主 (ヤハウェ) は王である〜詩篇97篇——「神のかたち」としての創造

新年早々、悲しく痛ましい災害が起きています。
今被災している方々、お亡くなりになった方のご家族のためにともにお祈りして行きたいと思います。

 日本の古典「古事記」には興味深い記述があります。
イザナギ(男神)、イザナミ(女神)の交わりから日本列島が生まれたというのは多くの人に知られています。
 しかし、その最後が、「イザナミの女神は、火の神を生む時に受けた傷が重くなって、ついにこの世を去って黄泉国に旅立った」と記されているのをご存じでしょうか(古事記現代語訳 福永武彦訳)。

 イザナギは「痛恨のあまりに……不幸の原因となった御子の火の神、カグツチノ神の頸を切り放った……剣の柄に集まった血は……したたり落ちて、そこに生まれた神々の名は……クラミツハノカミ。これは雨をつかさどる竜神であり、清冽な谷間の水をつかさどる水神である」と記されています。

 女神が火の神を産んでやけどして死んでしまい、それに腹を立てたイザナギの剣からしたたり落ちた血から竜神が生まれると面白い話が描かれています。
 今年は「たつ年」と呼ばれますので、これは知っておいた方が良いのかもしれません。
 日本列島は火山活動から生まれました。残念ながら、その日本で定期的な地震が起きるのは避けられません。日本の神話では、それは日本列島を産んだ神々にも支配できないことであるばかりか、神がそれによってやけどをして死んでしまい、その悲嘆から竜神が生まれたと記されています。
 わざわいは受け容れるしかない、それと付き合って行くしかない……という境地が日本人の心の中にあります。(そこにも美しい生き方が生まれる可能性もあります。)

 それに対し、聖書の神は次のように描かれています

1 主 (ヤハウェ) は王である。地は小躍りせよ。多くの島々は喜べ。
2 雲と暗黒が主を囲み 義とさばきが御座の基である。
3 火は御前に先立ち 主の敵を囲んで焼き尽くす。
……
6 天は主の義を告げ 諸国の民はその栄光を見る。
詩篇97篇1–3、6節

 聖書の神は「火と水」ばかりかすべての大地の異変をも支配する神です。
ですから、私たちはどのような悲惨の中にも、神のあわれみのご支配を見ることができます。
 今、苦しんでいる被災地の方々のために何ができるかを多くの方々は考えておられることと思います。
 日本福音自由教会協議会には「災害対策室」という組織があります。今、そこが現地の教会と連携して(金沢市の北にある内灘聖書教会等)、私たちが何ができるかを検討してくださっています。
 その知らせをお待ちいただければ幸いです。今すぐに必要なものが、届いた後の時期には余ってしまう……ということもあります。

 すべては主のご支配の中にありますが、私たちは「神のかたち」に創造された者として、その災いの中でも、愛の手を差し伸べることができます。
 先日の日本航空機が遭遇にした事故による火災でも、乗客全員が無事に脱出できたことが奇跡として海外で称賛されてます。
 そこでは、日本人の中に養われている「神のかたち」としてのすばらしさが現わされています。もちろん、そこにはセットで同調圧力という負の側面もあることでしょう……それはすべての個人にも適用できることです。

 日本列島に地震はつきものですが、それも神のご支配の中にあります。
そして、そのすべてのわざわいは、創造主からの「祈りへの招き」のときでもあります。私たちがそこで被災地の方々のことを覚えて祈る中で、神のみわざが同時に進んでゆきます。そしてそこでは信者、未信者であることの違いを超えて、「神のかたち」に創造された人間のすばらしさも現わされるときです。
 「わざわいを通して、愛の交わりが広がる……」ということの中にも、神のみわざを見ることができましょう。