勇気とは祈りの中で表現された恐れである(英文:Courage is fear that has said its prayers)」という名言を残しています。
 信仰の核心とは、心の中に沸き起こった不安を、全宇宙の創造主に向かって打ち明けることができることです。
 自分の中の揺れやすい心を恥じる代わりに、それを神に祈るきっかけとすることから真の勇気が生まれます。

 
 最後に彼は、広島と長崎を訪問したときの感動を語っています。あの破壊的な原爆を落としたアメリカに対しての憎しみが、両方の町で一切感じられなかったこと、その原爆資料館が、平和記念館と呼ばれていることに感動したと語っています。
 日本人が原爆を落とされたアメリカを憎もうとしないことは、パレスチナ人にとってはそれほど驚きなんだと逆に感心しました。

 なお、これは政治や宗教を超えた、草の根の人と人との和解を導く運動かと思います。しかも、良く調べると、この Nuseir Yassin さんは自分をイスラム教徒だと自称しているようです。しかもこの運動をユダヤ人とともに展開しています。改めて、すべての人が「神のかたち」に創造されていることの意味を考えさせられます。 で10月7日の感想がユダヤ人とともに語られています。そこでは当然ながら、ハマスのような過激派が力を持っていることの問題が指摘されています。

イエス様は「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです」(マタイ5章9節) と言われました。

これはイエスの時代にもとっても危険を伴う主張でした。この時代のユダヤ人たちはまさに現代のパレスチナ人と同じようにテロ活動によってローマ軍を刺激していました。
 それに対してイエスは、「右の頬を打つ者には左の頬をも向けなさい」(5:39) と言って、復讐の代わりに和解を訴えました。

政治的には、イエスも平和を説くことによって、ローマ帝国と結びつくユダヤ人権力者と、ローマ軍を憎む民衆の両方から憎しみを受け、「十字架にかけろ」と罵られることになりました。その声がローマ総督ピラトを動かし、イエスが十字架刑の判決を受けることになりました。