映画「カムイのうた」——アイヌ叙事詩ユカラ——ヘブル語詩篇のリズム

 友人の強い勧めで映画「」を見てきました。
 近隣の映画館での上映はすぐに終わってしまったので遠く横浜まで二人で行ってきました。映画の後で横浜中華街に立ち寄ってランチをいただきました。

 これは というアイヌ叙事詩ユカラを日本語の音声に書きとめその翻訳をして19歳で天に召された少女の物語です。
 映画では描かれていませんでしたが、彼女はクリスチャンでした。それでいながら、アイヌの神々の歌(カムイのうた)の魅力を後世に残すことに画期的な足跡を残した方です。
それは国語学者 氏との出会いから始まります。

 金田一氏は、アイヌのユカラという叙事詩の美しさと画期性に目を留めた最初の学者です。
 文字を持たない民族の中で、どのように民族の知恵が蓄積され、伝えられるかに関して、アイヌのユカラという叙事詩音楽の画期性に目を留めました。

 知里幸恵さんは、彼との出会いを通して、アイヌの文化やユカラに誇りを持つことができるようになります。
 彼女は最初、自分がアイヌであることを恥じていました。しかし、ユカラの文字起こしと日本語訳を作りながら、「私はアイヌであることを誇りと思います」と堂々と述べるようになります。
 
 ただ、自分の出生を恥じることが誇りに代わるというのは、多くの信仰者に共通するテーマであるような気がします。そこから僕の「恥から見る福音」というテーマが生まれているとも言えます。
 僕は大雪山の麓の貧しい村で生まれたことを幼少期には恥じていました。しかし、今やわが村 東川町 は文化の発信地になっています。この映画も東川町の全面的な協力で生まれた作品です。
 美しい大雪山が何度も映像で見られます。

 映画の中で何度も奏でられているユカラの響きがとっても美しかったです。雨のしずくの音が、ランランと描かれることに本当に感動しました。
 ユカラの美しさはこの擬音語にあると思われました。同じ言葉の繰り返しの中から絶妙なリズムが生まれます。

 僕はヘブル語の詩篇の翻訳をいくつも作っています。それを礼拝で交読文として読んでいただくようにしています。
 どうしても、聖書翻訳では、美しい日本語にしながら意味がすぐにわかるという形を大切にします。ことばの意味を理解させることが優先されています。

 しかし、ヘブル語の詩篇は、ユカラと同じように、基本的に文字を読むことができないような人々が暗唱し、歌うことができるというリズムが大切にされています。
 そのリズムやことばの繰り返しを少しでも分かるように訳したいと思っています。そのことばの繰り返しやリズムこそが詩のの命であり、それが発音やメロディーを通して人々の心の奥底に届くようにするというのが詩篇の核心です。

 たとえば最も有名な詩篇の23篇での日本語訳では

主 (ヤハウェ) は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。

と記されますが、これがヘブル語では

アドナイ ロイー ロー・エフサール

で完結します。

また、

私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。

ということばは 次のように歌われます

ロー・イラー・ラァー キー アター・イマディー

と簡潔に発音されます。

少し見ただけでも、同じ音の繰り返しが大切にされていることが分かります。詩篇の私訳交読文は でご覧いただくことができます。

詩文を歌ったり、交読したりするというのはヘブル語詩篇で最も大切にされるべきことのように思われます。
 他教団の神学校で、小生の交読文を紹介し、交読していただくと、詩篇の美しさが初めてよく分かったという嬉しい感想を何度もいただくことができました。