野球のイチローさんが、わが母校の北海道旭川東高校で二日間、高校球児に野球を指導したというTBSの番組がありました。甲子園大会の地区予選で11回にもわたって決勝まで進出しながら、まだ一度も甲子園大会に出場できないでいるということで、ご自分から指導に来てくださったとのことです。
思えば今から53年前の1970年のことだと思いますが、その時も、地区予選で決勝まで進出しました。当時は、道北の進学校として野球部はまったく注目もされていなかったので、一生懸命に応援した思い出があります。
応援の時には、いつも「しまれ! がんばれ!」という高校の合言葉を繰り返していました。イチローさんは、わが母校の後輩に、次のような趣旨のことを言ってくれました。
この時代は、厳しい指導ができなくなっている。
でも、導いてくれる人がいないと、みな楽な方に流れてしまう。
自分に対する甘えが出てくるが、それで結局、苦労するのは自分自身だ。
できるだけ自分を律して厳しくすることを心がけて欲しい。
本当に、自分を律し続けてきたイチローさんが言うと、じーん と心に響きます。それと高校の合言葉である「しまれ!がんばれ!」がとっても調和しています。彼はそのようなことを踏まえて、そう語ったのかな……とも思います。
以下でそれぞれ5分ぐらいのビデオをご覧いただけます。一本目のビデオでは、雪が積もっている中でどのように練習するかが描かれていて面白かったです。
二本目のビデオでは、上記のことばが言われていました。
なお、イチローが割ってしまった窓ガラスは、今後、記念として、割ったままに置かれるようです(北海道の窓は何重にもなっているので……大丈夫)。
聖書ピリピ人への手紙3章12–14節には私たちの信仰生活と、競技の中で優勝を目指して励むことが重ね合わせられて以下のように記されています。これは、現在のキリスト教会の土台を作るために奮闘していた使徒パウロの告白です。
12 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして追及しているのです。そしてそれを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
13 兄弟たち。私は、自分がすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち後ろのものを忘れ、前に向かって身を伸ばし、
14 キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです(目標を追求し続けているのです)。
ここでは、「自分はもう目標を達成しているという『甘え』を捨てて、前のめりになって、栄冠を目指して自分を律するという心構えが描かれています。
それが、この世的な「頑張り」と違うのは、自分が既にキリスト・イエスによって捕らえられているという、基本的な「安心感」を受けながら、同時に、キリスト・イエスが自分になおも高い目標を与え、それを達成させてくださるという希望に満たされて、目標を追求し続けることができているということです。
ある方が、私たちがキリストにあって「きよめ」を体験しているとは、このような高い目標を目指し続ける姿勢だと教えてくれました。
僕は今、35年前の神学校時代の卒業論文を徹底的に見直して、それをより多くの人に読んでもらえる形にしようと、励み続けています。次々と目標があるのは嬉しいことです。